第2章 学歴税(マトリクス累進)を導入せよ!

2−12 大学が生き延びる道

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 最近は交通遺児に加え、親の病死・自殺など、様々な理由で大学どころか高校にも行けない人も多い。 そうした人たちのために「あしなが募金」がある。
「能力があるのに家庭の事情で学校に行けない」その悔しい気持ちはよく分かる。 なぜならば私もそうだったからだ。 私の場合、家庭が経済的に困窮していたわけではないが、親による精神衛生上の問題が深刻で、親の支配から逃れるために大学進学をあきらめ就職した。 しかし「家庭の事情で学校に行けなかった」ことにはかわりはない。 だからこそ進学できなかった人たちの気持ちがわかるのだ。

 しかしそうではあっても、冷たいようだが私は「あしなが募金」は支持しない。 それには理由がある。 「あしなが募金」があっても、物事の本質的解決にはならないと考えるからである。
「交通遺児」は気の毒だが、人の不幸など様々で、それこそ星の数ほどあるといってもよいだろう。
なのに交通遺児を救済しただけで「平等が実現できた」「公正な競争条件が確保された」と考えたら、それは欺瞞ではなかろうか? もちろん「あしなが募金」をやっている人たちは、純粋な気持ちで活動しているのだろうが、結局いくら頑張ってみたところで、救済されるのはごく一部の「不幸」にすぎず、むしろ学歴社会の「正当化」のために利用されるのがオチである。
「公正な競争なくして社会の発展はない」それを言うなら「お情けちょうだい」の募金運動ではなく、まずは「親のすねをかじって大学に行った者」に課税するよう運動すべきである。
「大学に行った者」に課税せずして、募金など何の意味もない。 たとえ貧乏人が、募金その他の救済制度の力を借り、大学へ行けるようになったとしても、その頃はもう既に金持ちは大学院に行っている。 「親のすねをかじって大学に行った者」に課税し一考を促す「生涯学習社会へ移行させる」それが先決である。 「働きながら学ぶ事がごく普通の生涯学習社会」では「あしなが募金」なんてもともと不要である。

 言っておくが、みんなが大学に行けるようになっても平等はやってこない。
大学の名前だけで、一流だとか三流だとか、頭ごなしに差別される「金持ちエリート中心の学校歴社会」の中で「枯れ木も山のにぎわい」とばかりに利用されるのがオチである。
「受験地獄」などという言葉が1人歩きしているが、何をもって「地獄」なのか良く考えないと対応を誤る事になる。 単に競争率が高いから、難関だから地獄なのか? もしそうだとしたら受験生よりもプロ野球選手の方が地獄である。 競争に負けたとたんに食べていけなくなるからだ。 受験が地獄になるのは、親にガミガミ怒られ、肉体的・精神的に虐待されるからだ。 そして子供は親を選べず逃げ場がないからである。 「競争率が高いから」「難関だから」地獄というわけではないのである。
 従って高校や大学を増設し、みんなが行けるようになっても地獄はなくならない。
むしろ平均学歴が上がり、大学を出ない事には就職できず、差別されるような社会にでもなれば、若者は自立が困難になり、親に対する依存度がますます高まり、長期間にわたり親に支配され、虐待される事になる。 結局「大学に行き易くする」というのは逆効果なのである。

 むしろ「大学には行き難くする」方向が正しい。 大学に行った者に課税し「一考を促す」「頭を冷やす」それが正解である。 どうしても大学に行く必要のある者だけが「生涯教育として」大学に行けばよい。 それが社会を健全化する。
私が「大学には行き難くする方向が正しい」というのは、何も「入学試験を難しくする」という意味ではない。 「入学試験を難しくする」とまた珍問奇問など、変なものがはびこることになる。
要するに簡単な事「課税すれば良い」税制度が持つ「社会調整機能」を使えば良いのである。
課税すれば学生は激減し、むしろ入試なんてものはなくなる。
 さらに、それが引き金となって生涯学習社会への移行が起こる。 大学だって商売である、学生が激減すれば、社会人を取り込むために必死で努力するだろう。 社会人を取り込む事こそが、大学が生き延びる道である。 「生涯教育が主流」になれば、そのための社会制度が整備される。
社会制度が整備され、広く世の中に理解されれば、勤労学生だってそんなに辛いものでもなくなる。

本書は「大学リストラ論」ではあるが、リストラは必ずしも首切りとイコールではない。 現在主流の「すねかじり学生」は3分の1程度に減らすべきであるが、代わりに社会人や外国人留学生を取り込めば、概ね大学の定員は維持できる。

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