学歴封建体制を破壊する方法

本書は主に、教育問題、少子化問題、年金問題について記述していますが、それ以外の日本が抱える諸問題についても、明確に答えています(目からウロコものの明確な回答です)
詳しくは、本文を読んで頂ければ分かるのですが、忙しい人のために、それぞれの問題ごとの解説ページ(リンク)を用意しました。
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解説および索引(リンク)

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※ サービスの悪い店には客が来なくなるのと同様、管理教育や受験競争など、嫌な事をする学校に子供が行かなくなるのは当然、登校の強制は、自由競争を阻害している。 ※ 自由競争が働き、倒産・失業の恐怖にさらされてこそ初めて、学校はいじめ問題にも真剣に取り組むようになる。

サカキバラのような性的倒錯とスパルタ教育の関係については定かでないが、少なくとも言える事は、親や教師が目先の事(学業やスポーツの成績)に一喜一憂するあまり子供の異変を見落としてしまい対応が後手後手に回る可能性はある(それはイジメでも同じ)

子供を萎縮させるのは間違っているが、では単純に、のびのび育てれば良いかというと周囲の迷惑もあるので、そうとも言い切れない(私が小学生時代のいじめっ子がそうであった)

そもそも制服なんて意味あるか? 異質を認めない「制服文化」「横並び主義」それは日本人の欠点でもあり、また陰湿ないじめの源にもなっている(体罰よりもこちらのほうが問題)

次に、いじめ問題について触れておきたい。そもそも、なぜいじめなんかするのか、なぜ自殺なんかするのか、それは端的に言うと、学校が面白くないからである。 なぜ面白くないか、それは「人にレッテルを貼りランク付けする」学歴ビジネス(サムライ商法)が幅をきかせているからだ。

私は小学校低学年の頃は徹底的に苛められていた。 原因は「ウルトラマンを知らなかった」「野球を知らなかった」「おどおどしている」それは親が厳しくて「テレビを自由に見せてもらえなかった」「些細な事で平手打ちが飛んで来た」からである。

「苛められる側にも原因がある」「苛められる方が悪い」という人もいる。確かにそういう側面はある。 ただ家庭環境や障害など、本人の努力ではどうにもならない場合も多い。

大人の世界にもイジメはある、例えば解雇部屋とか、本人に原因があるのか、単なるくじ引きの結果なのか、いずれにせよこれは簡単にはクビに出来ない日本社会独特のもの、企業が悪いと言うよりは、本来国が行うべき社会保障を、企業に押しつけている事に原因がある。

イジメに関しては、これは単純に善悪の問題ではない。 原因分析が必要である。 善悪の問題として扱う限り、ドグマ(教条主義)スローガンの域を出ない。

いじめや自殺は、勉強の出来ない底辺校だけの問題ではない。現行の教育制度は「出来る子」にとっても面白くない制度である。何に興味を持ち、何を学んだのか、何に感銘・感化されたのかとは無関係に、やたら難関大学に合格する事のみに価値を求める「学歴社会じゃなくて学校歴社会

勉強にしろ、スポーツにしろ、基礎訓練が辛いのは仕方のないことである、しかしそれにしても絶望しか残らないのはなぜなのか(必要以上に辛くしているものがあるのではないか)もちろん悪いのはいじめっ子であるし、親や教師の力量不足もあろうが、最終的に「1人儲けしている」サムライ商法、彼らが引き起こしている公害である。

教育相続税」を導入し教育の軸足を「子供から大人へ」移せば、何度でもやり直しが効く社会になる。 そうなれば子供は「絶望から解放」され、それに起因するいじめも自殺もなくなる。 そもそも子供が、イジメや、理不尽な体罰に耐えているのはなぜなのか、それはガクレキ、つまりサムライ商法が力を持っているからである。

教養を高め、国を発展させて行くのなら良いのだが―――実際にはくだらない丸暗記やいじめ差別が蔓延るばかりで、肝心の思考力が育たず、世のためになっていない。

自由競争こそが今日の繁栄を築いて来た以上(多少の弊害はあっても)受験競争そのものを否定する事など出来ない」「受験競争がいやなら(競争のない)社会主義国へ行け」結局、これまでガクレキ封建体制が続いてきたのは、冷戦時代の、左右イデオロギー対立に守られてきたからである(これは教育問題ではなく政治問題)

ビルゲイツ帝国打倒」よりも、まずは「己の年功序列・丸投げ体質こそ先に何とかしろ。ビルゲイツ帝国を批判するなんぞ百年早い」と言いたいが、これは技術の問題というよりは政治イデオロギーが絡んでいるため、どうしようもない厄介な問題である。 「アメリカ帝国主義打倒」「ソ連は素晴らしい」と言い張っている奴に、何を言ってもムダなのと同じだ。

その背後には、冷戦時代の根深いイデオロギー対立がある。昔は「受験競争は自由競争である」「自由競争に反対する者は共産主義者だ」というイデオロギーの下に、スパルタ塾なんていうものがあり、子供は学校でも塾でも家庭でもビシバシ殴られていた。 さらには成績を張り出す、なんて事も当たり前のように行われ、それが「自由競争」であると信じられていた。

彼らはこれまで「日教組的悪平等=共産主義の恐怖」を巧みに利用して来た。だが冷静に考えて「学歴」「お受験」の問題は「競争か平等か」「資本主義か共産主義か」といった、たいそうなイデオロギー問題ではなく、単なる「サムライ商法」の問題である。※ しょせん子供相手の悪辣な「サムライ商法」破綻するのは目に見えている。子供を絶望させて、何が競争社会なのだ。

「制服廃止」には生産性向上、自由な発想、集団迎合から自己責任へ、さらには「教育コスト削減」などの良い効果がある。 加えて「LGBT」をはじめとする「性的少数派」の子供の選択肢を増やすものとしても朗報である。

さらに嬉しい事に、生涯学習社会に移行すれば、オーバードクター問題も解決する(オーバードクターとは、博士号を取ったものの、企業に敬遠されてしまい、就職先がない人たちである)もちろん研究が成功すれば良いが、うまく行くとは限らない、それで自殺されたのでは、大学院まで行かせた親にとってはたまらない。 生涯学習社会に移行し、仕事と研究が両立できる社会になれば、そのような悲劇は防げる。

はじめ保守派は、競争が激化すれば、人の能力差は広がり、それでもって資本家と労働者の巨大な格差が正当化出来ると信じていた(もしもその差が科学的に検出できずサヨクの言う通り「子供はみんな同じだ」なんて事になったら共産化して行くと恐れた)

学歴とは、そして学問とは何なのか?平等を実現する武器なのか、それとも格差を作り出すための武器なのか?

諸悪の根源は格差でも、学力低下でも、弱肉強食の資本主義でもなく、誰もが息子を大学に行かせようと見栄を張る「ガクレキ封建体制」にあるのである。

格差」を是正しようとしても、本当の解決にはならない。その理由を説明しよう。そもそも下流の人たちすべてを中流に引き上げる事など出来ない。仮にやろうとしても、中途半端な結果に終わるのは目に見えている。 もし中流が増えたら、物価の水準が上がってしまって、下流が苦しむことになる。 「下流」を引き上げる事よりも「中流」を引きずりおろす事の方が重要である。特に下請けに丸投げし「形だけ管理」をやっているような連中は、その能力を厳しく問いなおし、下請けと同等かそれ以下に賃金水準を引きずりおろす必要がある。

これからは「中流」はなくなり「ますます少数に絞り込まれたエリート」と「大多数の凡人」という社会になって行くだろう。それを「格差」ととらえるか「平等」と捉えるかは、考え方次第である。

これまで「中流層」は自民党を支持し「上流」の側についていた(つまり「下流」の事など考えていなかった)ところが少子化が起こり、経済情勢が悪化し、自分たち中流も「下流」に突き落とされると分かってきた、そこで「格差社会批判」「アベノミクス批判」を始める。ずいぶんと身勝手なものである

国民を不幸のどん底に突き落とすのは、格差でもなければ、学力低下でもない。 第1章でも述べたが、教育コストの野放図な増大「教育ビンボー」が国を滅ぼす。

「大学に行かないとロクな仕事に就けないよ」「ますます格差は広がるだろう」とか言って恫喝するのが、サムライ商法の常套手段、そうやってカネを搾り取るのである。

勉強勉強と子供の尻を叩けば、豊かになれるのか、幸せになれるのか、格差はなくなるのか、そんなことはない。 それはお隣の韓国を見れば分かる。

むしろ今後は、格差社会をネタにカネをゆすり取る「サムライ商法」の方こそ気をつけるべき、いま問題なのは「格差よりも教育ビンボー」である。

もう一度言う、2割の富で8割の人間が「とりあえず食って行ける」のなら格差なんか別にどうでも良い、それよりも「誰もが上流を目指しムリをする」「的外れな努力を重ねる教育ビンボー、それが引き起こす「少子化」「年金制度破綻」こちらの方がはるかに怖い。

高卒と大卒との間には、生涯収入に1億円の差がある、しかしだからと言って、みんなが大学に行くようになり「大卒が当たり前」の社会になれば、大学を出ても「別にエリートでも何でもない」必ずしも高収入は保証されなくなる。それで儲けたのは、学歴ビジネス=サムライ商法だけ、いやサムライ商法が金儲けするだけならまだ良い、教育コストの増大は少子化の原因となり、日本は大変な事になって行く。

コレステロールに善玉と悪玉が、腫瘍に良性と悪性があるように、格差にも良性と悪性がある、格差のすべてが悪いわけではない。 では良性と悪性の違いは何か? そこでまず良性格差とはどういうものかについて説明しよう。

悪性格差とは、簡単に言うと「社会の発展を阻害し」「貧乏人をさらに貧乏に」「治る病気も治らなくして」「不幸のどん底に突き落とす」という格差で、これはまさしく「教育ビンボー」の事である。

そして「教育格差をなくそう」と言ってみたところで、現実問題としてそれは無理な話である。 というのも、貧乏人が子供の「尻を叩いて」勉強させれば、金持ちは「もっと尻を叩いて」勉強させるからである。 虐待につながる事はあっても、平等は実現できない。

「お受験に金をかけられる金持ちが有利」とは昔から指摘されている通りであるが、今後格差社会を迎えるに当たって、それはますます顕著になるだろう。 そうなれば「上流枠」と「下流枠」の分離は、もはや必須の制度となるだろう。

資本力があり、なおかつ労働組合の強い大企業において、格差是正を口実に「年功序列」が復活するだけだ。それは、格差是正を口実に新たな格差が作られる事に他ならない。

それよりも、これだけ科学技術が進歩し生産性が向上しているのに、一向に生活が良くならず、江戸時代の「楢山節考」の世界に後戻りして行くとするならば、何か構造的な問題や、もっと他にすごい穴があるはずである。 それは、格差や役人や成金セレブなどのせいではなく、我々の生活、社会制度に原因があると言えよう。

そもそもバカが野球を見るから野球選手が大儲けしてセレブになるのであって、格差がけしからんというなら野球も見ない事である。

金持ちばかりがますます金持ちになり、貧乏人は取り残されて行く、それを格差というなら、それは何も金持ちだけが悪いわけではない―――というか私の感触からすると、ほとんどは貧乏人の側に原因がある。 貧乏人の方こそ反省しないといけない。 「何か間違った事をしているのではないか?」

格差・貧困の問題は、税制度よりもむしろ生活の効率に起因する(2−17 賢い下流社会)要するに貧乏人は何か間違った事をしているから貧乏になっている可能性もあり、その問題にメスを入れる事なく、安易に富の再分配に頼ってはいけない。

児童虐待問題が「例外的」「社会のお荷物扱い」である限り、それにつけ込んだ差別や不利な扱いもなくならず、すべてにおいて「後まわし」にされ格差が生じるものである。 この問題を解決できるのは「全ての子供を対等に扱う=国家が子供を養う制度」以外にない。

左翼の卑屈な平等論もダメだが、一方で競争競争とバカの1つ覚えみたいに、格差を作り出す事ばかり考えている保守派もダメである。

さらに生涯教育が普及せず、親のすねをかじって大学に行く「ガクレキ封建体制」がスタンダードとなっており、親の格差がもろに子供に影響する。

それよりも「国家が子供を養い」「子供が保護者を選択する」制度に反対する連中の本当の狙いは「子供は親を選べない」という性質を利用して「劣悪な環境を放置し」「格差を作り出し」「己の利権を守る」点にある

そもそも教育とは、平等を実現するための武器なのか、それとも格差を作り出すための武器なのか、人を解放するための道具なのか、それとも抑圧するための道具なのか?

不平等」を訴えるのなら、むしろ金持ちを敵に回すのではなく「土地財産にばかり課税され、ガクレキには課税されない」という現行制度の「不平等」を訴え、金持ちを味方につけた方が賢明である。

なまじ「クビに出来ない法律」があるがために、大企業の「仕事の出来ない奴」を辞めさせる事が出来ず、代わりに下請け社員が振り回され、こき使われる事になる。 また別の意味での格差ブラック問題を引き起こす。

「正社員を増やし生活を安定させよう」などと言うのは、少子化対策としては全くのナンセンス、むしろ無理に「正社員を増やそう」と中途半端な事をする、それもまた新たな格差・歪みの原因である。

そもそも正社員と派遣社員の2種類あるから格差が発生するのであって、格差をなくすにはどちらか一方にすればよい。全員を正社員に出来るのなら良いが、これからの時代どう頑張っても半分も正社員には出来ない、となるとむしろ正社員を減らす方が平等に近づく。

私が不満に思うのは、大企業はいまだに年功序列であり、やはり彼らの方が、給料が高い点である。 よって格差を無くすためには、正社員を減らすのが正しいと考える。

単能工が三年間働いたから正社員にして欲しいなどという要求はどうでも良い、それよりも年功序列のオヤジが、コンピュータプログラマよりも高い給料をもらっている事の方が問題(これこそ本当の格差問題)なぜそうなってしまうのか、それは正社員が多すぎるからである。 格差を無くす正しい方法は、正社員を減らし待遇を下げる事である。

かつてマルクスが資本論で述べた「資本家と労働者の対立」はもはや過去のもの、むしろ現代は「資本家の搾取」よりも「サムライ商法に搾り取られないよう」気をつけるべき(2−10 格差よりも教育ビンボーに気をつけろ!)格差格差と騒いでいる学者が一番クサイ

巷では「格差か悪平等か」という議論があって、左右の政治勢力が激しく争っているが「格差よりも教育ビンボーに気をつけろ!」それが本書の主張である。

共産もイスラムも平等を求めるが、結局「また新たな特権階級」を生み出すだけに終わる。社会が発展し国が豊かになれば、そのうち格差なんかどうでも良くなる。 格差に固執してはいけない「格差よりもサムライ商法に気をつけろ!」それが本書のスタンスである。

奨学金なんてもう言うな「穴を広げる」だけである。 「教育格差」をなくす正しい方法は「奨学金ではなく教育相続税」である

では少子化対策として、フランスのように、第3子以降を優遇するか? しかしこれも、日本ではうまくいかない。 企業別労働組合である日本では、大企業と中小企業の格差は歴然としている。 子供を3人育てるなんて大企業の社員しかできない。 必然的にこれは「大企業優遇の制度」となり(格差を広げる事にはなっても)少子化対策にはならない。

返済不要の奨学金は、当然の事ながら成績条件は厳しく、普通の生徒には関係ない話である。一方で金持ちはバカでも大学に行く、その格差はなくならない。

学問に実利ばかり求めるのは間違っているが―――とはいえ少なくとも少子化や年金問題などの害を引き起こさないよう配慮すべきだろう、国を滅ぼしたのでは学問の自由も多様性もない

他の資産運用と比較すれば、学問は実利一辺倒になってしまうのだろうか、そんな事はない。むしろ成熟した生涯学習社会を迎えてこそ初めて学問の自由・多様性が保証される。(親のすねをかじっている限りは「良くて就職のための道具」それ以上の物にはならない)

学歴差別に対する強力な武器、それは「教育相続税」と「学歴税」である。「そんなに大学に行きたかったら、税金払って行きなさい」「どうぞ御勝手に」と言っておく。 それが最もスマートな解決法である。 学歴からも税金を取ってやれば良いのである。国家が「税金取るぞ!」という姿勢を示せば、過剰な学歴、中身のない学歴は、たちどころに消えてなくなるだろう。

教育相続税」を導入すれば、生涯学習社会への移行は一気に進む。但し税制度全体のバランスを考えたとき、実はもう1つ税が必要である。それが先に触れた「学歴税」である。 これは他の税とのバランスを取るためのものである。「教育相続税」が「親のすねをかじって大学に行く者」に「集中的に」「厳しく」課税する、いわば贈与税・相続税のようなものであるのに対し「学歴税」は学歴を所持している者から広く薄く取る、いわば消費税のようなものである。

左翼は「固定資産税」で「金持ちブルジョア」を攻撃しているつもりだろうが、これは結局、家賃という形で労働者に跳ね返って来るだけである、むしろ「教育相続税」や「学歴税」の方こそ早急に導入すべきなのだが―――高学歴インテリの左翼にそれを言ってもムリだろうか?

教育相続税のほかに必要な税には「学歴税」がある。「雨露をしのぐための生活必需品である」家にまで課税されるのに、なぜ贅沢品にすぎない学歴、見栄メンツのための学歴に課税されないのか、学歴こそ課税すべきである。という視点に立った税が学歴税である。

ただ、私は学歴そのものの毒性は、単体ではそれほど強くないと見ている。従って、学歴税の税率はそれほど厳しくする必要はない。消費税程度で充分だろう。大卒以上の学歴保持者は、収入に応じた学歴税を支払い、その税収は国連を通じ、貧しい国に分配されるというのはどうだろうか?また、一方的援助ではなく、相互援助方式を取り、援助を受ける国にも、学歴税を導入してもらい、将来、援助する側に回ってもらうというのはどうだろうか?つまり「世界に広げよう学歴税の輪」というわけである。

まとめると、次のようになる。 @ 学歴そのものに課税する学歴税 A 学歴と封建制度との関係を断ち切る教育相続税 この2つを導入することで、今日の日本が抱える問題の多くは解決する。

「2−14 大奥の原理」でも少し触れたが「貧乏人を大学に行かせる方法を考える」のではなく「金持ちを大学に行かせない方法」を考えた方が正解である。教育相続税(および学歴税)を導入すれば、金持ちは頭を冷やす事になる。

親権にも自由競争」これぞまさしく「教育相続税」と「学歴税」に並ぶ、日本社会の三大タブーの1つである。

このままでは、我が国でも革命が起こる」と危機感を抱いた一族が結集し、革命を阻止するための方策について話し合いが持たれた。 その結果「革命を阻止し領民支配を続けて行く為には、ステータスシンボルとしてのガクレキが必要だ」という事になったのである。それからというもの小公子は、城に閉じ込められ、ムチを持った特別に厳しい家庭教師によって、長時間の勉強を強制される事になった。 その後、労働者や農民も進学競争に参加するようになり「本人を蔑ろにした見栄の張り合い」は泥沼化して行くのである

「受験競争は自由競争なのか、それとも階級闘争なのか」これは本書が、まえがきで提起しているテーマである。

そもそも受験競争は自由競争なのか、それとも階級闘争なのか?それは本書が「まえがき」で提起しているテーマである。教養を高め、国を発展させて行くのなら良いのだが―――実際にはくだらない丸暗記やいじめ差別が蔓延るばかりで、肝心の思考力が育たず、世のためになっていない。さらに「野放図に増大を続ける教育コスト」は、社会に歪みを作り出し、社会の発展を阻害し、教育貧乏になって行くばかり―――そういう事は止めさせないといけない。 そのための武器が「教育相続税」である。

特権階級は、己の特権を守る事しか考えないものである。 口先では「機会均等」などとキレイ事を唱えていても、腹の中では....@ いかにして自分の息子に英才教育を施し、他と差別化するか、 A いかにしてよその子供の足をすくって倒すか、

奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになっても、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、金の力にモノを言わせ、さらにその上を行くものである。 結局のところ、やたらと高学歴化を進め、社会全体の教育コストを増大させるばかりで、平等は実現できない。奨学金といえども結局「バラマキ」に過ぎないわけである。

奨学金なんて何の解決にもならない。 奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちは(もっとカネをかけ)さらに上位の学校に行くだろう。卑近な例で言うなら、借家人の息子が奨学金の助けを借り大学に行くようになれば、それに危機感を抱いた大家は、息子を大学院や難関大学に行かせるだろう。 結果教育コストは増大し、巡り巡って家賃が値上げされるのだ! すると貧乏人はますます窮地に追い込まれる。

果たして奨学金は平等を実現しただろうか? 奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、塾だとか家庭教師だとか、カネの力にものを言わせ、さらにその上を行くものである(子供の塾通いのために自家用ジェットだって飛ばすのだ)また新たな差別化手段「エリート名門」が生み出されるだけである。 平安貴族の化粧ではないが、人を驚かせ畏怖させるまた何かを持ち出して来るだろう。

金持ち特権階級にしてみれば、ガクレキとはあくまでも差別化の道具である(身分制度が廃止され相続税をガッポリ取られれば、残るはもうガクレキしかない)そのために、かつてはスパルタ英才教育があったわけだが、詰め込み教育には弊害が多くもう限界、そこで「金持ちの学力を上げる」のではなく「貧乏人の学力を下げる」というのが「新たな差別化手段」として浮上してきた、それがいわゆる「ゆとり教育」である。

金持ちばかりが大学に行き、貧乏人は大学に行けない「不平等だ」「俺たちも大学に行かせろ」と主張するのは賢明ではない。 なぜなら奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、さらなる付加価値を求め「もっと金をかけ」「さらにその上を行く」のは当たり前、イタチごっこ、平等なんて永遠にやってこない。また新たな差別化手段、エリート名門が生み出されるだけである。

不平等」を訴えるのなら、むしろ金持ちを敵に回すのではなく「土地財産にばかり課税され、ガクレキには課税されない」という現行制度の「不平等」を訴え、金持ちを味方につけた方が賢明である。

そもそも政治家はなぜ児童虐待問題に消極的か? それはお受験同様「虐待もまた格差を作り出すための重要な資源だから」である(2−14 大奥の原理)教育相続税を導入し「子供の教育が階級闘争から切り離されれば」そのような問題はすべて解決する。

金持ちの息子が全員大学に行くようになれば「その費用捻出のため」弱い立場にある貧乏人はますます厳しく搾取される(すべての大家が息子を大学に行かせるようになれば「家賃は値上げされる」なぜなら「息子を大学に行かせない大家」がいなくなる事で価格競争が無くなるからである)このような「コスト転嫁」は大家と借家人との間だけでなく、資本家と労働者、社長と従業員、大企業と下請け等「すべての階級間について」言える事である

たしかに能力は重要であるし、努力次第である程度向上もする。ただ、本来、社会の役に立ち、人を幸せにしてこその能力だ。単に点を取るだけの能力に意味はない。 学歴は「能力」という隠れ蓑に身を包んだ点で、最も巧妙で悪質な差別で、子供に負担をかけ虐待する。

単に競争率が高いから難関だから地獄なのか? もしそうだとしたら受験生よりもプロ野球選手の方が地獄である。 競争に負けたとたんに食べていけなくなるからだ。受験が地獄になるのは、親にガミガミ怒られ、肉体的・精神的に虐待されるからだ。そして、子供は親を選べず逃げ場がないからである。「競争率が高いから」「難関だから」地獄というわけではないのである。

親のすねをかじって大学に行かせてもらう」それしか実質的に道のないガクレキ封建体制は、子供にとって抑圧的で、管理教育や体罰、虐待など様々な人権問題を引き起こしてきた。

教育格差をなくそう」と言ってみたところで、現実問題としてそれは無理な話である。 というのも、貧乏人が子供の「尻を叩いて」勉強させれば、金持ちは「もっと尻を叩いて」勉強させるからである。 虐待につながる事はあっても、平等は実現できない。

それに、今の日本で「大学は無料」なんて事にしたら「無料」を巡って激しい受験戦争が起こり、虐待される子供も増えるだろう。 受験準備にやたらカネがかかり「授業料は無料だけど、やっぱり金持ちしか大学に行けない」というオチにもなりかねない。

社会の共有財産である「子供」を私物化しているのは、子供を虐待し殺そうが何をしようが己の勝手と考えている底辺のバカな親だけではない。自分の息子をエリートに仕立て上げたいとか、社長の地位を継がせたいとか考えている、上流階級の教育熱心な親も同じである。

そうすれば否応なく「子供は公的財産」ということになり、児童虐待は不可能になる。ダメな親から離れられないが為に荒れて、人生を棒に振るなんて事もなくなる。

そもそも親に養われているから、子供は「お受験」をはじめとする見栄や欲に苦しめられるわけで、国家が子供を養い子供が保護者を選択する「公的な」制度にすれば、つまり子供が「経済力」を持つようになれば、肉体的虐待だけでなく、精神的虐待からも解放される。

躾にしても、どこまでが愛のムチでどこからが虐待なのか、法律で規定するには限界がある。しかし、子供が保護者を選択できるようになれば、自由競争の原理が働き、一定の緊張感が生まれ、自ずと適正な範囲に収まるだろう。

そのためには、「親が子供を養う」封建制度をやめ「国家が子供を養う」近代的制度に切り替えればよい。それが「世界から虐待を撲滅する」最も強力な武器となり、児童虐待はほぼ不可能になる。

国家が子供を養うとは即ち赤ん坊の経済価値を保証する事であり、それにより命が守られる。 経済価値がプラスになり、親にとってメリットのあるものになれば、子供はもっと大切に扱われ、虐待も減って行く。

お受験」にしても、少子化のおかげで、大学全入のゆとり時代にはなったものの、いわゆる名門志向型の受験戦争はなくならないし、虐待や殺人もなくならない。 本質的には何も解決していないと見て良いだろう。

国家が子供を養う制度においては、見栄の張り合い・ムダな競争・虐待が防止できるほか、子供にも「人件費」という概念が導入される。 これにより、教育の分野でもコスト管理がなされ、無駄を省き、生産性を向上させることが出来る。

そもそも「能力」を「大学を諦めさせる手段」に使うには無理がある。それはプライドを刺激し、誰もが背伸びするようになり、逆効果である。受験戦争が激化し、丸暗記や珍問奇問が蔓延り、子供は虐待される。受験準備にやたらカネがかかるようになり、むしろ「教育コストは増大」する。

現行の児童相談所は、重度の肉体的虐待を救済するのが精一杯であるが、子供ホームが充実し一般化すれば、精神的虐待も含め、すべての虐待に対応可能となる。「教育相続税」および「国家が子供を養う制度」は、少子化・年金問題を解決するだけでなく、虐待問題をも解決するのである。

虐待というと、暴行やネグレクトばかりがクローズアップされるが、性的虐待や、精神的虐待も重大である。 親が神経症(ノイローゼ)の傾向を持っていると、それが子供に伝染する可能性がある、特に受験期は注意が必要である。

そもそも、肉体的虐待だけでなく、精神的虐待も、さらにはノイローゼの共鳴現象まで、すべてを児童相談所が審査し、認定する事は、可能だろうか?審査・認定にカネと時間をかけるよりも、子供に好きに選ばせた方が安上がりである。

例外的」「社会のお荷物扱い」も、また差別・虐待を生み出す。

子供ホーム」も子供自身が選べるようにする。 そうすれば競争原理が働き「子供ホーム」内における虐待や管理教育も防げる。 要は「子供が親権を選択できるかどうか」「自由競争が働いているか」がミソ、核心であって、別に体罰を禁止する必要はない。

前項では「体罰禁止」よりも「自由競争」をちゃんと機能させることが重要であると述べた。しつけと称した虐待を行う親がいるからと言って、しつけそのものを否定はできない。また虐待は、肉体的なものだけでなく、精神的なものもあり、それらも軽視はできない。ところでなぜ私は「自由競争」にこだわるのか、それには理由がある。

そもそも、どこまでが愛のムチで、どこからが虐待なのか、そのすべてを法律で定義する事はできない。 たとえば民法が改正され、第820条に「子の利益のために」という文言が追加されたが、これで虐待はなくなるだろうか?

むしろ、金儲けであっても一向に構わない、と私は考える(外国には、神父による児童虐待などという事例もあり、むしろ慈善家ぶった奴の方こそやばいという印象がある)要は子供が「自分に合ったムチ(=親権)を選択できるかどうか」という点にかかっている。

また体罰以外にも精神的虐待など数えればきりがない。 体罰を禁止するのではなく、風通しを良くする、親権にも「自由競争・市場原理」を導入すべきというのが本書の主張である。

もちろん命に関わるような暴行は論外だが、体罰だけを取り締まっても意味がない。むしろ精神的虐待やノイローゼの伝染にこそ注意を払うべきだろう。

学校体罰はなくならないし、親の虐待もなくならない、そのため「親権から懲戒権を削除せよ」と主張する人もいるがどうだろうか? 気持ちは分かるが、単に法律の条文から文言を削除すれば虐待はなくなるのだろうか? (そもそも「懲戒権のない親」とは何なのか、お手伝いさんと同じではないのか、ムチを持っているからこそ親ではないのか!)

「親権バウチャー」は「親権に自由競争を導入する」事で、体罰の行き過ぎを防ぐだけでなく、精神的虐待も防止し、なおかつ親の負担を激減させる画期的制度である。

子供の教育は、どこまでが愛のムチで、どこからが虐待なのか、法律でそのすべてを規定することはできない(愛のムチとは悩ましいものである)

そんな中、いまだに「独占的強権」を握り、子供の人生を弄び、虐待し殺しまくっているのが親である。

少年法の弊害は言うまでもないが、それ以前に、本当に少年法は、少年を守っているのか?虐待された少年が家に火を放った、そういう場合には少年法が守ってくれるのかもしれないが、子供が保護者を選択できるようになっていれば、虐待され苦しむ事も最初からなかったし、家族も巻き添えを食らわなくて済んだのだ。

凶悪な少年犯罪があるが故に、少年法を廃止(縮小)せよという意見もある。 だが「子供は親を選べない」高学歴化により親の影響がさらに大きく、子供の人生に「より決定的」「壊滅的」影響を与えるようになり、しかも劣悪な環境や虐待がなくならないならば、廃止どころか「マジで延長」せざるを得なくなる。

学校が建設されると、それで終わりかというと、決してそうではない。それはまたそれで受験戦争が勃発し、子供は殴られ虐待される(日本に限らず、どこの国でも同じである)

学校の利益、己の保身のために殴るのは、そもそも体罰ですらない、単なる暴行・虐待である(これを体罰と呼ぶのは体罰に対し失礼である)

社会が発展し国が豊かになっても「児童搾取と虐待」は相変わらず、とどまる事を知らない。これら諸問題をすべて解決する究極の手段がある、それは、

それは刃物を持った変質者でも、アニメオタクでもない「親」である。精神的、肉体的、性的、いずれの場合でも、子供にとって、最大の虐待者は「親」である。その理由は明白である。

扶養手当、児童手当、扶養控除、学割、少年法、児童買春、児童虐待、児童ポルノ、あしなが募金、奨学金、etc. .... プトレマイオス的、ごちゃごちゃ複雑で中途半端な救済・保護制度よりも、国家が子供を養う=子供中心の地動説を導入すれば、それで一発すべて解決し、複雑な事務手続きも要らなくなり、大幅なコスト削減になる。

例外的」「社会のお荷物扱い」も、また差別・虐待を生み出す。 やるならすべての子供を対象に「国家が子供を養う」ようにすべきなのだ。

私は子供を育て上げた1人の親として「子供が保護者を選択する制度」に、自信を持って賛成する。 それが虐待を防ぐ最も強力な手段、それをやれば、虐待は一発で無くなる。

親の期待通りにエリートコースを歩まなかった私は、親から失敗作、欠陥人間として扱われてきた、肉体的虐待だけでなく精神的虐待からも子供が救われるのは、いったいいつになるのだろうか?

すべての虐待から子供を救うためには、国家が子供を養えばよい。 それは同時に少子化対策でもある。 ただそれがこれまで実現できなかったのはなぜなのか、理由は「国家が子供を養ってくれれば親たちはどうするか」という事である、つまり「それで浮いたカネが大学や受験産業に流れ彼らを儲けさせるだけの結果になる」からである。 子供手当もみんなそうである「受験産業が口を開けて待っている」従って「国家が子供を養う制度」を導入するためには、その前に「教育相続税」を導入する必要がある。

なにしろ日本人が、ガクレキ(受験戦争)のために費やしているGNPは、防衛費を追い抜いてトップなのだから、もっと効率を考えて、その半分でも他に回せば、児童虐待問題も、オヤジの長時間労働・過労死問題も、少子化問題も、年金問題も、すべて解決する。

虐待されているのは小さな子供だけではない。 中学生も高校生も虐待されている。 体格では負けない彼らがなぜ抵抗できないか、それはガクレキの問題である。 ガクレキがないと就職できない、ガクレキを得るためには親の力を借りるしかない。

そもそも政治家はなぜ児童虐待問題に消極的か? それはお受験同様「虐待もまた格差を作り出すための重要な資源だから」である(2−14 大奥の原理)教育相続税を導入し「子供の教育が階級闘争から切り離されれば」そのような問題はすべて解決する。

評価ともう1つ、教師の手を煩わせているものに給食費の滞納がある。払える金があるのに払わない親がいる一方で、経済的事情から、払いたくても払えない親もいる。 だから、この問題に一律に対応するのは困難である。

国家が子供を養う制度になれば、給食費滞納問題も一発で解決する。そもそもなぜ教師が給食費を集めなければならないのか?教師は子供に勉強を教えるのが仕事だ。滞納云々以前に「集金で教師や校長を煩わせる」それ自体が生産性の低下である。(カネを集めるのは税務署のプロに任せておけばよい)

野放図に増大する教育コストは、重大な社会・経済問題である。

そもそも、子供を大学に行かせるのに、どれだけカネがかかっているのか?そのコストに比べれば、子供手当なんて屁みたいなものである。極論を言えば、子供手当や児童手当なんか別になくてもすべての子供が中卒か高卒で一旦就職する社会になれば、親の負担は激減し、それだけで少子化問題は快方に向かう。大学に行きたければ、自分が稼いだカネで、働きながら行けばよろしい。

前項では、教育コストの増大に比べれば、児童手当子供手当も焼け石に水、所詮はバラマキに過ぎないと説いた。 教育にカネがかかりすぎる。 だから、児童手当それ以前に、教育コストをまず削減する事こそが、少子化問題解決につながるというのが、本書の主張である。

本書が対案として主張する「教育相続税」は、大学をリストラし、より引き締まったものにするだろう(と同時に、教育コストを削減し、少子化問題をも解決する優れた税である)

もちろん能力開発は重要だが、社会の役に立ち、人を幸せにしてこその能力である。丸暗記競争が蔓延り、それにムダ金をつぎ込む、親は子供を無理して大学へ行かさざるを得なくなる。 それは単に差別問題であるばかりか、教育コストの増大を招き、社会・経済に重大な影響を与える。

空洞化は学力低下によって起こるのではなく、学歴差別によって起こる。出現した新たなカースト=ガクレキ、その差別を恐れるあまり、猫も杓子も大学を目指し、教育コストが増大し、賃金が高騰し、それで空洞化が起こる。

空洞化は高学歴化による教育コスト増大によって起こる。「年功序列のオヤジが何人もの息子を大学に行かせる=家父長制度・ガクレキ封建体制」と、それを支えて来た「年功序列=高すぎる賃金」が重いツケを残し、国を滅ぼすのである。

高学歴化による「教育コストの増大」「賃金の高騰」は、経済に重大な影響を与え「産業・技術の空洞化」「海外移転」を招き、これにうまく対応できないと国を滅ぼすことになる。空洞化・海外移転が起これば「ものづくり」は「価値の低い下流下請けの仕事」「外国人の仕事」になってしまうから、若者は技術に触れる機会を失う。

つまり高学歴化による教育コスト増大賃上げ圧力が、賃金を高騰させ、労働組合の強い大企業と中小企業の格差を生み、さらに産業・技術の空洞化海外移転を加速し、また一方では少子化の原因ともなっている。

政治家は恩着せがましく、バラマキをやろうとする。 だがバラマキをやれば「ばらまいた分だけ」「いやそれ以上に(役人の人件費が加わり)」税金が高くなり、生活を圧迫するのは確実、何してるこっちゃ分からない。しかし、教育相続税ならば、@ 親のすねをかじって大学に行く者に厳しく課税し、A 痛い目に合わせ、B 親のすねをかじって大学に行く事をやめさせる。C その分、教育コストを削減する。

国民を不幸のどん底に突き落とすのは、格差でもなければ、学力低下でもない。第1章でも述べたが、教育コストの野放図な増大「教育ビンボー」が国を滅ぼす。今後は、格差よりもむしろ「ガクレキをどう始末するか」が課題となろう。

生活向上のためには、賃上げよりも、生活の無駄をなくす「教育コスト削減」が有効である。

子供の教育にやたら金をつぎ込む「教育ビンボー」それが教育コストを増大させ、少子化を引き起こし、年金・医療制度を崩壊させる。 「国家そのものがサムライ商法に乗っ取られ、食い潰されて行く」「韓国のようになって行く」それが「悪性格差」である。

奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになっても、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、金の力にモノを言わせ、さらにその上を行くものである。 結局のところ、やたらと高学歴化を進め、社会全体の教育コストを増大させるばかりで、平等は実現できない。

教育相続税は、国家財政に一切負担をかけずに、各家庭の教育コストを削減し、少子化問題を解決する優れた税である(それで倒産する大学が出て来るかも知れないが、それは一般企業では普通に行われている新陳代謝である)特記すべきは教育相続税が引き金となって生涯学習社会への移行が起こる、社会の相転移が起こる、これこそが本当の革命である。

なぜそうなるのか、逆に言うとなぜ今までそうならなかったのか、それはコスト管理のやり方に問題があるからである。 それはどういう事か、次に詳しく説明しよう。

増大する教育コストが、賃金体系を歪め、少子化・年金問題を引き起こし、ありとあらゆるムダ・矛盾の根源となり、日本経済に甚大なる被害を及ぼしているわけで、いいかげんそれを「やめさせる」という議論があって然るべきである。

さらに国家レベルでコスト削減=生産性向上が進み、育児・教育にかかる国民の実質的負担も軽減されるだろう。 お受験などムダなものをいっさい省き、読み書きそろばんの基礎だけしっかりやれば、親の負担も子供の負担も半減する。そうすれば、子供1人分のコストで、2人育てられる計算になる。

イメージとしては、病院が発行する各種検査結果や、レントゲン写真といったものであろうか。 そういう評価なら、コストをかけるだけの価値がある。病院が「おまえの健康度は2だ」と評価しても「2」という数字だけで具体的な内容が分からなければ、患者は何をどうすれば良いのか分からない。

手間暇コストをかけて通知簿を作成し、悪い成績を親に「通知」し、親を怒らせる事に成功したとしても、それで学力が向上するわけではない。

競争させるにしても「競争にかかるコスト」というものを常に意識すべきである。コスト意識ゼロ、奴隷はいくら使ってもタダ、穴掘りでも、丸暗記でも、ボランティアでも、何でも良いからテキトーに競争させておけ―――そんなものは自由競争ではない。それこそ国益を損ねていると言えるだろう。

少子化の原因は、非正規雇用にあると言う説もあるが、非正規雇用を増やした企業が悪いとでも言うのだろうか? これは教育コスト削減=大学のリストラを恐れた学者が保身のために言っている事である。 子供にかかるコストが「ゼロ」になれば、非正規雇用であっても、いくらでも結婚でき、子供を作れる。

少子化・年金問題解決のためには「子ども手当」よりも「児童手当」よりも「教育コスト削減」が先決である。

このようにして、教育コストをまず削減した上で、さらに次の段階として行う事は(もはや「子ども手当」や「児童手当」のようなハシタ金ではなく)「国家が子供を養う制度」である。 それをやれば、親の負担はズバリ「ゼロ」となる。

全額支給されるかどうかわからない、支給されたとしてもハシタ金に過ぎない「子ども手当」よりも、教育コスト削減の方が、桁違いに規模は大きい、少子化対策としても有効である。まずやるべきは「教育コスト削減」これを断行すれば、少子化問題は半分以上解決する。

あるいは、塾や家庭教師が必要になり、教育コストが増大するのは、学校(日教組)がちゃんと教育していないからだという批判もあろうが、そのような批判は的外れである。

教育コスト増大―――この問題を解決するには、最終的に「頭を冷やす制度」が必要である。

前項で私は、奨学金も学割も廃止し、むしろ逆に「親のすねをかじって大学に行くと、ものすごい税金を取られる」社会にすれば、大学を諦める若者が増える。 よほどの大金持ち以外は、大学へは行かなくなるだろう。 そうやって「教育コスト」を削減する。 と「鬼のような」事を言った。続けて、教育コストをできる限り削減したうえで、さらに国家がそれを肩代わり、国家が子供を養うようにすれば(子供限定ベーシックインカム)鬼に金棒世界で最も効率の高い、最強の国家が誕生する、とも言った。

精神的虐待まで含めた虐待防止はきわめて困難でコストがかかるものである。 また児童虐待問題が「例外的」「社会のお荷物扱い」である限り、それにつけ込んだ差別や不利な扱いもなくならず、すべてにおいて「後まわし」にされ格差が生じるものである。 この問題を解決できるのは「全ての子供を対等に扱う=国家が子供を養う制度」以外にない。

一発殴れば済むような躾のために手間暇コストをかけ説得する。 その一方でやらなくていいような点取り競争や試合のために殴りまくる。 どちらも教育コストを増大させる要因である。

生涯学習社会と言ってもそれは口先だけで、非正規雇用が多数派となった現在では、若者にそのような経済力はなく、大学など永遠に行けなくなってしまうのではないかと心配する人もいるだろう。 だがそうはならないと断言する。 いまや結婚式も葬式も航空機も、コスト削減の時代である、大学にそれが出来ないわけがないのである。

ボーナスどころか給料も出ない。 それは経済的合理性に合わない、コスト割れした、間違った競争で、やればやるほど赤字で、社会に負担をかけるムダな競争、見栄の張り合いをしているという事だ。

企業はタダだから学歴を採用の基準として利用する。すると、→ 親は子供に投資せざるを得なくなる。→ その投資は客観的・合理的・効率的でない。→ 教育コストは増大する。→ 少子化・年金・財政破綻。という連鎖で、社会・経済に重大な損害を与えて行くのである。

「給料を払わない」のはコスト管理上望ましくない、だから教育にかかるコストを「見える化」しよう「国家が子供を養う制度」にはそういう意図もある。

国家が子供を養うシンプルな制度になれば、これらの問題はすべて解決し、事務手続きも大幅に簡素化され、コストダウンにつながる。

教育は個人レベルでの失業問題の解決や、個人レベルでの収入増につながるかもしれないが、社会全体としての失業問題には無力であるし、社会全体の豊かさにつながるかも不明である。 社会の発展に正しくつながれば良いのだが、単なる見栄の張り合い、無意味な学歴獲得競争に翻弄され資源を浪費するだけに終わるのかもしれない。 だから教育が失業問題の解決につながるかどうかと問われれば「イエスであると同時にノー」としか言いようがない。 むしろ下手に高学歴化してしまうと、教育コストが増大し、少子化が起こり、財政は悪化し、福祉は後退し、それこそ国を滅ぼして行くシナリオも考えられる。

もっとも「今も本当にコントロール出来ているか」というと、いささか疑問が残る。教育コストの増大が、少子化・年金問題、そして最終的に国家財政の破綻を招くならば、それはコントロール出来なくなって来ている証拠ではなかろうか?「人口が維持できない」それは最も基本的かつ重大な問題である。

大学・受験産業は、ガキ相手に「サムライ商法」や「殿様商売」して教育コストを増大させ、あげく少子化・年金問題を引き起こし、自ら社会のお荷物=ボトルネックとなるのではなく、生涯教育の場で正々堂々と競争し、オトナの支持を得られるよう努めるべきである。

教育コストの増大は、少子化・年金問題を引き起こし、国家財政を破綻させ、国民をますます苦しめる。

ボランティアだってコスト意識を持つ必要がある。兵役かボランティアか知らないが、その間「誰が給料を支払い養う」のだろうか?「ボランティア」を主張する連中には、そのような視点が欠けている。このように若者本人や、彼らを養う親の「負担を増やすだけ」「若者の自立を遅らせるだけ」の「徴用」は、国家にとって一見美味しそうだが、実はタダほど高いものはない。

宗教家の中には、避妊を目の敵にする者もいるが、コンドームが少子化の原因とでも思っているのだろうか? いまや「野放図に増大する教育コスト」こそが子孫繁栄を妨げている。

低賃金でも、不安定な仕事でも、それを世の常とし「それでも充分に子孫繁栄できる」身軽な社会を構築する「教育コスト削減」それが本当の少子化対策「正しく機能する社会保障」これこそが国家が存在する意義である。

一定のレベルを保証するという意味での資格は良いが、これを「新規参入の障壁」にしてはいけない。 なぜならそうなってしまうと、やたら難しい「試験のための試験」と化し、教育コストの増大を招き、それが巡り巡って、利用者の負担となるからである。

教育コストの増大は賃金高騰、国際競争力の低下を招くだけでなく、試験制度に翻弄され人生を狂わせる者まで出て来る。 犠牲者を減らすためにも暴落させた方がよい。

そもそもなぜTPPに反対するのか、日本の農業だって決してアメリカに負けないはずである。 もしアメリカに負けてしまうとしたらその原因は何か? その1つに無駄に教育コストが高いというのがある(いまや「百姓もサムライ」ムスコを大学に行かせるのに必死である)

何せ日本の賃金は世界一(ベトナム人の何倍もらっているのだ!)死ぬほど働いてもらわないと元が取れない。 それがブラック企業の言い分、残念ながら彼らにも一理あると言わざるを得ない。 では一番悪い奴は誰か? それは教育コストを増大させ、少子化の原因を作った「サムライ商法」である

形だけで中身のない「労働者保護」「賃上げ」よりも、本当に有効なのは、@ 親の負担軽減(教育コスト削減)A 親子の経済的分離(国家が子供を養う)B 転職しやすい、身軽で風通しの良い社会(雇用の流動性)

そもそも受験競争は自由競争なのか、それとも階級闘争なのか?それは本書が「まえがき」で提起しているテーマである。教養を高め、国を発展させて行くのなら良いのだが―――実際にはくだらない丸暗記やいじめ差別が蔓延るばかりで、肝心の思考力が育たず、世のためになっていない。さらに「野放図に増大を続ける教育コスト」は、社会に歪みを作り出し、社会の発展を阻害し、教育貧乏になって行くばかり―――そういう事は止めさせないといけない。

(学者は絶対言わないが)ブラック企業をなくす最終兵器は「無理して働かなくてもよい社会にする」そのために真っ先にやること、それは「教育コスト削減」である。

だから我が国は「また別の方法」を考えればよい。 おすすめは「教育コスト削減」つまり「サムライ商法をぶった切る」それですべて解決するのである。

長時間労働を無くすために見回りに来るのか? それよりも長時間労働しなくても良い社会を作れよ、そのためには教育コスト削減が効果的である「子供を1人前にするのにどれだけカネをかけているのだ!」

ではここで、うまくいかなくなって来ているのはなぜなのか、その原因を考える必要がある。それはサムライ商法が国民からカネを搾り取り、教育コストを増大させ、少子化を引き起こしているから―――つまり「穴が開いている」わけである。

主導権とはどういう事か、一般企業は、経済情勢を常に意識しながら、金儲けしているが、大学・受験産業は、教育コストが親の負担になり、少子化が起こり、国が滅んで行こうが、まったくお構いなしに高学歴化を進めようとする。

社会の衰退を引き起こす「ボトルネック」とは何か? 少子化の原因は女性の産道が狭くなったためか? いや違う! 原因は「教育コスト増大」にある。 つまり一言で言うと「お前ら学者こそがボトルネックになっている」その現実を直視し、持続可能な社会=生涯学習社会に移行すべきである。

金持ちの息子が全員大学に行くようになれば「その費用捻出のため」弱い立場にある貧乏人はますます厳しく搾取される(すべての大家が息子を大学に行かせるようになれば「家賃は値上げされる」なぜなら「息子を大学に行かせない大家」がいなくなる事で価格競争が無くなるからである)このような「コスト転嫁」は大家と借家人との間だけでなく、資本家と労働者、社長と従業員、大企業と下請け等「すべての階級間について」言える事である(★教育投資の絶対化・聖域化・合理性の喪失

そもそもガクレキを特別扱いする事自体が間違いの元である。 ガクレキも他の資産・投資と「対等に扱い」「天秤にかけ」「効率を検証」すべきであり、対等に比較・課税してこそ初めて「健全な投資」が可能である(★教育投資の相対化・合理性の回復

交通遺児」は気の毒だが、人の不幸など様々で、それこそ星の数ほどあるといってもよいだろう。 なのに交通遺児を救済しただけで「平等が実現できた」「公正な競争条件が確保された」と考えたら、それは欺瞞ではなかろうか?

確かに悪平等は良くないが、では「悪平等でない正しい平等」は実現できているか、公正な競争条件は確保されているかというと、全く心許ない。そもそも、親の影響を受けている限り「平等」も「機会均等」も、最初からあり得ないと考えて良いだろう。

まず、【手順1】についてだが、これは親のすねをかじって大学に行く事を止めさせ「大学行きたけりゃ自分で稼いで行け!」を社会のルール・競争条件にすることだ。そうすれば子供が2人いようが3人いようが「それぞれ自分で稼いで」大学に行くわけだから、親に負担はかからない

国家が子供を養う」と言っても、国の予算だって無限ではない。何も考えずにばらまいたら一発で財政破綻するだろう。その前にやるべき構造改革がある。それが前項で述べた「親のすねをかじって大学に行く事をやめさせる」ということだ。「大学行きたけりゃ自分で稼いで行け!」を社会のルール・競争条件にすることだ。

自民党・財界の主張するBつまり「雇用の流動性」にしても、親の負担軽減、つまり@Aが前提ではなかろうか(それを飛ばすから批判されるのである)

終身雇用を前提に社会制度を考えてはいけない。 ガクレキ、資格さえ取れば、あるいは正社員になれば一生安泰なんて世界は(たとえそこに試験制度が組み込まれていたとしても)能力主義ではなく「身分制度」である。

さて、そのような観点から「教育」というものを再度検証してみると「余剰労働力の吸収体」「雇用調整機関」としての「学校」は、日本経済の安定を支えて来たともいえる。

それに金と時間を費やす事で、新たな雇用が生まれる。 つまり、これら「生存に直接関係しないムダ」が社会を調整してくれているわけである。

非正規雇用が多数派となればなったで、社会はそれに適応して行くものである。 この期に及んで正社員を増やそうとか、年功序列を復活させようとか、時代の流れに逆行する様な事をしても、事態を余計に悪化させるだけである

日本を蝕んでいるのは「ガクレキ封建体制」だけではない。産業・技術の空洞化海外移転という重大な問題がある。だが実は、この問題も「ガクレキ封建体制」と裏で繋がっているのである。その事について詳しく述べよう。

問題は学力低下ではなく、空洞化によって、優秀な人間が「ものづくり」に向かわず、株やギャンブルなど、よからぬ方向に行ってしまうことだ。

空洞化の原因は高すぎる賃金にある。 さらに突き詰めると、年功序列賃金や毎年繰り返される春闘に行き当たる。 そして、その背景には、かさむ教育費、親のすねをかじって大学に行くガクレキ封建体制=学歴差別がある。

空洞化は学力低下によって起こるのではなく、学歴差別によって起こる。出現した新たなカースト=ガクレキ、その差別を恐れるあまり、猫も杓子も大学を目指し、教育コストが増大し、賃金が高騰し、それで空洞化が起こる。

つまり高学歴化による教育コスト増大、賃上げ圧力が、賃金を高騰させ、労働組合の強い大企業と中小企業の格差を生み、さらに産業・技術の空洞化海外移転を加速し、また一方では少子化の原因ともなっている。

【手順2】国家が子供を養う制度にする(子供限定ベーシックインカム) ※ 【手順1】【手順2】の順番は重要である。 【手順1】をやらないで先に【手順2】をやると、それで浮いたカネが大学や受験産業に流れ、彼らを儲けさせるだけの結果に終わるから要注意である。

だがさらに(ここからが重要なのだが)「国家が子供を養う制度」には別のメリットがある。国家が子供を養うようになれば、当然国家が予算を管理するわけで、少人数学級や、習熟度別、個別指導、IT技術の活用など、本当の意味での効率化が図られる事になる。なぜそうなるのか、逆に言うとなぜ今までそうならなかったのか、それはコスト管理のやり方に問題があるからである。 それはどういう事か、次に詳しく説明しよう。

増大する教育コストが、賃金体系を歪め、少子化・年金問題を引き起こし、ありとあらゆるムダ・矛盾の根源となり、日本経済に甚大なる被害を及ぼしているわけで、いいかげんそれを「やめさせる」という議論があって然るべきである。まず一に、親のすねをかじって大学に行く者には課税しろ、そして二に、国家が子供を養う制度を導入し、親子の経済的結合を断ち切れ、それが本書の主張である。

国家が子供を養う制度になれば、給食費滞納問題も一発で解決する。そもそもなぜ教師が給食費を集めなければならないのか?教師は子供に勉強を教えるのが仕事だ。滞納云々以前に「集金で教師や校長を煩わせる」それ自体が生産性の低下である。(カネを集めるのは税務署のプロに任せておけばよい)

国家が子供を養う制度、それは教育だけにとどまらず、産業・労働・経済にも影響を及ぼす。「親は子供を作るだけ」になれば、給料が安くてもやって行けるので、年功序列や終身雇用のような企業の負担となる硬直した制度も要らなくなり、その分、生産性も向上する。

ついでに言うと、国家が子供を養う制度になれば、有給休暇も要らなくなる。我が国は欧米に比べ、有給休暇の消化率が低いなどと言われるが、有給だからこそ休みにくいという側面もある。 そもそも有給休暇が必要なのはなぜなのか、なぜ無給ではダメなのか、あなたは考えたことがあるだろうか?その理由は、@ オヤジの給料には「子供を養い大学に行かせる分」も含まれており、A それが「賃金相場」となっているからである。

国家が子供を養う=親子の経済的分離」これを行う事により、@ 親は「子供を養い大学に行かせる重荷」から解放され、A「休みやすい身軽な社会」が実現する。これは社会の安全性を高め、なおかつ生産性を向上させる、合理的制度である。

躾にしても、どこまでが愛のムチでどこからが虐待なのか、法律で規定するには限界がある。しかし、子供が保護者を選択できるようになれば、自由競争の原理が働き、一定の緊張感が生まれ、自ずと適正な範囲に収まるだろう。そのためには、「親が子供を養う」封建制度をやめ「国家が子供を養う」近代的制度に切り替えればよい。

@ 国家が子供を養い子供が保護者を選択する。A 親は子供を作るだけ。B 大学に行きたけりゃ自分で稼いで行け!この3つが揃えば「親の負担ゼロ」となり、少子化も年金問題も、一発で解決である。

【手順1】教育相続税親のすねをかじって大学に行く」イコール「財産の贈与・相続」とみなして厳しく課税する。 それこそ「少数の金持ちしか大学に行けなくなるぐらいに」厳しく絞り込む。それが教育コストを削減し「真に平等」で弱者に優しい社会を実現する。以上をまず実施した上で、さらに、次のステップとして、【手順2】国家が子供を養う制度を、私は提案する。

国家が子供を養う」と言っても、国の予算だって無限ではない。何も考えずにばらまいたら一発で財政破綻するだろう。その前にやるべき構造改革がある。それが前項で述べた「親のすねをかじって大学に行く事をやめさせる」ということだ。「大学行きたけりゃ自分で稼いで行け!」を社会のルール・競争条件にすることだ

その方法は、これまで何度も述べているように「親のすねをかじって大学に行っている奴に厳しく課税」「ペナルティーを科す」ズバリそれをやればよい。 まずその「痛みを伴う」「厳しい政策」を行った上で、次の段階として「国家が子供を養う」事を提案するのが本書の主張である、それはいわゆるサヨクの「増税福祉論」「バラマキ論」とは一線を画すものである。

国家が子供を養う制度においては、見栄の張り合い・ムダな競争・虐待が防止できるほか、子供にも「人件費」という概念が導入される。 これにより、教育の分野でもコスト管理がなされ、無駄を省き、生産性を向上させることが出来る。

このようにして、教育コストをまず削減した上で、さらに次の段階として行う事は(もはや「子ども手当」や「児童手当」のようなハシタ金ではなく)「国家が子供を養う制度」である。 それをやれば、親の負担はズバリ「ゼロ」となる。

さて、先ほど私は「教育コスト削減」を断行すれば「少子化問題は半分以上解決する」と述べた。 では残りの半分は? それは国家が子供を養う制度である。教育コストをできる限り削減した上で、さらに国家がそれを肩代わり、国家が子供を養うようにすれば、鬼に金棒、世界で最も効率の高い、最強の国家が誕生する。

前項で私は、奨学金も学割も廃止し、むしろ逆に「親のすねをかじって大学に行くと、ものすごい税金を取られる」社会にすれば、大学を諦める若者が増える。 よほどの大金持ち以外は、大学へは行かなくなるだろう。 そうやって「教育コスト」を削減する。 と「鬼のような」事を言った。続けて、教育コストをできる限り削減したうえで、さらに国家がそれを肩代わり、国家が子供を養うようにすれば(子供限定ベーシックインカム)鬼に金棒、世界で最も効率の高い、最強の国家が誕生する、とも言った。さらにこの政策は「教育の機会均等」という観点からも、全く問題ないどころか、むしろ望ましいものである事にも言及した。 これらは明確な思想に基づくものである。

さらに、話には続きがある。 国家が子供を養う制度になれば、そこに資本が参入し、老人ホームならぬ子供ホームが増え充実する。現行の児童相談所は、重度の肉体的虐待を救済するのが精一杯であるが、子供ホームが充実し一般化すれば、精神的虐待も含め、すべての虐待に対応可能となる。「教育相続税」および「国家が子供を養う制度」は、少子化・年金問題を解決するだけでなく、虐待問題をも解決するのである。

私が学生の頃は、母親の過干渉が原因で、強迫神経症という一種のノイローゼになっていたが、そういう場合も「国家が子供を養う制度」であれば、引き離す事が容易になる。

子供が保護者を選択する」これを可能にするのが「子供限定ベーシックインカム」である。 大人のベーシックインカムは何かと問題が多く私は反対なのだが、子供限定ベーシックインカムは充分に実現可能であり有用である。

例外的」「社会のお荷物扱い」も、また差別・虐待を生み出す。やるならすべての子供を対象に「ベーシックに」「国家が子供を養う」ようにすべきなのだ。

ならばいっそ、すべての子供を対象に「国家が子供を養う=子供限定ベーシックインカム」を導入すればどうだろう。 どうせやるなら―――すべての子供を国家が養うようにし、さらに子供が保護者を選択する親権バウチャー制度にすれば良いのである。そうすれば、親の負担は激減すると同時に、競争原理が働き「しつけ・懲戒」も含め、すべては「常識的」範囲に収まる。

ゴチャゴチャした「小難しい権利」はいらないから、 @ 国家が子供を養い子供が保護者を選択する親権バウチャー制度」 A 子供にムチ(親権)を選択させる B 親権にも自由競争、市場原理 それが最もシンプル、我が国に適したやり方である。

※ 「給料を払わない」のはコスト管理上望ましくない、だから教育にかかるコストを「見える化」しよう「国家が子供を養う制度」にはそういう意図もある。

それよりも、日本が抱えるほとんどの問題は、ガクレキ封建体制をはじめとする封建的風土による「風通しの悪さ」に起因しており「ガクレキ封建体制」を破壊し、@ 国家が子供を養い、A 子供が保護者を選択する、B 子供はそれぞれ自分の稼ぎで「勝手に」大学に行く、生涯学習社会に移行し、親も学校も会社も、嫌ならいつでも交換できる身軽な社会になれば、自由競争の原理が働き、規則にしても、厳しさにしても、自ずと適正な範囲に収まる。

まったく、変な法律をゴタゴタ作るばかりで、実効性がまるでない「何やってんだ」「バッカじゃねえの」としか言いようがない。国家が子供を養うシンプルな制度になれば、そんな問題は一発で解決する。

扶養手当、児童手当、扶養控除、学割、少年法、児童買春、児童虐待、児童ポルノ、あしなが募金、奨学金、etc. .... プトレマイオス的、ごちゃごちゃ複雑で中途半端な救済・保護制度よりも、国家が子供を養う=子供中心の地動説を導入すれば、それで一発すべて解決し、複雑な事務手続きも要らなくなり、大幅なコスト削減になる。

ただ「国家が子供を養う=子供限定ベーシックインカム」には、1つ問題点がある。すべての子供に生活費を支給したとして、そこで親はどうするか、それで浮いたカネが大学や受験産業に流れ彼らを儲けさせる結果に終わる、これでは従来のバラマキと変わらない。 だからそれを止めさせ「正味」少子化対策に向かわせる、それが教育相続税である。

形だけで中身のない「労働者保護」「賃上げ」よりも、本当に有効なのは、@ 親の負担軽減(教育コスト削減)A 親子の経済的分離(国家が子供を養う)B 転職しやすい、身軽で風通しの良い社会(雇用の流動性)

まず、第1ステップとして「教育相続税」を導入し「ガクレキ封建体制を破壊する」 さらに、第2ステップとして「国家が子供を養う」 この手順を踏まえれば、親の負担は激減、生産性は飛躍的に向上し、少子化・年金、その他日本が抱える諸問題は、すべてきれいに解決する。

「子供はみんな同じではありません」という事を示すために(差別化)1人1人競争させ順番をつけるような教育を行い(序列主義)それが自由競争であり、そのような教育に反対する者は共産主義者であると決めつけ戦ってきた。 テストを繰り返し、お前ら頭が悪いのは血統が悪いからだというのが保守派支配階級の狙いであり、その裏返しとして、サヨクの平等論や無限の可能性論がある

本物の差別とは、体制維持のために(格差や身分制度を維持するために)人工的に作り出され利用されてきたものであり「部落とガクレキ」がそれに該当する。そのうち、いまだに現役なのが、ガクレキである。

これまでは、差別というと「何でもかんでも差別差別」と拡大解釈される傾向があり、さらにそれが利権に結びつき、過去の差別をことさら強調する傾向があった。 だが本書の定義は、きわめて限定的である。 ただ特記すべきは、その「限定的定義」の中に「これまで差別とされてこなかったガクレキ」が含まれている点である。

学校増設も、入試改革も、学歴差別の本質的解決にはならない。 土地・財産同様「教育」や「学歴」に課税する事で学歴差別は死滅するのである。

つまり「学歴」とは、先述したように「能力主義を装った身分制度」であり、最も巧妙で悪質な差別なのだ。

空洞化は学力低下によって起こるのではなく、学歴差別によって起こる。 出現した新たなカースト=ガクレキ、その差別を恐れるあまり、猫も杓子も大学を目指し、教育コストが増大し、賃金が高騰し、それで空洞化が起こる。

結果として「ものづくりなんて価値の低い下流の仕事」「管理している俺たちの方が偉いんだゾー」このように政治家の無責任な発言の結果、ついには職業差別までもが生み出される。

@ いかにして自分の息子に英才教育を施し、他と差別化するか、 A いかにしてよその子供の足をすくって倒すか、 それしか考えない。 これを「大奥の原理」という。

奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、塾だとか家庭教師だとか、カネの力にものを言わせ、さらにその上を行くものである(子供の塾通いのために自家用ジェットだって飛ばすのだ)また新たな差別化手段「エリート名門」が生み出されるだけである。

金持ち特権階級にしてみれば、ガクレキとはあくまでも差別化の道具である(身分制度が廃止され相続税をガッポリ取られれば、残るはもうガクレキしかない)そのために、かつてはスパルタ英才教育があったわけだが、詰め込み教育には弊害が多くもう限界、そこで「金持ちの学力を上げる」のではなく「貧乏人の学力を下げる」というのが「新たな差別化手段」として浮上してきた、それがいわゆる「ゆとり教育」である。

「例外的」「社会のお荷物扱い」も、また差別・虐待を生み出す。

精神的虐待まで含めた虐待防止はきわめて困難でコストがかかるものである。 また児童虐待問題が「例外的」「社会のお荷物扱い」である限り、それにつけ込んだ差別や不利な扱いもなくならず、すべてにおいて「後まわし」にされ格差が生じるものである。

少数の金持ちだけに絞り込む」「ブラックホールのように締め上げる」むしろこの差別的とも思えるアブノーマルな政策が、教育にビッグバンを引き起こし「より高次元の=親に依存しない」真の平等を実現する。

はじめ保守派は、競争が激化すれば、人の能力差は広がり、それでもって資本家と労働者の巨大な格差が正当化出来ると信じていた(もしもその差が科学的に検出できずサヨクの言う通り「子供はみんな同じだ」なんて事になったら共産化して行くと恐れた)

テストを繰り返し、お前ら頭が悪いのは血統が悪いからだというのが保守派支配階級の狙いであり、その裏返しとして、サヨク平等論無限の可能性論がある

むしろ皮肉なことに「人間は平等だ」「生まれつきの頭の善し悪しなどあるはずがない」と左翼的平等論的な考え方を持っている人ほど、それが逆に仇となって「だから勉強が出来ないのは努力が足りないから」ということになり、努力しなかったのだから「差をつけられて当然」ということになる。

左翼は「固定資産税」で「金持ちブルジョア」を攻撃しているつもりだろうが、これは結局、家賃という形で労働者に跳ね返って来るだけである、むしろ「教育相続税」や「学歴税」の方こそ早急に導入すべきなのだが―――高学歴インテリの左翼にそれを言ってもムリだろうか?

左翼は平等平等と言うけれど、本気で「平等」を考えるなら「みんなが大学に行く社会」を目指すのではなく「親のすねをかじって大学に行く者」に対して「贈与・相続とみなして厳しく課税する」のが筋である。

それは基本的に保守派左翼も同じ、権力を握れば人間皆そうなるのである。

左翼は「みんなが大学に行く平等社会」を作り出す事で「カネモチ特権階級」を追い詰めているつもりだろうが、実際に追い詰められているのは、貧乏人の方である。

左翼のやり方では平等は実現できない―――それは単に思慮が足りないおバカさんだからなのか、それとも本当は平等なんて真面目に考えてなくて、革命を起こし権力を握るまでの方便として、平等・人権・平和・反核を利用しているだけなのか、良く分からないが―――いずれにせよ、左翼のやり方では平等は実現できない。

左翼が出来もしない公約を掲げるのは、国家財政を破綻させ立ちゆかなくする事で革命を狙っているという側面もある

さて、20世紀は、米ソ両陣営がしのぎを削る、冷戦の時代であった。 教育においても、平等論を唱える左翼と、英才教育を唱える保守派が激しく対立し、受験戦争が勃発し、子供は殴られていた。

育児休業に限らず、サヨクの考えるような「バラマキ」では、少子化問題は何1つ解決しない。 だが一方で保守派の中には、年金制度そのものを「社会主義的である」と批判し「年金制度を廃止し『頼るのは子供しかない』状況を作り出せば少子化問題は解決する」と主張する者もいるがどうだろうか? これにも落とし穴がある事は指摘しておこう。

これは家族制度の根幹に関わるという点で(単に「体罰反対」を叫ぶだけの左翼よりも)むしろ過激で革命的と言えるだろう。

サヨクはわざと事態を悪化させるような事を言う、それはなぜか? その狙いは現体制の崩壊、プロレタリア革命にある

左翼の卑屈な平等論もダメだが、一方で競争競争とバカの1つ覚えみたいに、格差を作り出す事ばかり考えている保守派もダメである。

保守派の人たちは「左翼平等論」を批判する、たしかに「悪平等」は良くないだろう。だが、競争というのもまた難しい、そもそも「人間のすべての能力を数値化できる神の物差し」は存在するのか?

とはいえ、私はいわゆる「サヨク平等論」を支持しているわけではない、平等論やバラマキでは、この問題は解決できない。 火に油を注ぐだけである。

みんなが大学に行く「平等社会」を目指すサヨク、その「平等論」は、理想としては素晴らしいが、やり方がまずいと言わざるを得ない。

ガクレキ社会の目的は2つある。 1つはいま先ほど述べた「金持ちの相続税対策」そしてもう1つが「国民に劣等感を植え付け支配する道具=身分制度の代用品」これは平等論を唱え革命を狙っているサヨクに対抗するためのものである。 とはいえこれも今となっては陳腐化し(いまだに学歴かよ〜)国民を苦しめるばかりである。

教育相続税―――これぞまさしく「ガキの英才教育を唱える保守派も「ガキの平等を唱える左翼も、右も左も誰も言わない日本社会のタブーである。

「私どもが『○○士』に合わせて作った資格で、受講さえしていただければ試験はありません。いえ、忙しければ、30万円の教材さえ買って頂ければ自宅自習でもいいですよ」

サムライ商法に引っかかるのは、バカな金持ちだから放っておけばよいと言う人もいるが、はたしてそうだろうか? 金持ちが出資する会社で働いているあなたも、金持ちから家を借りているあなたも、みんな間接的に搾り取られているからだ。野放図に増大する教育コストは、重大な社会・経済問題である。

「大学に行かないとロクな仕事に就けないよ」「ますます格差は広がるだろう」とか言って恫喝するのが、サムライ商法の常套手段、そうやってカネを搾り取るのである。

むしろ今後は、格差社会をネタにカネをゆすり取る「サムライ商法」の方こそ気をつけるべき、いま問題なのは「格差よりも教育ビンボー」である。

前項でも触れたが「格差社会」を脅しに使い、やたら高学歴化を煽るのが、サムライ商法の常套手段である。

子供の教育にやたら金をつぎ込む「教育ビンボー」それが教育コストを増大させ、少子化を引き起こし、年金・医療制度を崩壊させる。 「国家そのものがサムライ商法に乗っ取られ、食い潰されて行く」「韓国のようになって行く」それが「悪性格差」である。

金持ち税(富裕税)」というと聞こえは良いが、結局それは家賃や商品の価格に転嫁(上乗せ)され、最終的に(弱い立場の)貧乏人に跳ね返って来るものである。 これはいわば金持ちが構築した「搾取集金システム」の上に、さらに非効率な「役人」や「学者=サムライ商法」が乗っかって来る事を意味し、貧乏人はますます搾取される。

なぜいじめなんかするのか、なぜ自殺なんかするのか、それは端的に言うと、学校が面白くないからである。 なぜ面白くないか、それは「人にレッテルを貼りランク付けする」学歴ビジネスサムライ商法)が幅をきかせているからだ。

彼らはこれまで「日教組的悪平等=共産主義の恐怖」を巧みに利用して来た。 だが冷静に考えて「学歴」「お受験」の問題は「競争か平等か」「資本主義か共産主義か」といった、たいそうなイデオロギー問題ではなく、単なる「サムライ商法」の問題である。

そもそも子供が、イジメや、理不尽な体罰に耐えているのはなぜなのか、それはガクレキ、つまりサムライ商法が力を持っているからである。

体罰をなくそうとかのキレイ事・タテマエ論も、この際どうでも良い。 時間の無駄である。 それよりもサムライ商法をぶちのめす事が先決である(体罰禁止のポーズは、サムライ商法側の時間稼ぎでもあるのだ)学歴ビジネス=サムライ商法の力が弱まれば、体罰は確実に減る(少なくとも理不尽な体罰はなくなる)

何せ日本の賃金は世界一(ベトナム人の何倍もらっているのだ!)死ぬほど働いてもらわないと元が取れない。 それがブラック企業の言い分、残念ながら彼らにも一理あると言わざるを得ない。 では一番悪い奴は誰か? それは教育コストを増大させ、少子化の原因を作った「サムライ商法」である

ヨーロッパ諸国は、莫大なカネをかけ福祉の力で「無理して働かなくてもよい社会」を作り出しているのである。 もっともそれには弊害もある(英国病になってしまう)だから我が国は「また別の方法」を考えればよい。 おすすめは「教育コスト削減」つまり「サムライ商法をぶった切る」それですべて解決するのである。

かつてマルクスが資本論で述べた「資本家と労働者の対立」はもはや過去のもの、むしろ現代は「資本家の搾取」よりも「サムライ商法に搾り取られないよう」気をつけるべき(2−10 格差よりも教育ビンボーに気をつけろ!)格差格差と騒いでいる学者が一番クサイ

社会が発展し国が豊かになれば、そのうち格差なんかどうでも良くなる。 格差に固執してはいけない「格差よりもサムライ商法に気をつけろ!」それが本書のスタンスである。

そもそも女性はなぜ、子供を預けてまで働こうとするのか、それは子供を大学に行かせるための貯金である。 つまりばらまいた「補助金=我々の納めた税金」はそのまま「サムライ商法=大学・受験産業」に流れて行くわけで(高学歴化にはつながっても)少子化対策にはなってない

そもそもなぜTPPに反対するのか、日本の農業だって決してアメリカに負けないはずである。 もしアメリカに負けてしまうとしたらその原因は何か? その1つに無駄に教育コストが高いというのがある(いまや「百姓もサムライ」ムスコを大学に行かせるのに必死である)

国家が企業に正社員を増やすように圧力をかけるのは間違っている。 それは本来国が行うべき社会保障を企業に押しつけているに他ならない。 とはいえこれまで国の社会保障はうまく機能していなかったではないかという批判もあろうが、だったら原因を考える必要がある。

国の社会保障がうまく機能しなくなると、右も左も(保守も革新も)「大家族を復活せよ」とか「正社員を増やせ」とか主張するが、それは無責任というものである。そもそもなぜ社会保障がうまく機能しないのか、その原因を考えずに「家族や企業に社会保障を押しつけても」うまく行かない事に変わりはない。

少子化対策とか称してカネをばらまいたところで「それで浮いたカネが」大学や受験産業に流れ「彼らを儲けさせるだけの結果に終わる」こんな事をしていたのでは、社会保障がうまく機能しないのは当たり前である。

低賃金でも、不安定な仕事でも、それを世の常とし「それでも充分に子孫繁栄できる」身軽な社会を構築する「教育コスト削減」それが本当の少子化対策「正しく機能する社会保障」これこそが国家が存在する意義である。

終身雇用はガクレキ封建体制に結びついた一種の封建制度である。 そもそも企業は、要らなくなった社員を食わすために、専門外の業種に進出しなければならないのか? それこそリスクが高いと言わねばならない、転職してもらった方が良いだろう。 それに大企業の進出のために中小企業は犠牲になるのか、こんな理不尽はない。

終身雇用を前提に社会制度を考えてはいけない。 ガクレキ、資格さえ取れば、あるいは正社員になれば一生安泰なんて世界は(たとえそこに試験制度が組み込まれていたとしても)能力主義ではなく「身分制度」である。

国家が子供を養う制度、それは教育だけにとどまらず、産業・労働・経済にも影響を及ぼす。 「親は子供を作るだけ」になれば、給料が安くてもやって行けるので、年功序列や終身雇用のような企業の負担となる硬直した制度も要らなくなり、その分、生産性も向上する。

企業が「一流」であるか、その基準は「平均学歴」でも「平均賃金」でも「年功序列」でも「安定」でも「終身雇用の幻想」でもなく「週休3日制」となるだろう。

本書は教育投資そのものを否定しているわけではない「借金したり少子化を引き起こしたりしてまで高学歴化するのは本末転倒である」と問題提起し「持続可能な社会」を目指すものである(そのためにはサムライ商法から「主導権」を取り返す必要がある)

主導権とはどういう事か、一般企業は、経済情勢を常に意識しながら、金儲けしているが、大学・受験産業は、教育コストが親の負担になり、少子化が起こり、国が滅んで行こうが、まったくお構いなしに高学歴化を進めようとする。

少子化が原因でパイが縮小し、一般企業が倒産する事はあっても、大学が倒産する事はまずない。 少子化の原因が教育コスト増大にある事を考えれば、大学や受験産業こそ真っ先に痛みを感じるべきであるが、彼らがそれを感じるのは一番最後である。 これは教育だけが「特別扱いされ」「世界の中心」「主導権を握っているから」であり、良くない事である。

生涯学習社会に移行すれば、その様な事はなくなり「興味を持ったらすぐ学べる」タイムリーな対応が可能となる。 さらに生涯学習社会においては「科目単位の切り売り」が主流となる(なぜなら転勤のある社会人にとっては、大学も転校可能でなければならないからである)利用者(お客様)が「主導権を取り返す」とはこういう事である。

増大する教育コストが、少子化年金問題を引き起こし、いまや日本は破滅に向かいつつある。 それをいかにして食い止めるか、それが本書のテーマである。

極論を言えば、子供手当や児童手当なんか別になくても、すべての子供が中卒か高卒で一旦就職する社会になれば、親の負担は激減し、それだけで少子化問題は快方に向かう。大学に行きたければ、自分が稼いだカネで、働きながら行けばよろしい。 そのようなルールが社会に確立されれば少子化問題だけでなく、その他の日本社会が抱える歪み・矛盾・非効率も、すべて解決し、生産性も向上し、日本は非常に強力な国家になる

前項では、教育コストの増大に比べれば、児童手当も子供手当も焼け石に水、所詮はバラマキに過ぎないと説いた。 教育にカネがかかりすぎる。 だから、児童手当それ以前に、教育コストをまず削減する事こそが、少子化問題解決につながるというのが、本書の主張である。

少子化年金問題も、すべては「ガクレキ封建体制」にトドメを刺すことで解決できる。「社会がワッと明るくなる」と言ってよい。

「天は人の上に人を作らず」の言葉とは裏腹に、東大を頂点とする学歴ピラミッドが形成されてきた。 そして高学歴社会=増大する教育費のおかげで、国民生活はますます苦しくなり、国の借金は増え続け、少子化年金制度破綻の危機に陥っているのだ。

つまり高学歴化による教育コスト増大、賃上げ圧力が、賃金を高騰させ、労働組合の強い大企業と中小企業の格差を生み、さらに産業・技術の空洞化・海外移転を加速し、また一方では少子化の原因ともなっている。

@ 親のすねをかじって大学に行く事を「やめさせる」A「大学行きたけりゃ自分で稼いで行け!」と突き放す、B それを国の「教育方針」とする。 そうすれば親の負担は激減し、教育問題も、少子化問題も、年金問題も一発で解決し、生活はグーンと豊かになり、教養あふれる生涯学習社会がやって来る。

例えば「少子化対策税」とやらを作ったとしよう。 すると、一様に税金が高くなり、国民の負担は増す。 ※ 政治家は恩着せがましく、バラマキをやろうとする。 だがバラマキをやれば「ばらまいた分だけ」「いやそれ以上に(役人の人件費が加わり)」税金が高くなり、生活を圧迫するのは確実、何してるこっちゃ分からない。しかし、教育相続税ならば、

だいたい、オムツやミルクを無料にして、それで国民を騙せるとでも思っているのだろうか? 子供を大学に行かせるのにどれだけ金がかかると思っているのか?

それよりも「親のすねをかじって大学に行く者に厳しく課税し」「親のすねをかじって大学に行く事をやめさせる」その方がはるかに親の負担は軽減し、少子化対策として有効である。

だが高度経済成長の時代が終わり、低成長時代の現在では、終身雇用・年功序列が崩壊し、「教育ビンボー」は少子化に直結する。 そして少子化年金制度を破綻させる。年金制度が破綻して行き着く先は姥捨て山だ。 それは国家が滅びるに等しい。

もう一度言う、2割の富で8割の人間が「とりあえず食って行ける」のなら格差なんか別にどうでも良い、それよりも「誰もが上流を目指しムリをする」「的外れな努力を重ねる」教育ビンボー、それが引き起こす「少子化」「年金制度破綻」こちらの方がはるかに怖い。

子供の教育にやたら金をつぎ込む「教育ビンボー」それが教育コストを増大させ、少子化を引き起こし、年金医療制度を崩壊させる。 「国家そのものがサムライ商法に乗っ取られ、食い潰されて行く」「韓国のようになって行く」それが「悪性格差」である。

教育相続税は、国家財政に一切負担をかけずに、各家庭の教育コストを削減し、少子化問題を解決する優れた税である

この手順により、親の負担は「ゼロ」になり、少子化年金問題も一発で解決する。これは日本国民のありとあらゆる階層に利益をもたらす制度といえよう。

増大する教育コストが、賃金体系を歪め、少子化年金問題を引き起こし、ありとあらゆるムダ・矛盾の根源となり、日本経済に甚大なる被害を及ぼしているわけで、いいかげんそれを「やめさせる」という議論があって然るべきである。

いずれ自然崩壊するのかもしれないが「自然」に任せていたら、それこそ少子化と財政赤字によって「国家の方が先に崩壊する」のではないか? 結論は1つ、教育相続税を導入し、人工的に破壊することだ。

少子化問題の根源は「子供にカネがかかりすぎる」これは誰もが認めている事実であり、だからこそ与野党を問わず「子ども手当」や「児童手当」といった政策が出て来るのである。だが、残念ながら、それだけでは解決しない、その背後には、もっと根深い問題がある。

そもそも「遊興費」はダメで「教育費」なら良いのか? 教育費の方こそ底なしのガンではないのか? 本気で真剣に少子化対策を考えるのなら「遊興費」如きを目の敵にするのではなく「教育コスト削減」つまり「子供を大学や塾に行かせなくて済む社会」を構築するのが本道である。

つまり育児休業制度を「フル活用し」「その威力を存分に発揮させる」ためには、前提として「大企業か役所」に就職していなければならない。そして大企業か役所に就職するためには「やはり一流大学でないとダメだ」という事になり、ますます教育にカネがかかり、少子化が進む「全然少子化対策になっていない」と言えよう。

そもそも問題の本質は何なのか? 年功序列のオヤジが「何人もの」ムスコを大学に行かせる「家父長制度・ガクレキ封建体制」これでは、いくらカネがあっても足りない。春闘も賃上げも焼け石に水、オヤジは教育費を稼ぐため過労死し、少子化年金問題を引き起こす。 それだけ無理をしているわけである。

少子化・年金問題解決のためには「子ども手当」よりも「児童手当」よりも「教育コスト削減」が先決である。そして、教育コスト削減のためには、まず「子供を大学に行かせない」ことである。

奨学金も学割も廃止し、むしろ逆に「親のすねをかじって大学に行くと、ものすごい税金を取られる」社会にすれば、大学を諦める若者が増える。 よほどの大金持ち以外は、大学へは行かなくなるだろう。 そうやって「教育コスト」を削減する。

全額支給されるかどうかわからない、支給されたとしてもハシタ金に過ぎない「子ども手当」よりも、教育コスト削減の方が、桁違いに規模は大きい、少子化対策としても有効である。

企業はタダだから学歴を採用の基準として利用する。すると、 → 親は子供に投資せざるを得なくなる。 → その投資は客観的・合理的・効率的でない。 → 教育コストは増大する。 → 少子化年金・財政破綻。 という連鎖で、社会・経済に重大な損害を与えて行くのである。

大学・受験産業は、ガキ相手に「サムライ商法」や「殿様商売」して教育コストを増大させ、あげく少子化年金問題を引き起こし、自ら社会のお荷物=ボトルネックとなるのではなく、生涯教育の場で正々堂々と競争し、オトナの支持を得られるよう努めるべきである。

少子化対策とか称してカネをばらまいたところで「それで浮いたカネが」大学や受験産業に流れ「彼らを儲けさせるだけの結果に終わる」こんな事をしていたのでは、社会保障がうまく機能しないのは当たり前である。

長時間労働を無くすために見回りに来るのか? それよりも長時間労働しなくても良い社会を作れよ、そのためには教育コスト削減が効果的である「子供を1人前にするのにどれだけカネをかけているのだ!」過労死少子化も、すべては無理が祟っているのである。

少子化の原因は女性の産道が狭くなったためか? いや違う! 原因は「教育コスト増大」にある。 つまり一言で言うと「お前ら学者こそがボトルネックになっている」その現実を直視し、持続可能な社会=生涯学習社会に移行すべきである。

教育・学歴に課税すれば....@ 長い間親のすねをかじって大学に行った者がエラくて、A 早く社会に出て働いた者がバカにされる、B「働いたら負け」のニート的「学歴社会」が崩壊する。これによって、若者の自立が早まり社会が健全化する。そして若者の自立とともに、生涯学習社会への移行が本格化する。

@ 親のすねをかじって大学に行く事を「やめさせる」A「大学行きたけりゃ自分で稼いで行け!」と突き放す、B それを国の「教育方針」とする。そうすれば親の負担は激減し、教育問題も、少子化問題も、年金問題も一発で解決し、生活はグーンと豊かになり、教養あふれる生涯学習社会がやって来る。

たとえ貧乏人が、募金その他の救済制度の力を借り、大学へ行けるようになったとしても、その頃はもう既に金持ちは大学院に行っている。「親のすねをかじって大学に行く者」に厳しく課税し「生涯学習社会へ移行させる」それが先決である。 「働きながら学ぶ事がごく普通の生涯学習社会」では「あしなが募金」なんて、もともと不要である。

なぜなら、そのように「絞り込む」事で、逆にそれが引き金となって、生涯学習社会への移行が起こるからである。大学だって商売である。「絞り込まれた」結果、学生が激減すれば、社会人を取り込むために必死で努力するだろう。社会人を取り込む事こそが、大学が生き延びる道である。

ここにも「オヤジに負担をかける」ガクレキ封建体制が影を落としている。「ガクレキ封建体制」のおかげで、日本の労働市場は流動性を損なっているのである。「生涯学習社会」に移行したら、オヤジも子供もお互いどれほど楽になるだろうか、身軽になるだろうか? 身軽になれば、日本社会は柔軟性を取り戻す

スネかじり大学生の比率を法律で「3分の1」に規定し、それを越えている限りは年々自動的に税額が引き上げられるように、法律で定めるのだ。「オークション方式で年々教育相続税が高くなる」そうすれば、否応なく生涯学習社会への移行が起こり、真の機会均等が実現する。

課税することで、むやみな学歴取得を抑制する」そうすれば生涯学習社会への移行が起こり、貧乏人も大学に行きやすくなる、真の平等、真の機会均等が実現できる。それが私の主張する「教育相続税」である。

特記すべきは教育相続税が引き金となって生涯学習社会への移行が起こる、社会の相転移が起こる、これこそが本当の革命である。

同じ土俵にいる限り「親のすねをかじって大学に行く金持ちエリート」が必ず勝つようになっており、それが生涯教育の普及を阻害するからである。このままズルズル続けて行っても、生涯学習社会は永遠にやって来ない。だからこそ「親のすねをかじって大学に行く金持ちエリート」に厳しく課税し「少数に絞り込む」あえてそれを行う事で「我々貧乏人=下流のチャンス」が到来するのだ。

もっとも、生涯学習社会においては、親自身が大学に行くかもしれないが、それでも自分1人分、少なくとも「子供の人数Nに比例する負担」はなくなるわけだ。

忘れてはならない事がある。それは、世の中には子供が欲しくても出来ない夫婦もいるし、結婚したくとも出来ない人もいる、という事だ。そのような人たちの理解を得るためには、まず、@ 親のすねをかじって大学に行く者に厳しく課税し、A 親のすねをかじって大学に行く事を止めさせる。B 親に負担をかけない生涯学習社会にする。それをやった上で、支援をお願いするのが筋ではないか?今のままで「子育て支援」したところで、支援で浮いた金が「お受験」のために使われ、受験産業を儲けさせるだけである。

私が理想とする社会は「親知らず社会」だ。 親が知らない間に「いつの間にか息子は結婚していた」「いつの間にか大学に通っている」社会であり、生涯学習社会である。水臭いと言われるかも知れないが、進学にしろ、就職にしろ、結婚にしろ、親がしゃしゃり出てろくな事はない。

この仕組みによって否応なく生涯学習社会への移行が進み、真に教養・文化あふれる社会になる。 親のすねをかじって大学に行く金持ち「上流枠」と、働きながら学ぶ一般庶民の「下流枠」を分離する事が、最適な解決策である。

それに比べ「子供はそれぞれ自分の稼ぎで大学に行く」生涯学習社会だったらどうだろう?これだと「子供を何人作ろうが親の負担は増えない」つまり「子供の人数Nに比例しない教育費」が実現できる。

では生涯学習社会へ移行させるにはどうすればよいか? このように言うと、学生割引や奨学金を考える人が多いのだが、そんな生ぬるいやり方ではダメで

たしかに「親のすねをかじって大学に行っている奴に厳しく課税」すれば「少数の金持ちしか大学に行けなくなる」それは一見不平等な感じがするが、その結果として「生涯学習社会への移行」が起こるわけだから、むしろ機会均等という観点からも、望ましい結果をもたらすのではないだろうか?

大学だって商売である、学生が激減すれば、死に物狂いで改革を進めるだろう。保険の外交員ではないが、各企業を回り「うちの大学に来てください」と頭を下げる。そうやって生涯学習社会への移行が進む。

これまで、奨学金というと、成績が下がると打ち切られたり、返済しなければならなかったり、ろくなものはなかったが、生涯学習社会に移行し「自分でカネを払う」事で初めて、真の機会均等が実現できる。

そもそも生涯学習社会には、非行も体罰も入試もない(カネを払うのは自分であり、真面目にやらなければ、損をするのは自分である)

教育相続税を導入し「親のすねをかじって大学に行くと、ものすごい税金を取られる」社会になれば、若者は(よほどの大金持ち以外は)大学へは行かなくなるだろう。これは、憲法に定められた「教育の機会均等」に反するかというと、必ずしもそうではない事は、これまで述べた通りである(3−5 少子化対策と生涯学習社会、そして機会均等)むしろそれが引き金となり、生涯学習社会への移行が起こり、教育の機会は飛躍的に拡大する。

さらに嬉しい事に、生涯学習社会に移行すれば、オーバードクター問題も解決する(オーバードクターとは、博士号を取ったものの、企業に敬遠されてしまい、就職先がない人たちである)もちろん研究が成功すれば良いが、うまく行くとは限らない、それで自殺されたのでは、大学院まで行かせた親にとってはたまらない。 生涯学習社会に移行し、仕事と研究が両立できる社会になれば、そのような悲劇は防げる。

むしろ逆に、生涯学習社会に移行しなかったら、大学が「旧態依然の商売」を続けていたら、その方が怖い。 いずれ少子化により大学も国家もすべて潰れて行く、その可能性の方が高いのである。

企業はタダだから学歴を採用の基準として利用する。すると、→ 親は子供に投資せざるを得なくなる。→ その投資は客観的・合理的・効率的でない。→ 教育コストは増大する。→ 少子化・年金・財政破綻。という連鎖で、社会・経済に重大な損害を与えて行くのである。ガクレキ封建体制を破壊し、生涯学習社会に移行すれば、このような無駄はなくなり、正しく効率的な競争が実現できる。

生涯学習社会に移行し、親も学校も会社も、嫌ならいつでも交換できる身軽な社会になれば、自由競争の原理が働き、規則にしても、厳しさにしても、自ずと適正な範囲に収まる。

私はいわゆる「サヨクの平等論」を支持しているわけではない、平等論やバラマキでは、この問題は解決できない。 火に油を注ぐだけである。 むしろ逆に、厳しく課税し搾り取ってやればよい「少数の金持ちだけに絞り込む」「ブラックホールのように締め上げる」そちらの方向に解決の光を見た。 具体的方法としては「教育相続税オークション」を導入し、強制的に「生涯学習社会」へ移行させる。

「今しか買えない商品(今でしょ!商法)」だから法外な金を取られる、犠牲を強いられる「卒業証書のために辛抱を重ね自殺する」そんな思いまでして取得したガクレキも、社会では役立たず失業し「借金だけが残る」まさしく教育ビンボー。 生涯学習社会に移行し、ガクレキが「いつでも買える商品」になれば、そのようなムダ・横暴は抑止できる。

生涯学習社会には「非行も体罰も入試もない」カネを払うのは自分であり、真面目にやらなければ損をするのは自分だからである。 体罰をなくそうとかのキレイ事・タテマエ論も、この際どうでも良い。 時間の無駄である。 それよりもサムライ商法をぶちのめす事が先決である(体罰禁止のポーズは、サムライ商法側の時間稼ぎでもあるのだ)学歴ビジネス=サムライ商法の力が弱まれば、体罰は確実に減る(少なくとも理不尽な体罰はなくなる)

他の資産運用と比較すれば、学問は実利一辺倒になってしまうのだろうか、そんな事はない。 むしろ成熟した生涯学習社会を迎えてこそ初めて学問の自由・多様性が保証される。(親のすねをかじっている限りは「良くて就職のための道具」それ以上の物にはならない)

@ 重厚長大から、軽薄短小へ、A 春闘賃上げよりも、低賃金でもやって行ける真に豊かな社会へ、B 年功序列のオヤジが何人もの息子を大学に行かせるガクレキ封建体制から、子供はそれぞれ自分の稼ぎで「勝手に」大学に行く生涯学習社会へ、

生涯学習社会に移行すれば、その様な事はなくなり「興味を持ったらすぐ学べる」タイムリーな対応が可能となる。 さらに生涯学習社会においては「科目単位の切り売り」が主流となる

この問題の解決策は2つある。 まず1つめは「虐待された子供は授業料無料でしかも生活費も援助して国が大学まで行かせてやる」方法である。 だがこれには莫大なカネがかかり、子供手当すらも支給困難な現状を鑑みれば非現実的である。 ※ もう1つの解は「ガクレキ封建体制を破壊し生涯学習社会へ移行させる」方法、これだと国民の負担は小さい、これが本書の主張する「教育相続税」である。

少子化の原因は女性の産道が狭くなったためか? いや違う! 原因は「教育コスト増大」にある。 つまり一言で言うと「お前ら学者こそがボトルネックになっている」その現実を直視し、持続可能な社会=生涯学習社会に移行すべきである。

社会人学生を優遇するといっても、それは学生割引を実施したり、奨学金を支給することではない。 そうした制度は必要ないし、一銭も金を使う必要もない。「親のすねをかじって大学に行く者」に厳しく課税すれば「相対的に」社会人学生を優遇した事になるからだ。

奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになっても、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、金の力にモノを言わせ、さらにその上を行くものである。 結局のところ、やたらと高学歴化を進め、社会全体の教育コストを増大させるばかりで、平等は実現できない。奨学金といえども結局「バラマキ」に過ぎないわけである。

これまで左翼は、学校増設、入試改革、奨学金制度によって平等を実現しようとしてきた。しかし、冷静に考えて、このやり方で平等は実現できるのかと言えば否である。みんなが高校・大学に行けるようになっても、いわゆる名門志向型の受験地獄はなくならないし、貧乏人が大学に行けるようになったら、その頃はもう金持ちは大学院に行くのが当たり前になっているだろう。

いつまでたってもイタチごっこ、平等なんて永遠にやって来ない。 それどころかますます高学歴化が進み、イヤな社会になって行く。 国民の負担は重く教育ビンボーになるばかりだ。 教育費を稼ぐためオヤジは過労死し、そして少子化・年金制度の破綻を引き起こす。

卑近な例で言うなら、借家人の息子が奨学金の助けを借り大学に行くようになれば、それに危機感を抱いた大家は、息子を大学院や難関大学に行かせるだろう。 結果教育コストは増大し、巡り巡って家賃が値上げされるのだ! すると貧乏人はますます窮地に追い込まれる。

奨学金も学割も廃止し、むしろ逆に「親のすねをかじって大学に行くと、ものすごい税金を取られる」社会にすれば、大学を諦める若者が増える。 よほどの大金持ち以外は、大学へは行かなくなるだろう。 そうやって「教育コスト」を削減する。鬼のような事を言うが、それが正しいやり方である。

果たして奨学金は平等を実現しただろうか? 奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、塾だとか家庭教師だとか、カネの力にものを言わせ、さらにその上を行くものである(子供の塾通いのために自家用ジェットだって飛ばすのだ)また新たな差別化手段「エリート名門」が生み出されるだけである。 平安貴族の化粧ではないが、人を驚かせ畏怖させるまた何かを持ち出して来るだろう。

何せカネモチを刺激すると、教育コストは増大する一方である。 それが巡り巡って我々労働者に跳ね返って来る。 国民負担は増大し、相変わらずの長時間労働、そして本当に大学に行く必要のある社会人が、大学に行けなくなる。

そもそも平等なんて最初から無理な話、もういい加減、目を覚ましてはどうなのか、もういい加減バラマキをやめ、土地財産同様「教育・学歴」にもフツーに課税してはどうなのか?それが最終的解決手段、健全な社会を実現する。

これまで、奨学金というと、成績が下がると打ち切られたり、返済しなければならなかったり、ろくなものはなかったが、生涯学習社会に移行し「自分でカネを払う」事で初めて、真の機会均等が実現できる。

奨学金は、返済の要否を問わず、もはや時代遅れである。

扶養手当、児童手当、扶養控除、学割、少年法、児童買春、児童虐待、児童ポルノ、あしなが募金、奨学金、etc. .... プトレマイオス的、ごちゃごちゃ複雑で中途半端な救済・保護制度よりも、国家が子供を養う=子供中心の地動説を導入すれば、それで一発すべて解決し、複雑な事務手続きも要らなくなり、大幅なコスト削減になる。

金持ちばかりが大学に行き、貧乏人は大学に行けない「不平等だ」「俺たちも大学に行かせろ」と主張するのは賢明ではない。 なぜなら奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、さらなる付加価値を求め「もっと金をかけ」「さらにその上を行く」のは当たり前、イタチごっこ、平等なんて永遠にやってこない。 また新たな差別化手段、エリート名門が生み出されるだけである。

教育コストの増大は、少子化・年金問題を引き起こし、国家財政を破綻させ、国民をますます苦しめる。もはや奨学金云々の次元ではない「ガクレキに課税しろ!」と主張するのが正しい。

奨学金なんてもう言うな「穴を広げる」だけである。 「教育格差」をなくす正しい方法は「奨学金ではなく教育相続税」である(簡単な事である、ガクレキも土地財産と同等に扱えばよい)

少年法にしても、児童買春にしても、児童ポルノにしても、これらゴタゴタした複雑な救済制度は、いずれも副作用のキツイ、いわく付きの制度である。

少年法の弊害は言うまでもないが、それ以前に、本当に少年法は、少年を守っているのか?虐待された少年が家に火を放った、そういう場合には少年法が守ってくれるのかもしれないが、子供が保護者を選択できるようになっていれば、虐待され苦しむ事も最初からなかったし、家族も巻き添えを食らわなくて済んだのだ。

児童買春、援助交際? そんなものは姦通罪で処罰すれば、一発でなくなるものである。イスラム諸国のような死刑はやり過ぎだが、買う側を処罰するなら売る側も(自分の意志である限りは)同様に処罰するのは当然で、両方処罰してこそ初めて効果が上がるものである。いつまでも「子供=被害者」扱いによる弊害は、少年法と同様である

一方では「子供が被害者と成らざるを得ない劣悪な環境を放置し」また一方では「一律に被害者扱い=劣悪な環境のせい」にする。 前者は前者で問題だが、後者は後者で、子供の判断を狂わせ、弊害をもたらす、まずいやり方である。

児童買春についてはさらに年齢の問題もある、高校生にもなって何が「児童」なのかと不思議に思う人も多いが、これは高学歴化により若者の自立が遅れているためである。(この先ますます高学歴化が進めば、同様に「少年法の延長」も考えざるを得なくなる)

凶悪な少年犯罪があるが故に、少年法を廃止(縮小)せよという意見もある。 だが「子供は親を選べない高学歴化により親の影響がさらに大きく、子供の人生に「より決定的」「壊滅的」影響を与えるようになり、しかも劣悪な環境や虐待がなくならないならば、廃止どころか「マジで延長」せざるを得なくなる。

「大学に行かないとロクな仕事に就けないよ」「ますます格差は広がるだろう」とか言って恫喝するのが、サムライ商法の常套手段、そうやってカネを搾り取るのである。

すべての職業は社会に必要とされているものである、稼ぎの善し悪しだけで安易に、勝ち組負け組、上流下流に分類する職業観とはいかがなものか?

例えば大工になりたい、重機を操作する仕事に就きたいという小学生がいたら、大人は「そんな仕事は下流だ」と言って笑うのだろうか? 大企業に入るだけが勝ち組なのか、皆がそれを目指して殺到するのか? 子供がヤル気を失うのは、豊かになった社会というのもあるが、それ以上に大人の歪んだ職業観・歪んだ上流志向が原因ではないのか?

あんな職業はダメだ、こんな職業はダメだ、一流大学を出て大企業に入社する以外は、すべて負け組であるというような考え方を刷り込まれれば、ヤル気を失い、もはや努力自体を放棄する者も出て来る。

唯一健全な競争と言えば「早く卒業して社会に出る」という事であろうか、とはいえそれは「長い間親のすねをかじって大学に行った者がエラくて」「早く社会に出て働いた者がバカにされる」ガクレキ封建体制の価値観と真っ向から衝突するものである。

そもそも女性はなぜ、子供を預けてまで働こうとするのか、それは子供を大学に行かせるための貯金である。 つまりばらまいた「補助金=我々の納めた税金」はそのまま「サムライ商法=大学・受験産業」に流れて行くわけで(高学歴化にはつながっても)少子化対策にはなってない、まずこの流れを断ち切るのが筋ではないか?

女性が働く事を否定するわけではないが、女性の社会進出男性が仕事を失い、あるいは賃金が下がれば結婚できなくなる。 少子化対策として見る限り、女性の社会進出は、プラスともマイナスとも言い切れない。 それよりも「女性を安い賃金で働かせ、サムライ商法が吸い上げる」という構図には、終止符を打つ必要がある

私は女性の社会進出には賛成である「稼げる女性」はどんどん社会に出ればよいと思っているが、補助金は廃止すべきである(女性が働くのは良いが、それよりも「補助金に群がるシロアリ退治」が先である)

本気で女性の社会進出を進めたいなら、まずは「男性が過労死寸前まで働かなくてすむ社会」にすることである。 それはつまり「オヤジに負担をかけない社会」で、それを実現するためには、

結局、オヤジのためにも、子供のためにも、そして女性の社会進出のためにも、さらには労働市場の流動性を高め日本経済を活性化させるためにも、真っ先に「ガクレキ封建体制を破壊する」ことだ。

国家が子供を養う制度、それは教育だけにとどまらず、産業・労働・経済にも影響を及ぼす。「親は子供を作るだけ」になれば、給料が安くてもやって行けるので、年功序列や終身雇用のような企業の負担となる硬直した制度も要らなくなり、その分、生産性も向上する。失業保険だって要らなくなる。 私は転職したことがあるが、給付を申請しても待機期間とか給付制限期間とか言って、なかなか払おうとしない。 失業保険なんかに加入するよりも、そのカネを銀行に預けていた方が、すぐ引き出せるだけましである。

国家が子供を養うようになれば(そして女房も子供も、勝手に生きて行く社会になれば)失業保険など不要になり、役人を大幅に削減できるだろう。

「週休3日制」は一種のワークシェアリングでもある。 これが社会の隅々にまで普及すれば、失業問題も解消し、生活保護の増加も防げる。

そもそも教育というものは、失業問題の解決につながるのだろうか?その答えは、イエスでもあり、ノーでもある。

だがそれでもって「教育失業問題を解決する」と言えるかといえばノーである。では、すべてのホームレスを大学に行かせれば「失業問題」はこの世から消え去るか?そんな事はない。

教育は個人レベルでの失業問題の解決や、個人レベルでの収入増につながるかもしれないが、社会全体としての失業問題には無力であるし、社会全体の豊かさにつながるかも不明である。 社会の発展に正しくつながれば良いのだが、単なる見栄の張り合い、無意味な学歴獲得競争に翻弄され資源を浪費するだけに終わるのかもしれない。 だから教育失業問題の解決につながるかどうかと問われれば「イエスであると同時にノー」としか言いようがない。 むしろ下手に高学歴化してしまうと教育コストが増大し、少子化が起こり、財政は悪化し、福祉は後退し、それこそ国を滅ぼして行くシナリオも考えられる。

さて、失業問題の本質は何なのか、突き詰めて行くと、こういう事である。「無駄をなくそう」とか「生産性向上」などとよく言われるし、本書でもその様な事を書いている。 それと矛盾するようだが、ムダもまた必要なのである。

失業者が町中に溢れたのでは、社会は不安定化する。そこで、スポーツだとか、レジャーだとか、ゲームだとか、ネットだとか、新しい遊びが生まれ、それに金と時間を費やす事で、新たな雇用が生まれる。

さて、そのような観点から「教育」というものを再度検証してみると「余剰労働力の吸収体」「雇用調整機関」としての「学校」は、日本経済の安定を支えて来たともいえる。

ガクレキが「今しか買えない商品(今でしょ!商法)」だから法外な金を取られる、犠牲を強いられる「卒業証書のために辛抱を重ね自殺する」そんな思いまでして取得したガクレキも、社会では役立たず失業し「借金だけが残る」まさしく教育ビンボー。 生涯学習社会に移行し、ガクレキが「いつでも買える商品」になれば、そのようなムダ・横暴は抑止できる。

これはブラック企業だけでなく、最低賃金制度でも、偽装請負でも言える事だが、いくら法律で規制してもなくならない。 むしろ規制が厳しくなる事で逆に「失業する」あるいは「希望する職業に就けなくなる」可能性もある。 私はIT業界に勤めているが、偽装請負を厳格に禁じたら私の仕事は無くなってしまうかも知れない、もしそうなったら国が代わりに雇ってくれるのか「生活保護」してくれるのか、政治家も役人も何考えているのだ!

そんな中、いまだに「独占的強権」を握り、子供の人生を弄び、虐待し殺しまくっているのが親である。 つまり「人権擁護法」よりも「児童ポルノ法」よりも「少年法」よりも、まず親権にメスを入れる事こそが、人権を守る一番正しい、確実なやり方である。

親権があまりにも絶対的で強力すぎるため、子供は何も対抗出来ない。 そこで様々な救済制度が存在する。 だがこれらも本当に子供のためになっているのか、子供を正しく導くことが出来ているのかと言えば、疑問である。少年法にしても、児童買春にしても、児童ポルノにしても、これらゴタゴタした複雑な救済制度は、いずれも副作用のキツイ、いわく付きの制度である。

さて次は、児童ポルノだと?子供の水浴び写真を持っているだけで逮捕されるのか?子供時代の自分自身、あるいは古い先祖の写真でも疑われるのか?まったく、変な法律をゴタゴタ作るばかりで、実効性がまるでない「何やってんだ」「バッカじゃねえの」としか言いようがない。国家が子供を養うシンプルな制度になれば、そんな問題は一発で解決する。

児童ポルノにしろ、従軍慰安婦にしろ、サーカスにしろ、そのほとんどは親が売っているのである。 もっとも、子供を売るなんて事が常態化すれば、なかには誘拐や強制連行といった事例も出て来るのかも知れないが、それはあくまで少数派、ほとんどは貧困と親の問題、根本的に「親」に問題がある。

さらに問題は児童ポルノだけではない、世界に目を向けると、そこには劣悪な環境で働かされている子供がいる。 児童労働少年兵の問題も深刻である。国が豊かになり、学校が建設されると、それで終わりかというと、決してそうではない。それはまたそれで受験戦争が勃発し、子供は殴られ虐待される(日本に限らず、どこの国でも同じである)

扶養手当、児童手当、扶養控除、学割、少年法児童買春、児童虐待、児童ポルノ、あしなが募金、奨学金、etc. .... プトレマイオス的、ごちゃごちゃ複雑で中途半端な救済・保護制度よりも、国家が子供を養う=子供中心の地動説を導入すれば、それで一発すべて解決し、複雑な事務手続きも要らなくなり、大幅なコスト削減になる。

それとも貴方は、子供の水浴び写真を持っているだけで逮捕される「ビクビクした世界」の方がお望みだろうか? 「最大の虐待者は親である」という現実から目をそらし、一部変質者のせいにしようとする「児童ポルノ」それが巡り巡ってブーメランである。

児童ポルノ法が、実際の子供を守るよりも表現物規制に走りがちなのは警戒する必要がある。 またそもそもポルノとは何か、感じ方は人それぞれ、明確に定義できないという問題もある。

そもそも虐待は児童ポルノだけではない。 暴行やネグレクト、はては精神的虐待まで様々である。 しかも「すべての虐待から一挙に子供を救う方法が既に存在する」にもかかわらず、児童ポルノにばかり固執するのは、他に目的があると思われても仕方ない。

こうした根強い学歴差別を解消するためには「これまでにない発想」「新しい思想」が必要である。つまり、これまでの、いわゆる「左翼的平等論」では対応できない、ということだ。

実は、日本のエリートは単に丸暗記がうまく、要領が良いというだけで、肝心の思想を持っていない。 自ら思想をつくって社会の役に立つなど、とてもできはしないのだ。

だが、これまで聖域であった教育にメスを入れるのは、与野党とも容易ではない。「大学に行く事をやめさせる」と言っても、真っ先に引っかかるのが、憲法に定められた「教育の機会均等」である。 これをどう解釈しどう扱うか、核となる思想がなければ、政治家は何も出来ない。 その思想を提供するのが本書の目的である。

結局「思想がないから」何1つ問題を解決できず、対症療法に終始しているのである。では日本を救う「思想」とは何か? 日本を救う「思想」となるべき条件は何か?それは「受験地獄を解決できる思想」である。 受験地獄―――こればかりはどんな高僧も解けなかった難題、すべてはそこから始まっている。

保守も、革新も、問題解決能力がない。少子化問題を解決するためには「冷戦時代の枠組みを突き破る新しい思想が必要である。

今日における日本の停滞は、永田町の機能不全にもよるが、それ以上に致命的なのは、政治家に思想がなく、何をどうすれば良いか分かっていない事である。政治家は時として「鬼のような」事を言わねばならない、しかしそれを言うためには、思想がなければならない。 思想がないから、目先の人気取りに終始し、失敗するわけである。

丸暗記ばかりで思想のない人間を作るから、オウムのような宗教にやられるわけである。

思想がない」それは「紀元前BCと同じ」ベンハーの奴隷船である

「では、貧乏人を搾取するのではなく『金持ち税(富裕税)』を導入して、それを奨学金の財源にすれば良い」と言う人もいるだろうが、結論を言うとそれはダメである。 それをやると、金持ちは「一枚岩」となって対抗し、結果として貧乏人に跳ね返って来るだけである

金持ち税(富裕税)」というと聞こえは良いが、結局それは家賃や商品の価格に転嫁(上乗せ)され、最終的に(弱い立場の)貧乏人に跳ね返って来るものである。 これはいわば金持ちが構築した「搾取集金システム」の上に、さらに非効率な「役人」や「学者=サムライ商法」が乗っかって来る事を意味し、貧乏人はますます搾取される。 むしろ「金持ち税(富裕税)」イコール「貧乏人税」と認識した方がよろしい。

では大学の授業料を無料にすれば良いではないか」と主張する人もいるが、どうだろうか? 大学の授業料を無料にするために税金が高くなり、結局これもまた、形を変えたバラマキであり、本質的解決にはならない。

国家が「税金取るぞ!」という姿勢を示せば、過剰な学歴中身のない学歴は、たちどころに消えてなくなるだろう。

但し税制度全体のバランスを考えたとき、実はもう1つが必要である。 それが先に触れた「学歴税」である。 これは他のとのバランスを取るためのものである。

念のために言っておくが、固定資産税は「家を持っている金持ちだけが支払っている税金」ではない。 借家人も家賃という形で、間接的に支払わされているのである。おそらく大家は「空き家の分まで」家賃に上乗せしているだろう。

特に親のすねをかじって大学に行っている奴には厳しく課税し、 @親のすねをかじって大学に行く事を「やめさせる」A「大学行きたけりゃ自分で稼いで行け!」と突き放す、Bそれを国の「教育方針」とする。 そうすれば親の負担は激減し、教育問題も、少子化問題も、年金問題も一発で解決し、生活はグーンと豊かになり、教養あふれる生涯学習社会がやって来る。

教育相続税は、安っぽい正義を振りかざすではない。 社会の流れを変えるムチとしてのである。

政治家は恩着せがましく、バラマキをやろうとする。 だがバラマキをやれば「ばらまいた分だけ」「いやそれ以上に役人の人件費が加わり)」税金が高くなり、生活を圧迫するのは確実、何してるこっちゃ分からない。

オムツやミルクを無料にするために、税金が高くなり、オムツやミルクを配るために、役人が増える―――まったくもって愚の骨頂である。

教育に対する投資を否定するわけではないが、少なくとも「聖域扱い」は良くない。他の投資と「対等に比較し」「課税されるべきもの」と私は考える。

親のすねをかじって大学に行く者」に厳しく課税し「生涯学習社会へ移行させる」それが先決である。

スネかじり大学生の比率を法律で「3分の1」に規定し、それを越えている限りは年々自動的に税額が引き上げられるように、法律で定めるのだ。 「オークション方式で年々教育相続税が高くなる」そうすれば、否応なく生涯学習社会への移行が起こり、真の機会均等が実現する。

そもそも、生活必需品である「家」にまで課税されるのに、なぜ贅沢品にすぎない学歴に課税されないのか?

親のすねをかじって大学に行く金持ちエリート」に厳しく課税し「少数に絞り込む」あえてそれを行う事で「我々貧乏人=下流のチャンス」が到来するのだ。

【手順1】教育相続税を導入し、親のすねをかじって大学に行く事を止めさせる。(大学・受験産業へのカネの流れを断ち切る)

むしろ我が国は、逆に課税する事で「過剰な学歴」「中身のない学歴」を減らし、リストラを進めるのが正しい方向性である。

教育にしろ、福祉にしろ「見かけ上の改善」を考えている政治家はたくさん居るが、見かけ上は良くなっても、そのために税金がグーンと上がるのでは意味がない。

教育相続税は「親のすねをかじって大学に行く」事を一種の「贈与・相続」と見なして厳しく課税するだ。 それは、親の見栄メンツのための学歴取得を抑止し、若者の自立を促し、良好な親子関係を築くためのだ。

奨学金も学割も廃止し、むしろ逆に「親のすねをかじって大学に行くと、ものすごい税金を取られる」社会にすれば、大学を諦める若者が増える。 よほどの大金持ち以外は、大学へは行かなくなるだろう。 そうやって「教育コスト」を削減する。鬼のような事を言うが、それが正しいやり方である。

累進性逆進性か」よりも「跳ね返らないが「良い税」である。

不平等」を訴えるのなら、むしろ金持ちを敵に回すのではなく「土地財産にばかり課税され、ガクレキには課税されない」という現行制度の「不平等」を訴え、金持ちを味方につけた方が賢明である。

そもそも女性はなぜ、子供を預けてまで働こうとするのか、それは子供を大学に行かせるための貯金である。 つまりばらまいた「補助金=我々の納めた税金」はそのまま「サムライ商法=大学・受験産業」に流れて行くわけで(高学歴化にはつながっても)少子化対策にはなってない

人は無意識のうちに「身分制度」を目指すのだろうか? 東大に入れば、弁護士になれば、大企業に入れば、公務員になれば、正社員になれば、一生安泰なんて考え方は実は「身分制度」当人は難しい試験に合格して能力主義のつもりだろうが、果たしてその様な社会は良い社会だろうか?

よって格差を無くすためには、正社員を減らすのが正しいと考える。 (政府には、もっと正社員を減らしリストラを進めるように、企業を指導してもらいたい、間違っても正社員を増やせなどと言ってはいけない)

正社員を増やし生活を安定させよう」などと言うのは、少子化対策としては全くのナンセンス、むしろ無理に「正社員を増やそう」と中途半端な事をする、それもまた新たな格差・歪みの原因である。

格差を無くす正しい方法は、正社員を減らし待遇を下げる事である。

国家が企業に正社員を増やすように圧力をかけるのは間違っている。 それは本来国が行うべき社会保障を企業に押しつけているに他ならない。

国の社会保障がうまく機能しなくなると、右も左も(保守も革新も)「大家族を復活せよ」とか「正社員を増やせ」とか主張するが、それは無責任というものである。 そもそもなぜ社会保障がうまく機能しないのか、その原因を考えずに「家族や企業に社会保障を押しつけても」うまく行かない事に変わりはない。

教育コスト削減」それが本当の少子化対策「正しく機能する社会保障」これこそが国家が存在する意義である。

あるいは、待機児童という妙な問題がある。 貴方はおかしいとは思わないか? フツーに考えて、保育園が、需要があり儲かるものなら、資本が参入し、コンビニエンス・ストアーのように、黙っていてもどんどん増えて行くはず、そうならないのはなぜか?

つまりばらまいた「補助金=我々の納めた税金」はそのまま「サムライ商法=大学・受験産業」に流れて行くわけで(高学歴化にはつながっても)少子化対策にはなってない、まずこの流れを断ち切るのが筋ではないか?

それよりも「女性を安い賃金で働かせ、サムライ商法が吸い上げる」という構図には、終止符を打つ必要がある

私は女性の社会進出には賛成である「稼げる女性」はどんどん社会に出ればよいと思っているが、補助金は廃止すべきである (女性が働くのは良いが、それよりも「補助金に群がるシロアリ退治」が先である)

親のすねをかじって大学に行かせてもらう」それしか実質的に道のないガクレキ封建体制は、子供にとって抑圧的で、管理教育や体罰、虐待など様々な人権問題を引き起こしてきた。 問題はそれだけではない。 ガクレキ封建体制は、オヤジにとっても決して楽ではない。

体罰だけでなく、やたら競争を煽り叱責する事も同様である。

競争が無くなれば、学生は勉強しなくなるか、そんな事はない、そもそも生涯学習社会には、非行も体罰も入試もない(カネを払うのは自分であり、真面目にやらなければ、損をするのは自分である)競争競争と言うが、そもそも食堂が客に早食い競争させるだろうか?(うまいものを作り、教授法を研究し、客や生徒を奪い合う事こそが真の自由競争である)

要は「子供が親権を選択できるかどうか」「自由競争が働いているか」がミソ、核心であって、別に体罰を禁止する必要はない。

私の主張内容は、いわゆる巷の体罰肯定論とは、次の3点で大きく異なっている。

前項では「体罰禁止」よりも「自由競争」をちゃんと機能させることが重要であると述べた。しつけと称した虐待を行う親がいるからと言って、しつけそのものを否定はできない。

体罰禁止のタテマエが裏に潜った闇の体罰を蔓延らせる結果になっては本末転倒である。また体罰以外にも精神的虐待など数えればきりがない。 体罰を禁止するのではなく、風通しを良くする、親権にも「自由競争・市場原理」を導入すべきというのが本書の主張である。

体罰そのものよりも、子供を一流大学に入れたいとか、アスリートにしたいとか、親の見栄・エゴの方こそが問題、それは何も体罰に限った話ではなく、精神的虐待も同じ。

本書は「すべての体罰を否定する」いわゆるサヨクのドグマではなく「行き過ぎを防ぐために」「親権にも自由競争を導入する」「風通しを良くする」という方向の主張である。

アメリカでは地域の実情に合わせ、体罰が認められている州もある。 そのような州では、パドルと呼ばれる「尻叩き用の板」が用意されている。 ただ逆に言えば、アメリカの学校は一定のルールの下に体罰を行い、しかも尻しか叩かないので、生徒が死ぬ事はない。

そもそも、アメリカとは異なり、体罰が禁止されているはずの日本で「死人」や「大ケガ」「自殺者」が多発するのはなぜなのか? 表向き禁止しながら裏で黙認する―――これは一番よろしくない無法状態なわけで、まず認めた上で、厳しく規制して行くというのが正しいやり方である(我が国の場合は、むしろ体罰を認めた瞬間が文明開化とも言える)

さらに、表向き体罰が禁止され、アングラ化した日本では、どのような場合に、どのような方法で体罰を行うのか基準がなく「何でもあり」である。 それゆえ単に悪い事をしたから殴られるというだけでなく、一流大学に入れるためとか、アスリートにするためとか「親の見栄エゴ丸出し」の体罰まで揃っている(ガラパゴス化した様々な体罰の博覧会と化している)

いちがいに体罰がいけないとか言っているのではない。 それよりも最終的に、

マスコミは体罰体罰と騒ぐが、体罰そのものよりも、その裏に隠れた「客寄せパンダ問題」に着目する必要がある。

世界には、子供の尻をひっぱたいただけで警察に捕まる「家庭体罰禁止」の国もある―――むしろ、そうなってしまわないために「子供が保護者を選択する」「信任する」制度は必要不可欠である。

雇用調整機関」としての「学校」は、日本経済の安定を支えて来たともいえる。 若者にとっては、何のための勉強か分からない辛い側面があり、非行に走ったり、あるいは体罰やいじめなどの人権問題が発生したりする事もあるが「コントロール可能なムダ」として、なおかつ「たまには役立つ教育・学問」は優れた性質を持っている。

そもそも子供が、イジメや、理不尽な体罰に耐えているのはなぜなのか、それはガクレキ、つまりサムライ商法が力を持っているからである。ガクレキが「今しか買えない商品(今でしょ!商法)」だから法外な金を取られる、犠牲を強いられる「卒業証書のために辛抱を重ね自殺する」そんな思いまでして取得したガクレキも、社会では役立たず失業し「借金だけが残る」まさしく教育ビンボー。

生涯学習社会には「非行も体罰も入試もない」カネを払うのは自分であり、真面目にやらなければ損をするのは自分だからである。 体罰をなくそうとかのキレイ事・タテマエ論も、この際どうでも良い。 時間の無駄である。 それよりもサムライ商法をぶちのめす事が先決である(体罰禁止のポーズは、サムライ商法側の時間稼ぎでもあるのだ)学歴ビジネス=サムライ商法の力が弱まれば、体罰は確実に減る(少なくとも理不尽な体罰はなくなる)

私は畏れ多くも「国公立」という言葉に体罰を連想する。 金持ちは入試科目の少ない早稲田や慶応に行き、貧乏人は殴られながら帝国大学を目指すというのが当時のパターンであった

私が子供だった頃に比べれば、体罰や人格否定は、少なくなってきている、しかしやっている事は、今もそれほど進歩していない、不安をあおり、勉強しろと強迫しても、いまさらだれも勉強しないし(深刻に考えてもノイローゼになるだけ、それで淘汰されるわけである)

受験勉強に追われ、読みたい本も読ませてもらえない、知的好奇心まで抑圧される。 そして日本人にとってピークとは「合格して入学した」それで終わってしまうのである。 勉強好きの子供をわざわざ勉強嫌いにして行く「後が続かない」まずいシステムである。

私は体罰や強制の全部を否定するわけではないが、とはいえ体罰ふるいまくらねばならない教育制度だとしたら(知的好奇心を刺激する指導方式にいつまで経っても移行できず永遠に脅し殴り続け、動物の調教のような事を続けなければならないのならば)もうそんな教育制度は社会にとって必要ないものなのだ。

これまでは、一流大学に入り「寄らば大樹の陰」とばかり大企業に入社する事が、お決まりのエリートコースであったが、優秀な人材が「寄らば大樹」を選択するのは良くない傾向である。 「教育相続税」を導入すれば、そのような体制に風穴を開ける事が出来る。今後は、中小企業でも、生涯教育に理解を示す企業が、一流企業として伸びて行くだろう。

つまり高学歴化による教育コスト増大、賃上げ圧力が、賃金を高騰させ、労働組合の強い大企業と中小企業の格差を生み、さらに産業・技術の空洞化・海外移転を加速し、また一方では少子化の原因ともなっている。

そもそも自営業には、有給休暇も育児休暇もない。 大企業や役人だけでなく、中小企業や自営業の人たちも含めて、休みやすい環境を作る事が重要である。

もう一度言う「子供を養い大学に行かせる重荷」から解放され身軽になれば「有給」などというたいそうな制度などなくても、オヤジは自分の甲斐性で、いくらでも休む事が出来る。 また会社は、複雑なコスト計算が不要になり、省力化につながる。 そして、なによりも優れているのは、この政策は、大企業や役人だけでなく、中小企業や自営業にも、有効である点である。

そのような法律は、経営基盤の強い大企業・役人だけに有効であり、中小企業には効かない(いくら権利を主張しても会社が潰れればどうにもならない)結局どうなるかというと、なまじ「クビに出来ない法律」があるがために、大企業の「仕事の出来ない奴」を辞めさせる事が出来ず、代わりに下請け社員が振り回され、こき使われる事になる。また別の意味での格差ブラック問題を引き起こす。

私は、春闘も賃上げも不要と考えている。 そもそも、生産性が向上したのなら、安くて良いものが手に入るようになるはずだから、別に給料が上がらなくても、生活は豊かになるはずではないか? むしろ労働組合が変に頑張って、ガンガン給料を上げたりするから、歪が生じ「大企業と中小企業の格差」「正社員と派遣社員の格差」を生む。 さらに正社員が「既得権化」することで「雇用の流動性」が損なわれる

では少子化対策として、フランスのように、第3子以降を優遇するか? しかしこれも、日本ではうまくいかない。 企業別労働組合である日本では、大企業と中小企業の格差は歴然としている。 子供を3人育てるなんて大企業の社員しかできない。 必然的にこれは「大企業優遇の制度」となり(格差を広げる事にはなっても)少子化対策にはならない。

「格差」を是正しようとしても、本当の解決にはならない。 その理由を説明しよう。 そもそも下流の人たちすべてを中流に引き上げる事など出来ない。 仮にやろうとしても、中途半端な結果に終わるのは目に見えている。 もし中流が増えたら、物価の水準が上がってしまって、下流が苦しむことになる。

これからは「中流」はなくなり「ますます少数に絞り込まれたエリート」と「大多数の凡人」という社会になって行くだろう。それを「格差」ととらえるか「平等」と捉えるかは、考え方次第である。コンピュータプログラマ(=下流)である私なんぞは、むしろ邪魔な中流(=大企業勤めの年功序列のオヤジ)がいなくなって行くのは、むしろ喜ばしい事なのだが!

そもそも中流意識って何なんだ、自分よりも下がいると安心することか? これでは部落を作り出した江戸時代と変わらない。

これまで「中流層」は自民党を支持し「上流」の側についていた(つまり「下流」の事など考えていなかった)ところが少子化が起こり、経済情勢が悪化し、自分たち中流も「下流」に突き落とされると分かってきた、そこで「格差社会批判」「アベノミクス批判」を始める。ずいぶんと身勝手なものである(私はプログラマ=下流だが、安倍政権を支持する、役に立たない中流層=年功序列のオヤジはどんどん突き落としてやってくれとしか思わない)

上流や中流などどうでも良い、下流の生活水準がどこにあるか、それが日本の「本当の国力」である。 日本の下流は中国の中流、あるいは北朝鮮の上流以上という比較なら意味はあるが、同じ日本人でありながら中流意識って何なんだよ、中流を増やせだと? 自分よりも下を作りたいのか?

私のような「コンピュータプログラマ=下流」にとっては、むしろ「格差是正」を口実に「中流=年功序列のオヤジ」が息を吹き返す事の方が憂鬱である。

中流層が大量に引きずりおろされる事によって、平均が下がり、下流との差が縮まって行く。 それは見方を変えればむしろ良い傾向であり、当然の成り行きであり、より平等に近づいているともいえる。 必ずしも悲観するような悪い方向ではなく、うまくやればむしろ良い社会を作ることが出来る。

中流なんていうのは、本来は存在しないし、存在してはならない階層である。もしも無理に「中流」を作り出そうとすれば、それこそ下流の人たちの犠牲、搾取の上に成り立った中流ということになる。

良性格差(その2)中流層が引きずり下ろされる事により、数値の上で格差が拡大した。→ アメリカにおける中流層の凋落、日本における年功序列の崩壊。だが冷静に考えて、これらは、年齢や資格、学歴、大企業社員というだけでこれまで「無条件に高い給料をもらっていた」連中が、引きずり下ろされたわけだから、むしろ喜ばしい事ではないか?(格差が拡大したのではなく、むしろ是正されたと解釈すべきである)

なぜならば、これまで述べたように、すべての下流中流に引き上げる事などできず、結局のところ中途半端で不公正な結果を招くのが目に見えているからだ。資本力があり、なおかつ労働組合の強い大企業において、格差是正を口実に「年功序列」が復活するだけだ。それは、格差是正を口実に新たな格差が作られる事に他ならない。

大学・受験産業は、ガキ相手に「サムライ商法」や「殿様商売」して教育コストを増大させ、あげく少子化・年金問題を引き起こし、自ら社会のお荷物=ボトルネックとなるのではなく、生涯教育の場で正々堂々と競争し、オトナの支持を得られるよう努めるべきである。

そのおごりは「殿様商売」というかたちでもあらわれる、例えば「大学でコンピュータを学びたい」という人がいたとして、従来ならば「合格するためには歴史年号の暗唱から始めなければならない」という制度であった。

入試科目数については、近年は少子化の影響により減少傾向にあるが、では少子化問題が解決し志願者が増えれば、大学は再び「殿様商売」に戻るのだろうか? 再び「歴史年号の暗唱」を要求して来るのであろうか、そうさせないためには教育相続税が必要である。 (つまり「少子化にリンクしない形で」「常に大学を飢餓状態に置く」わけである)

国公立大学は授業料が安いと言うことで、これまで殿様商売は大目に見られて来た(国公立は入試科目が多く、かつては「四当五落」とも言われ、子供は睡眠時間を削り「合格のために殴られてきた」私は畏れ多くも「国公立」という言葉に体罰を連想する。 金持ちは入試科目の少ない早稲田や慶応に行き、貧乏人は殴られながら帝国大学を目指すというのが当時のパターンであった)だがそもそも国公立は本当に安いのか? 国公立は税金で運営されている「親方日の丸意識」ゆえに実際のコストは、私大よりも高いのではないか?

そもそもなぜTPPに反対するのか、日本の農業だって決してアメリカに負けないはずである。 もしアメリカに負けてしまうとしたらその原因は何か? その1つに無駄に教育コストが高いというのがある(いまや「百姓もサムライ」ムスコを大学に行かせるのに必死である)

そもそも人間は道具を使う生き物であり、コンピュータを使えば良い(自らの手を蹄に進化させる必要はない)少なくとも単純な記憶・計算能力に関しては既に陳腐化している。 ※ それに加え、天才とキチガイは紙一重と言われる通り、良すぎる頭にもデメリットがある。(デメリットがなければ人間はみんな天才・みんな大男に進化しているはずである)

天才とまではいかなくても「病気と才能」のトレードオフは充分あり得る話、どこまで人間がやり、どこからコンピュータに任せるか、要はバランスの問題である。

大企業と中小企業の格差に関して言えば「同一労働同一賃金」なんてスローガンもあるが、言うは易く行うは難しである。 そもそも「同一」とは何か、少しでも違っていればダメなのか、誰がどういう基準で判断する? それに同一労働でない場合もある。 年功序列のオヤジとコンピュータプログラマは「同一労働」ではない。 大企業勤めの年功序列のオヤジと、派遣プログラマの格差は「同一労働同一賃金推進法」では解決できない。

いまだに「独占的強権」を握り、子供の人生を弄び、虐待し殺しまくっているのが親である。 つまり「人権擁護法」よりも「児童ポルノ法」よりも「少年法」よりも、まず親権にメスを入れる事こそが、人権を守る一番正しい、確実なやり方である。

競争や管理そのものを否定するわけではないが「バカげた受験競争」「バカげた管理教育」が蔓延る原因は、つまるところ「親権に競争がないから」「独占的強権を握っているから」に他ならない。

日本には、受験のように、親が子供を一方的価値観でもって評価し、品定めする制度はあっても、その逆、つまり親を評価し競争させる制度がない、それが最大の問題である。 電話・鉄道が民営化され、裁判官でさえも裁判員のチェックを受ける時代に、いまだに親だけが「独占的強権」を握り、殺りたい放題である。

私はかつて典型的な、年功序列の大企業に勤め、そこでコンピュータプログラマをしていたが、ある時、年寄りが私にこう言った。

プログラマなんて下流=下っ端」「管理している年寄りが一番エライ」という価値観の会社だったのだ。 そうなってしまった責任は、経営陣だけでなく、労働組合にもある。組合もグルなのだ。要するに年寄りに、形式的に「管理」させることで、崩壊しつつある年功序列賃金をなんとか実質的に維持しよう、というわけである。

若者はプログラマにはなりたがらないし、親だって息子をプログラマにはしたがらない。なぜならコンピュータプログラマは、先に紹介した私の例でもわかるように、年功序列の日本社会では典型的「下流」だからである。

空洞化は高学歴化による教育コスト増大によって起こる。 「年功序列のオヤジが何人もの息子を大学に行かせる=家父長制度・ガクレキ封建体制」と、それを支えて来た「年功序列=高すぎる賃金」が重いツケを残し、国を滅ぼすのである。

年功序列であまりにも人件費がかさむため、他社と同様の、ありきたりのマイクロソフト=ウィンドウズ関連の技術なんかやっていたのでは勝ち目がない、会社が保たない、と考えたのだ。経営陣の目論見はこうだ。@ ウィンドウズに敵対する技術=ジャバ・リナックスに賭け一発逆転を狙う。A マイクロソフトをぶちのめし、既得権益を奪い大儲けして、年功序列を守る。よりによって一番普及し一番有望な(そしてパソコンを買えばもれなく付いてくる)ウィンドウズを敵に回すとは、一般常識からして信じられないが、社長は自信満々である。

ジャバ・リナックス技術をテコに、ウィンドウズで世界を支配している「悪の大資本=ビルゲイツ帝国」に風穴を開け、革命を起こし、ガッポリ稼いで年功序列を守る、というわけだ。革命の目的が年功序列の維持というところが悲しいが、本人は大まじめである。

ビルゲイツ帝国打倒」よりも、まずは「己の年功序列・丸投げ体質こそ先に何とかしろ。ビルゲイツ帝国を批判するなんぞ百年早い」と言いたいが、これは技術の問題というよりは政治イデオロギーが絡んでいるため、どうしようもない厄介な問題である。 「アメリカ帝国主義打倒」「ソ連は素晴らしい」と言い張っている奴に、何を言ってもムダなのと同じだ。

さらに賃金アップは円高と同じで、無理に引き上げれば弊害が出る、つまり現場でものづくりをしている人間にとっては、中国やベトナムの賃金と比較されたのではたまらない。 逆に大企業の年功序列のオヤジはいい気なものである。 下請けに厳しい事ばかり言って買い叩けばいいのだから、本当は大企業の年寄りこそ、安くて優秀な外国人マネージャに置き換えるべきなのだが、なかなかそうならないのが日本社会、結果として「ものづくりなんて価値の低い下流の仕事」「管理している俺たちの方が偉いんだゾー

前項では、高すぎる賃金は、円高同様、産業・技術の空洞化・海外移転を招き、ものづくりに悪影響を及ぼし、ひいては職業差別にまで発展する事について述べた。では、なぜ日本の賃金は高すぎるのか? それは労働組合だけのせいではない。年功序列のオヤジが何人もの息子を大学に行かせる=家父長制度・ガクレキ封建体制がはびこっているからだ。

それを「格差」ととらえるか「平等」と捉えるかは、考え方次第である。 コンピュータプログラマ(=下流)である私なんぞは、むしろ邪魔な中流(=大企業勤めの年功序列のオヤジ)がいなくなって行くのは、むしろ喜ばしい事なのだが!

@ 年功序列で高い賃金をもらうオヤジが、A 何人もの息子を大学に行かせる、B 家父長制度「ガクレキ封建体制」このような社会モデルでは、いくら金があっても足りない。春闘も賃上げも焼け石に水「教育ビンボー」である。

だが高度経済成長の時代が終わり、低成長時代の現在では、終身雇用年功序列が崩壊し、「教育ビンボー」は少子化に直結する。 そして少子化は年金制度を破綻させる。年金制度が破綻して行き着く先は姥捨て山だ。 それは国家が滅びるに等しい。

私のような「コンピュータプログラマ=下流」にとっては、むしろ「格差是正」を口実に「中流=年功序列のオヤジ」が息を吹き返す事の方が憂鬱である。今後は賃上げよりもむしろ「低賃金でもやって行ける真に豊かな社会」を目指すことこそが重要課題であり、むしろ「賃金を引き下げ適正化する」事を考えねばならない。

アメリカにおける中流層の凋落、日本における年功序列の崩壊。だが冷静に考えて、これらは、年齢や資格、学歴、大企業社員というだけでこれまで「無条件に高い給料をもらっていた」連中が、引きずり下ろされたわけだから、むしろ喜ばしい事ではないか?(格差が拡大したのではなく、むしろ是正されたと解釈すべきである)

プログラマは「格差社会」と言われるかなり前からはっきりと「下流」に位置づけられている職業である。 インド人や中国人にとっては「エリート」かもしれないが、日本社会においては、とりわけ年功序列が色濃く残る企業においては典型的「下流」なのだ。私はそのことをひがんでいるのではない。下流であっても良い。それよりも生活のムダをなくし、賢く生きようではないか!と言いたいのだ。

国家が子供を養う制度、それは教育だけにとどまらず、産業・労働・経済にも影響を及ぼす。 「親は子供を作るだけ」になれば、給料が安くてもやって行けるので、年功序列終身雇用のような企業の負担となる硬直した制度も要らなくなり、その分、生産性も向上する。

そもそも問題の本質は何なのか? 年功序列のオヤジ「何人もの」ムスコを大学に行かせる「家父長制度・ガクレキ封建体制」これでは、いくらカネがあっても足りない。春闘も賃上げも焼け石に水、オヤジは教育費を稼ぐため過労死し、少子化・年金問題を引き起こす。 それだけ無理をしているわけである。

日本のIT大企業には、いまだに年功序列の年寄りがのさばっていて、その一方で、システムを実際に作るプログラマは、下請けや外国人を長時間労働させている。※ とはいえここで私は「年功序列の年寄り」を槍玉に挙げるつもりはない。彼らだってムスコを大学に行かせるため大変なのだ。

非正規雇用が多数派となればなったで、社会はそれに適応して行くものである。この期に及んで正社員を増やそうとか、年功序列を復活させようとか、時代の流れに逆行する様な事をしても、事態を余計に悪化させるだけである

その一方で「下請けに外注するだけ」「管理のふりしているだけで責任取らない大企業の年寄りなど、特権階級をのさばらせる

私はコンピュータプログラマをやっているが、ひとつの会社に一生お世話になるなど考えたこともない。 私が不満に思うのは、大企業はいまだに年功序列であり、やはり彼らの方が、給料が高い点である。 よって格差を無くすためには、正社員を減らすのが正しいと考える。

B 年功序列のオヤジが何人もの息子を大学に行かせるガクレキ封建体制から、子供はそれぞれ自分の稼ぎで「勝手に」大学に行く生涯学習社会へ、

虐待というと、暴行やネグレクトばかりがクローズアップされるが、性的虐待や、精神的虐待も重大である。 親が神経症(ノイローゼ)の傾向を持っていると、それが子供に伝染する可能性がある、特に受験期は注意が必要である。私が学生の頃は、母親の過干渉が原因で、強迫神経症という一種のノイローゼになっていたが、そういう場合も「国家が子供を養う制度」であれば、引き離す事が容易になる。

そもそも、肉体的虐待だけでなく、精神的虐待も、さらにはノイローゼの共鳴現象まで、すべてを児童相談所が審査し、認定する事は、可能だろうか?

(a)幼児期の体罰も含めた厳しい躾による絶対服従の素質 (b)単に口喧しいだけでなくノイローゼ的傾向を持つ干渉 私の場合は、このabが掛け合わさって、ノイローゼ性的倒錯を引き起こしたわけだが

もちろん命に関わるような暴行は論外だが、体罰だけを取り締まっても意味がない。 むしろ精神的虐待やノイローゼの伝染にこそ注意を払うべきだろう。

繰り返すが、現行の児童相談所が扱えるのは「どう頑張っても半分だけ」肉体的虐待とネグレクトが精一杯である。 精神的虐待やノイローゼ性的倒錯の対応まで手が回らないし、もし対応しようとすれば、莫大な予算が必要となる。

私が子供だった頃に比べれば、体罰や人格否定は、少なくなってきている、しかしやっている事は、今もそれほど進歩していない、不安をあおり、勉強しろと強迫しても、いまさらだれも勉強しないし(深刻に考えてもノイローゼになるだけ、それで淘汰されるわけである)

子ども手当が「遊興費」に流れてしまうのではないか、少子化対策につながらないのではないかとの懸念から、教育バウチャーを検討する向きもあるが、このような「使途を限定した金券」が全く意味をなさないのは経済学の常識である(これまで現金で支払ってきた塾代を「教育バウチャー」で支払えば、それで浮いた現金が「遊興費」に流れるだけの事、それを防ごうとすれば、国家が個人の財布を管理せねばならず、生活保護でもそれは困難)

すでに現状は、浮いたカネがお受験に流れ「受験産業を儲けさせるだけ」の結果になっている、それでもなお懲りず「教育バウチャー」とは笑止千万である。

どうせやるなら―――すべての子供を国家が養うようにし、さらに子供が保護者を選択する=親権バウチャー制度にすれば良いのである。そうすれば、親の負担は激減すると同時に、競争原理が働き「しつけ・懲戒」も含め、すべては「常識的」範囲に収まる。

国家が子供を養い子供が保護者を選択する「親権バウチャー制度

親権バウチャー」は「親権に自由競争を導入する」事で、体罰の行き過ぎを防ぐだけでなく、精神的虐待も防止し、なおかつ親の負担を激減させる画期的制度である。

諸外国には、公立学校における学校選択の自由および私学助成を兼ねて「教育バウチャー」を導入している国もあるが、我が国の場合は、学校選択の自由よりも「親を選択する自由=親権バウチャー」の方が先である

日本には、受験のように、親が子供を一方的価値観でもって評価し、品定めする制度はあっても、その逆、つまり親を評価し競争させる制度がない、それが最大の問題である。

評価とか通知簿なんていうのもムダの1つである。学校にとってお客様である子供を「評価する」あるいは悪い成績を親に「通知する」という考え方自体が、時代遅れでナンセンスである。 意識改革の意味も込めて、まずは名前を改め、通知簿は病院と同様「診断書」「カルテ」と呼ぶべきである。

相対評価など論外だが、絶対評価であっても「子供に数字をつけるだけの評価」なら、そんな物はいらない。 必要なのは詳細情報である。例えば「分数計算が出来ない」とか「逆上がりが出来ない」といった「学習診断書」をつくり、それを塾やスポーツクラブに持って行けば、すぐに補習が出来るようにすればよい。

イメージとしては、病院が発行する各種検査結果や、レントゲン写真といったものであろうか。 そういう評価なら、コストをかけるだけの価値がある。病院が「おまえの健康度は2だ」と評価しても「2」という数字だけで具体的な内容が分からなければ、患者は何をどうすれば良いのか分からない。他の病院へ行っても、また最初から検査をやり直さねばならない。 他の教育機関と連携できないような評価、単に「親を怒らせるためだけの評価」など、全くのムダである。

手間暇コストをかけて通知簿を作成し、悪い成績を親に「通知」し、親を怒らせる事に成功したとしても、それで学力が向上するわけではない。悪い成績を親に「通知する」なんていうやり方自体が、回りくどく、中途半端で、何を目指しているのかよく分からないし、そもそも役に立っていない。 タテマエは色々あるだろうが、評価がいさかいを起こすことはあっても、実際に役立つなんて事はほとんどない

神の物差し」が存在しない以上、評価や競争は必然的に不完全なものとなる。程々にしておかないと人間を歪める事になる。

ベルマークなんて言うのもムダの1つ、集めるための人件費の方が高くつく、そういうムダで非効率な労力をかけるのも、PTAが嫌われる要因の1つである。※ 親の負担は「教育コスト」だけではない。 共働きでPTAは面倒だから3人目の子供は諦めるという事態にでもなれば、少子化問題にも影響する。

本コラムでは「貧乏人を搾取してまで高学歴化を推進する必要はあるのか」と批判している。 これに対し「では、貧乏人を搾取するのではなく『金持ち税(富裕税)』を導入して、それを奨学金の財源にすれば良い」と言う人もいるだろうが、結論を言うとそれはダメである。 それをやると、金持ちは「一枚岩」となって対抗し、結果として貧乏人に跳ね返って来るだけである、つまり前述の大家のように、貧乏人をますます厳しく搾取する。

金持ち税(富裕税)」というと聞こえは良いが、結局それは家賃や商品の価格に転嫁(上乗せ)され、最終的に(弱い立場の)貧乏人に跳ね返って来るものである。 これはいわば金持ちが構築した「搾取集金システム」の上に、さらに非効率な「役人」や「学者=サムライ商法」が乗っかって来る事を意味し、貧乏人はますます搾取される。 むしろ「金持ち税(富裕税)」イコール「貧乏人税」と認識した方がよろしい。

奨学金のおかげで貧乏人が「大学」に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、さらにその上を行くものである。 貧乏人を「さらに厳しく搾取し」そのカネで息子を「難関大学」あるいは「大学院」に行かせるものである。 こうなるともう富裕税累進税も全くの無意味、全部貧乏人に跳ね返って来るそもそも非効率なガクレキ封建体制そのものを破壊しない限りどうにもならない

資本家の横暴を抑止する方法は、共産主義革命でも累進税でも、相続税100%でもなく、国民が資産形成する事である(資産形成する事で資本家の競争相手が増える)

たとえ給料がアップしても、負担が重くなれば帳消し、それどころか「何人もの息子を大学に行かせるため働かざるを得ない」弱みにつけ込んだ悪徳ブラック企業が蔓延る事になる。

何せ日本の賃金は世界一(ベトナム人の何倍もらっているのだ!)死ぬほど働いてもらわないと元が取れない。 それがブラック企業の言い分、残念ながら彼らにも一理あると言わざるを得ない。 では一番悪い奴は誰か? それは教育コストを増大させ、少子化の原因を作った「サムライ商法」である(要介護の年寄りが増える一方で子供が減るのだから、現役世代にしわ寄せが行くのは当たり前である)

本当に問題を解決したければ、キレイ事を並べ立てるのではなく、原因を究明すべきである「何人もの息子を大学に行かせるため働かざるを得ない」「奨学金を返済するために働かざるを得ない」そのような人が増えれば増えるほど労働条件は悪化「過労死やブラック企業が蔓延る」法律でいくら規制しても「ザルで水をすくうようなもの」ブラック企業に効果はない。

労働組合も当てにならない(なにしろ「息子を大学に行かせるためにはカネがかかる」組合員からの突き上げを食らい、賃上げ要求を優先)下請けの労働条件など考えない。

(学者は絶対言わないが)ブラック企業をなくす最終兵器は「無理して働かなくてもよい社会にする」そのために真っ先にやること、それは「教育コスト削減」である

いくらキレイ事を言っても、企業は競争に勝たねばならない。 無理して働かざるを得ない人間が増えれば、当然ブラック企業が増える。 一方、形骸化した無意味なガクレキと分かっていても、大学に行かないと競争に負けてしまう社会である限り、無理をする人間が増える。この悪循環を断つ最終兵器は「教育相続税」である。

これはブラック企業だけでなく、最低賃金制度でも、偽装請負でも言える事だが、いくら法律で規制してもなくならない。 むしろ規制が厳しくなる事で逆に「失業する」あるいは「希望する職業に就けなくなる」可能性もある。 私はIT業界に勤めているが、偽装請負を厳格に禁じたら私の仕事は無くなってしまうかも知れない、もしそうなったら国が代わりに雇ってくれるのか「生活保護」してくれるのか、政治家も役人も何考えているのだ!

ヨーロッパにブラック企業がないのは、単に労働時間を規制するだけでなく、莫大な予算を投じて「生活保護」しているからである。 ヨーロッパ諸国は、莫大なカネをかけ福祉の力で「無理して働かなくてもよい社会」を作り出しているのである。 もっともそれには弊害もある(英国病になってしまう)だから我が国は「また別の方法」を考えればよい。 おすすめは「教育コスト削減」つまり「サムライ商法をぶった切る」それですべて解決するのである。

法律でがんじがらめに規制しても抜け道はいくらでもあるし、逆に自分のクビをしめる事にもなりかねない。 物事はシンプルに考えるべきである。 複雑な労働法規も形骸化するだけであるし、労働組合も所詮は利益団体、下請けの人権など考えない。 それよりも「無理して働かなくてもよい社会にする」すべてはその1点に尽きる。 それこそがすべての労働者に福音をもたらす。 要はどうやってそれを実現するか、その「方法論」にある。

長時間労働を無くすために見回りに来るのか? それよりも長時間労働しなくても良い社会を作れよ、そのためには教育コスト削減が効果的である「子供を1人前にするのにどれだけカネをかけているのだ!過労死も少子化も、すべては無理が祟っているのである。

大学進学率を一気に引き下げても良いのなら、すぐにでもブラック企業は無くせるが、それでは大学が倒産して社会が混乱する。 だから「教育相続税オークション」によって、徐々に生涯学習社会へ移行させて行く「適応するための時間を与える」それが本書の提案である。

(人は己の市場価値以上は稼げないのであって、無理をすれば苦しくなるのは当たり前である)ではなぜ労働者は無理をするのか、背伸びするのか、それはムスコを大学に行かせるため、カネがかかるからである。 息子を大学に行かせなければ、息子は差別され、将来定職に就けなくなるのではないか、その恐怖が労働者を無理させているのである。つまり学歴ビジネス(サムライ商法)によって労働者は搾取され、苦しみ、健康を害しているのだ(一番悪い奴はブラック企業の経営者ではなくキレイ事を言っている学者である)

天下り役人も悪いが、それ以上に悪い奴は学者である。 学歴差別をまき散らし恫喝し「18歳人口を食い物に」教育コストを増大させ、少子化を引き起こし、自ら「社会のボトルネック」となっている「現代の貴族=学者」そのとんでもない悪行に比べれば、資本家の方が遙かにマシ、ブラック企業の経営者でさえも善人に見える。

扶養手当、児童手当、扶養控除、学割、少年法、児童買春、児童虐待、児童ポルノ、あしなが募金、奨学金、etc. .... プトレマイオス的、ごちゃごちゃ複雑で中途半端な救済・保護制度よりも、国家が子供を養う=子供中心の地動説を導入すれば、それで一発すべて解決し、複雑な事務手続きも要らなくなり、大幅なコスト削減になる。

このように大して役立たない制度をごちゃごちゃ作れば作るほど、役人の人件費は勿論の事、それに加え(ヒマな役人は余計な事をしてくれるので)無駄遣いも増え、さらに無駄遣いを監視するためにもまたコストがかかり、社会の効率をいっそう低下させる要因となる。船底についた貝のような「複雑な福祉制度」はこの際一掃し「シンプルな福祉制度=国家が子供を養う制度」一本に統合すべきだろう。

大人のベーシックインカムは無理だが、子供限定ベーシックインカムは、現在の日本の科学技術・生産力でも、充分実現可能である。

政治家の中には「大学の授業料無料」を主張する者もいるが、順番を間違えていると言わざるを得ない。 そもそも「ベーシックインカム抜きの授業料無料」は金持ち優遇の政策と解すべきである、なぜなら生活費がなければ人は生きていけないからであり、貧乏人や虐待された子供は(経済的にも学力的にも)そもそも大学には行けないからである。

「子供が保護者を選択する」これを可能にするのが「子供限定ベーシックインカム」である。 大人のベーシックインカムは何かと問題が多く私は反対なのだが、子供限定ベーシックインカムは充分に実現可能であり有用である。

※ これはむしろ子供にこそ有用な制度であるにもかかわらず大人のベーシックインカム」を主張する者ばかりで「子供限定ベーシックインカム」を主張する者は少ない。

「例外的」「社会のお荷物扱い」も、また差別・虐待を生み出す。 やるならすべての子供を対象に「ベーシックに」「国家が子供を養う」ようにすべきなのだ。

前項では、国家が子供を養う=子供限定ベーシックインカムの利点について述べた。大人のベーシックインカムは、怠けて働かない大人を作るだけだが、子供限定ベーシックインカムには、そのような弊害はない。 なぜなら子供はもともと働いていないし、勉強に関してはムチ(懲戒権)を持った親権者がついているからである。

また、子供限定ベーシックインカムを導入すれば(わざわざ大人のベーシックインカムを導入するまでもなく)大人だってかなり楽になり、それで充分である。 そもそも何人もの息子を養い、塾に行かせ、大学に行かせるから、苦しいのであって、もしそれらから解放され、自分の食い代を稼ぐだけなら(今の日本の生産性からすれば)そんなに辛いものでもない。

勤労意欲を失わせるような福祉は要らないが、さりとて現状のままが良いとは決して思わない「重荷」は取り除くべきである。 そういう意味では「子供限定ベーシックインカム」には大賛成、ただそうは言っても、やはり自分の食い代は稼ぐという意識が必要である、そうでないと、国家を支える人間がいなくなる。 だから「大人のベーシックインカム」には反対である。 以上が、ベーシックインカムの対する私の見解である。

ならばいっそ、すべての子供を対象に「国家が子供を養う=子供限定ベーシックインカム」を導入すればどうだろう。 どうせやるなら―――すべての子供を国家が養うようにし、さらに子供が保護者を選択する=親権バウチャー制度にすれば良いのである。そうすれば、親の負担は激減すると同時に、競争原理が働き「しつけ・懲戒」も含め、すべては「常識的」範囲に収まる。

たとえ可哀想な子供であったとしても、その子たちだけを「特別に税金で養う」となると、やはり納税者から反発が出る。 「例外的」「社会のお荷物扱い」も、また差別・虐待を生み出す。 やるならすべての子供を対象に「国家が子供を養う」ようにすべきなのだ。

ただ「国家が子供を養う=子供限定ベーシックインカム」には、1つ問題点がある。すべての子供に生活費を支給したとして、そこで親はどうするか、それで浮いたカネが大学や受験産業に流れ彼らを儲けさせる結果に終わる、これでは従来のバラマキと変わらない。 だからそれを止めさせ「正味」少子化対策に向かわせる、それが教育相続税である。

格差社会が広がれば、もう親の負担を軽くしないと子供を作る事すら出来なくなるだろう。そうなれば日本民族は破滅である。

ちなみに「教育相続税オークション」を導入しなかったら、もっと恐ろしい事になる。これまで通り、オヤジの肩には「子供の人数に比例したN人分の」教育費負担が重くのしかかり、それに年功序列崩壊と格差社会が相まって、少子化・人口減少の流れは止まらなくなり、日本民族そのものが、大学もろとも消滅する(尖閣どころの騒ぎではない)

なにしろ日本人が、ガクレキ(受験戦争)のために費やしているGNPは、防衛費を追い抜いてトップなのだから、もっと効率を考えて、その半分でも他に回せば、児童虐待問題も、オヤジの長時間労働・過労死問題も、少子化問題も、年金問題も、すべて解決する。

女性を活用するとか、移民を受け入れるとか、これらは対症療法に過ぎない。 人口減少問題に関しては、やはり少子化問題そのものを解決する以外に道はない。

これらバカげた諸説は、サムライ商法の保身・時間稼ぎ、彼らこそが少子化を引き起こすボトルネック、日本民族の首を絞める国賊である。

教育や学歴がすばらしいものなら、社会人にこそ、どんどん広めてもらいたいものである。 大学・受験産業は、ガキ相手に「サムライ商法」や「殿様商売」して教育コストを増大させ、あげく少子化・年金問題を引き起こし、自ら社会のお荷物=ボトルネックとなるのではなく、生涯教育の場で正々堂々と競争し、オトナの支持を得られるよう努めるべきである。

賃金などどうでも良い、それよりも「現代社会の一番のムダとは何か」「社会の発展を阻害しているボトルネックとは何か」に私は着目する。

れらバカげた諸説は、サムライ商法の保身・時間稼ぎ、彼らこそが少子化を引き起こすボトルネック、日本民族の首を絞める国賊である。

小手先のテクニックよりも本質を考えるのが学問である。 社会の衰退を引き起こす「ボトルネック」とは何か? 少子化の原因は女性の産道が狭くなったためか? いや違う! 原因は「教育コスト増大」にある。 つまり一言で言うと「お前ら学者こそがボトルネックになっている」その現実を直視し、持続可能な社会=生涯学習社会に移行すべきである。

孔子やマルクスの言葉を丸暗記しただけでは思想は生まれないし、そんな知識を蓄えただけでは役に立つわけもない

そもそも「人間のすべての能力を数値化できる神の物差し」は存在するのか?もしも「神の物差し」が地上に存在し、それでもって給料が決まり、物の値段が決まり、経済がまわるとしたら―――それは核爆弾にも勝る強力な兵器である。 それを使えば―――市場経済も民主主義もいらない―――それこそ不正や利権の入り込む余地のない「理想的な能力主義社会」が実現し、これはマルクスが夢見たユートピア「社会主義」である。

かつてマルクスが資本論で述べた「資本家と労働者の対立」はもはや過去のもの、むしろ現代は「資本家の搾取」よりも「サムライ商法に搾り取られないよう」気をつけるべき(2−10 格差よりも教育ビンボーに気をつけろ!)格差格差と騒いでいる学者が一番クサイ

もちろん「自己実現」なんて言えるのは、それなりに豊かな社会が前提だが、もうすでに日本の科学技術・生産力は「マルクスが夢見た理想社会=共産主義」のレベルに達している。 これほど急速に発展した国は世界でも稀「強欲さえ慎めば」すでに共産主義は実現している。 我が国は(ソ連や北朝鮮を追い抜いて)真っ先にそのレベルに達しているのである。

子供にだって、実際には莫大な人件費がかかっているのだが、それはこれまで(子供を養っている)親が負担していたため、見えなかっただけである。国家が子供を養うとは、即ちそれを「見える化する」という事である。産業の合理化、生産性向上、IT技術の導入が、当たり前のように進む中、ひとり学校だけが取り残されて行くのは、子供の人件費はタダだと思っているから、コスト意識が欠如しているからだ。

コスト管理というと、厳しいイメージがあるが、実は逆である。コスト意識ゼロ、奴隷はいくら使ってもタダ「穴掘りでも、丸暗記でも、ボランティアでも、何でも良いからテキトーに競争させておけ」という世界こそが、果てしなく続く無意味な競争・ガマン比べを引き起こす辛く厳しい世界なのだ。(サラリーマンの世界でいえば、延々とサービス残業をさえられるようなものだ)国家が子供を養うことでこれらのコストが「見える化」され「最適化」され、効率化・生産性向上に繋がる。

そもそも「残業代が出ない」「給料が出ない」時点で「その競争は間違っている」と言えよう。※ 「給料を払わない」のはコスト管理上望ましくない、だから教育にかかるコストを「見える化」しよう「国家が子供を養う制度」にはそういう意図もある。

はじめ保守派は、競争が激化すれば、人の能力差は広がり、それでもって資本家と労働者の巨大な格差が正当化出来ると信じていた(もしもその差が科学的に検出できずサヨクの言う通り「子供はみんな同じだ」なんて事になったら共産化して行くと恐れた)そこで「子供はみんな同じではありません」という事を示すために(差別化)1人1人競争させ順番をつけるような教育を行い(序列主義)それが自由競争であり、そのような教育に反対する者は共産主義者であると決めつけ戦ってきた。テストを繰り返し、お前ら頭が悪いのは血統が悪いからだというのが保守派支配階級の狙いであり、その裏返しとして、サヨクの平等論や無限の可能性論がある

ついでに言うと、国家が子供を養う制度になれば、有給休暇も要らなくなる。我が国は欧米に比べ、有給休暇の消化率が低いなどと言われるが、有給だからこそ休みにくいという側面もある。 そもそも有給休暇が必要なのはなぜなのか、なぜ無給ではダメなのか、あなたは考えたことがあるだろうか?その理由は、

もう一度言う「子供を養い大学に行かせる重荷」から解放され身軽になれば「有給」などというたいそうな制度などなくても、オヤジは自分の甲斐性で、いくらでも休む事が出来る。

ところで話は変わるが、ゆとり教育は、平等論を唱えるサヨク日教組の仕業と思っている人もいるが、実はそうではない。 保守派側から出て来たものである。

金持ち特権階級にしてみれば、ガクレキとはあくまでも差別化の道具である(身分制度が廃止され相続税をガッポリ取られれば、残るはもうガクレキしかない)そのために、かつてはスパルタ英才教育があったわけだが、詰め込み教育には弊害が多くもう限界、そこで「金持ちの学力を上げる」のではなく「貧乏人の学力を下げる」というのが「新たな差別化手段」として浮上してきた、それがいわゆる「ゆとり教育」である。

ゆとり教育は、曾野綾子氏ら、むしろ日教組に批判的な人たちから出てきた案である。

「遺伝か環境か」冷戦時代とはこれら2つの考え方の衝突でありせめぎ合いであった。はじめ保守派は、競争が激化すれば、人の能力差は広がり、それでもって資本家と労働者の巨大な格差が正当化出来ると信じていた(もしもその差が科学的に検出できずサヨクの言う通り「子供はみんな同じだ」なんて事になったら共産化して行くと恐れた)そこで「子供はみんな同じではありません」という事を示すために(差別化)1人1人競争させ順番をつけるような教育を行い(序列主義)それが自由競争であり、そのような教育に反対する者は共産主義者であると決めつけ戦ってきた。テストを繰り返し、お前ら頭が悪いのは血統が悪いからだというのが保守派支配階級の狙いであり、その裏返しとして、サヨクの平等論や無限の可能性論がある

結局、これまでガクレキ封建体制が続いてきたのは、冷戦時代の、左右イデオロギー対立に守られてきたからである(これは教育問題ではなく政治問題)

だがそれは何も(一部のバカな)親だけが悪い、というわけでもなかった。その背後には、冷戦時代の根深いイデオロギー対立がある。昔は「受験競争は自由競争である」「自由競争に反対する者は共産主義者だ」というイデオロギーの下に、スパルタ塾なんていうものがあり、子供は学校でも塾でも家庭でもビシバシ殴られていた。 さらには成績を張り出す、なんて事も当たり前のように行われ、それが「自由競争」であると信じられていた。

さて、20世紀は、米ソ両陣営がしのぎを削る、冷戦の時代であった。教育においても、平等論を唱える左翼と、英才教育を唱える保守派が激しく対立し、受験戦争が勃発し、子供は殴られていた。 もちろん様々な教育改革も行われてはきたが、効果もイマイチなまま、むしろ弊害・副作用をまき散らし今日に至っている。 何1つ根本的には解決できていないのである。

少子化問題を解決するためには「冷戦時代の枠組みを突き破る」新しい思想が必要である。

格差社会を考えるに当たって「80対20の法則」というのがある。「富の8割は、2割の富裕層が独占する」というアレだが、逆に言えば、残り2割の富で8割の人間が食って行けるなら(それだけの生産技術が社会にあるのなら)別にどうでも良い事である(食っていけないのならともかく、革命に命をかけるなどバカげている、その結果生まれたのが中国・北朝鮮と知ればなおさらである) ※ むしろ今後は、格差社会をネタにカネをゆすり取る「サムライ商法」の方こそ気をつけるべき、いま問題なのは「格差よりも教育ビンボー」である。

もう一度言う、2割の富で8割の人間が「とりあえず食って行ける」のなら格差なんか別にどうでも良い、それよりも「誰もが上流を目指しムリをする」「的外れな努力を重ねる」教育ビンボー、それが引き起こす「少子化」「年金制度破綻」こちらの方がはるかに怖い。

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