第2章 「学歴税」を導入せよ!

2−17 賢い下流社会

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格差社会と言われるになって久しいが、そもそも上流などほんの一握りで、ほとんどの人間は(たとえ優秀であったとしても)下流である。 「格差をなくそう」と言ってみたところで、これまで述べてきたように、下流の人間を中流に引き上げることなどできない。

先述したように、私はコンピュータプログラマをやっている。
一般の人は意外に思うかも知れないが、プログラマは「格差社会」と言われるかなり前からはっきりと「下流」に位置づけられている職業である。
インド人や中国人にとっては「エリート」かもしれないが、日本社会においては、とりわけ年功序列が色濃く残る企業においては典型的「下流」なのだ。

私はそのことをひがんでいるのではない。
下流であっても良い。それよりも生活のムダをなくし、賢く生きようではないか!
と言いたいのだ。

庶民の知恵と言うべきか、下町の知恵と言うべきか、もう少し賢い「下流」というものがあってもよさそうなものだ。
二宮金次郎のように、もっと身の丈に合った生活を目指してはどうだろうか?
「バカな上流よりも賢い下流」になってはどうだろうか?

私は、基本的に格差社会を前向きに捉えている。
もちろん一部の成り上がり者の思い上がった「格差社会賛成論」など論外だが、むやみに格差を是正するのが良いのかというと、にわかには賛成しかねる。

なぜならば、これまで述べたように、すべての下流を中流に引き上げる事などできず、結局のところ中途半端で不公正な結果を招くのが目に見えているからだ。
資本力があり、なおかつ労働組合の強い大企業において、格差是正を口実に「年功序列」が復活するだけだ。それは、格差是正を口実に新たな格差が作られる事に他ならない。

大企業で賃金を引き上げるのは簡単である、ベースアップを要求し、ストライキをやれば良い―――ただそれは下流、下請けの犠牲の上に立った生活向上に過ぎない。
下流、下請け、底辺層の生活向上は、社会全体のムダを無くし、本当の意味での生産性向上を実現する以外にはない。
生産性向上なくしては、下流はいつまでたっても「江戸時代」のままである。

現代は江戸時代に比べれば科学技術は飛躍的に進歩しているが、同時にムダも増えている。
生産性向上を上回る速度でムダが増えて行ったのでは、結果として江戸時代と変わらず、豊かにはならない。 現に年金制度は傾いている。

では、現代社会における一番のムダ・矛盾・歪みとは何か?
―――それは、本書で何度も伝えているガクレキである。
特に「親のすねをかじり(親に負担をかけて)大学に行く」これこそがムダの元凶であり、ありとあらゆる歪み・矛盾の根源となっている(親が亡くなった後で余った財産をもらう、いわゆる「相続」よりも、遙かに罪は重いと言わねばならない)
もちろん他にも役人の無駄遣いなど、様々なムダがあるが、ガクレキに比べればそれらは雑魚(ザコ)にすぎない。 マスコミの役人追及は、それはそれで意義のある事だが、彼らは「ガクレキそのもの」のムダに一向に気付いていない。

セレブの贅沢にしたって、甲斐性があるからやっているだけであり、他人がとやかく言う筋合いはない。 官民を問わず、多少のムダはどこにでもあるものである。
それは昔からあったし、それほど大した問題でもない。
それよりも、これだけ科学技術が進歩し生産性が向上しているのに、一向に生活が良くならず、江戸時代の「楢山節考」の世界に後戻りして行くとするならば、何か構造的な問題や、もっと他にすごい穴があるはずである。 それは、格差や役人や成金セレブなどのせいではなく、我々の生活、社会制度に原因があると言えよう。

例えば役人が失敗して、百億円の損害が出たとしよう。 もちろんけしからん事には違いないが、冷静に考えれば、国民1人あたり百円程度の事、缶コーヒー一杯ではないか。 その程度の無駄遣いは誰でもやっている。 それよりも「親のすねをかじり(親に負担をかけて)大学に行く」それが社会に引き起こす歪みの方が何万倍も強烈である。

自分たちが苦しいのは、セレブが贅沢をしているせいなのか? そんな事はない。
セレブが気に入らないのだったら、セレブがオーナーをやっている会社の商品を買わなければ良いだけの話だ。 それでも買うとしたら、自分にとって利益があるからだ。
芸能人セレブが気に入らないのなら、テレビも見ない事である。

そもそもバカが野球を見るから野球選手が大儲けしてセレブになるのであって、格差がけしからんというなら野球も見ない事である。 それでも見るとしたら―――それは格差を認めているという事であり、だったら楽しんだ後でクダクダ文句を言うのは卑怯である。

トヨタが大儲けしてけしからんと思うなら、トヨタの車に乗らなければよい。 それでも乗るとしたら、トヨタの車にそれだけの価値を認めているからだ。 それでトヨタが大儲けしたとしても文句は言えまい。 世界一のセレブであるビルゲイツが気に入らないのならウィンドウズを買わなければ良いだけの話だ。 それでも買うのは、自分にとって利益があるから、つまり資本主義の恩恵を受けているのである。

私はコンピュータプログラマをやっているが、上流(ビルゲイツ)が大儲けしようが、そんな事はどうでも良い、そのような格差は気にしていない。 それよりも邪魔な中流(大企業勤めの年功序列のオヤジ)が出しゃばって来るのが一番困る。

さて、金持ちばかりがますます金持ちになり、貧乏人は取り残されて行く、それを格差というなら、それは何も金持ちだけが悪いわけではない―――というか私の感触からすると、ほとんどは貧乏人の側に原因がある。 貧乏人の方こそ反省しないといけない。
「何か間違った事をしているのではないか?」
先述したように、現代社会における「一番のムダ」といえばガクレキである。 ガクレキをめぐってムダな競争を行い消耗する事自体からして大きな損失であり生産性の低下である。
それも自分の稼ぎで大学に行くのならともかく「親のすねをかじり(親に負担をかけて)大学に行く」など以ての外である。
増大する教育コストが、賃金体系を歪め、少子化・年金問題を引き起こし、ありとあらゆるムダ・矛盾の根源となり、日本経済に甚大なる被害を及ぼしているわけで、いいかげんそれを「やめさせる」という議論があって然るべきである。

まず一に、親のすねをかじって大学に行く者には課税しろ、
そして二に、国家が子供を養う制度を導入し、親子の経済的結合を断ち切れ、
それが本書の主張である。

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