第2章 「学歴税」を導入せよ!

2−15 上流枠と下流枠の分離

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前項で私は「厳しく課税し、むしろ少数の金持ちだけに絞り込む事が、平等につながる」と書いた。 もっともそれに対しては反対論も予想される。
「そのような事をしても生涯学習社会への移行が起こるという保証はない」
「移行に失敗したらどうする?」
確かにリスクはある。改革には危険はつきものである。
しかし日本がこのまま行っても、座して死を待つしかないのである。

あるいは「そのような事をすれば『税負担が家計を直撃し』それこそ本当に少数の金持ちしか大学に行けない社会になってしまう」という反対論が、自称「労働者・社会的弱者・貧乏人の味方」あたりから出て来るかも知れない。
もしも彼らが教育相続税に反対したら、逆に問い質してみたいものである。
そもそも、生活必需品である「家」にまで課税されるのに、なぜ贅沢品にすぎない学歴に課税されないのか? 「相続税が家計を直撃し」「今住んでいる家を出て行かねばならない」となれば悲惨であるが、地価高騰の時代、現実にそれは起きていた。
にもかかわらず、なぜ「今住んでいる家」に対する相続税を廃止しないのか?
君たちは「労働者・社会的弱者・貧乏人の味方」ではなかったのか?
それとも家を持っているのは金持ち資産家ばかりであり、自分たちの敵だと思って助けなかったのか? このことを是非とも問い質してみたいものである。

さて、彼らの「少数の金持ちしか大学に行けなくなってしまう」という懸念だが、私は「いっそそうなれば良い」と思っている。 というか「現実はもう既にそうなっている」とも言える、親の収入と、子供の学歴には、明確な相関関係がある。
そして「教育格差をなくそう」と言ってみたところで、現実問題としてそれは無理な話である。 というのも、貧乏人が子供の「尻を叩いて」勉強させれば、金持ちは「もっと尻を叩いて」勉強させるからである。 虐待につながる事はあっても、平等は実現できない。

受験戦争最盛期(戸塚ヨット以前)には、スパルタの塾や学校が乱立していた。 「合格のために殴ってやって下さい」オヤジが一筆書けば「子供の尻は真っ赤」の世界であった。
当時は、教育改革が叫ばれるその一方で「それでも子供を学校に行かせるための最後の砦」として「戸塚ヨット」は政治的に利用されていた(戸塚もまた被害者である)
サービスの悪い店には客が来なくなるのと同様、管理教育や受験競争など、嫌な事をする学校に子供が行かなくなるのは当然、登校の強制は、自由競争を阻害している。
自由競争が働き、倒産・失業の恐怖にさらされてこそ初めて、学校はいじめ問題にも真剣に取り組むようになる。

「教育格差をなくそう」なんて現実には無理、だから、私は次のように考える。
この際スネかじり人間なんかどうでも良いのである。 それよりも、社会人学生が過半数を超え「生涯教育が主流になる」方が重要である。 生涯学習社会への移行、これにより教育の機会は飛躍的に拡大する。
そのためには、金持ち特権階級の「お受験」と一般庶民の「生涯教育」を隔てる「壁」を用意し「お受験」がもたらす悪影響を遮断する必要がある。
というのも、同じ土俵にいる限り「親のすねをかじって大学に行く金持ちエリート」が必ず勝つようになっており、それが生涯教育の普及を阻害するからである。
このままズルズル続けて行っても、生涯学習社会は永遠にやって来ない。
だからこそ「親のすねをかじって大学に行く金持ちエリート」に厳しく課税し「少数に絞り込む」あえてそれを行う事で「我々貧乏人=下流のチャンス」が到来するのだ。
アメリカの議会に上院と下院があるように、イギリスの議会に貴族院と庶民院があるように、大学の定員にも、

@ 高い税金を払って大学に行く金持ちボンボンの上流枠
A 自分が稼いだ金で大学に行く社会人の下流枠

を設けてはどうか?
「お受験に金をかけられる金持ちが有利」とは昔から指摘されている通りであるが、今後格差社会を迎えるに当たって、それはますます顕著になるだろう。
そうなれば「上流枠」「下流枠」の分離は、もはや必須の制度となるだろう。

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