第3章 少子化・年金問題はこうやって解決する

《コラム》制服のない学校

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アメリカでは地域の実情に合わせ、体罰が認められている州もある。 そのような州では、パドルと呼ばれる「尻叩き用の板」が用意されている。 ただ逆に言えば、アメリカの学校は一定のルールの下に体罰を行い、しかも尻しか叩かないので、生徒が死ぬ事はない。
たまにアザが出来る事もあるが、致命的と言うほどでもない。

それよりもアメリカの公立学校は「制服がない」これ羨ましいとは思わないか? 日本も「悪い事した時は尻叩かれても良いから」その代わり「制服を廃止して欲しい」と私は思う。
例えば「体罰禁止だが制服」の従来通りの学校に加え「服装髪型は自由だけど悪い事すると尻叩かれるアメリカ型の学校」を用意すれば良い、この2つを子供に選択させるというのはどうだろうか、ちなみに私が子供だったら、間違いなく後者を選択するだろう。

なぜかって? 私は体罰を受けるようなルール違反はしないので、たぶん丸儲け(制服廃止を勝ち取るだけ)になると思うが、万が一、気の緩みから体罰を受ける事になったとしても「痛いのは一時的」であり「堅苦しい制服を年中着せられる」よりは、それでもはるかにマシだからである(尻が真っ赤になっても「服装の自由」はそれを超える価値がある)
「制服廃止」には生産性向上、自由な発想、集団迎合から自己責任へ、さらには「教育コスト削減」などの良い効果がある。 加えて「LGBT」をはじめとする「性的少数派」の子供の選択肢を増やすものとしても朗報である。

「非行に走るヒマを与えないために部活を強制する」「非行防止のために制服を着せ服装髪型を細かくチェックする」―――バカバカしいとは思わないか? 悪い事をすれば尻引っ叩けば済む事を、わざわざ回りくどく「日本の学校」はいったい何やっているのだ。
「悪い事をすれば尻引っ叩くぞ」とはじめに宣言するのがアメリカの学校である。 一方体罰が禁止されているので「尻引っ叩くぞ」と言えないのが日本の学校、そこで先生方は「制服や部活を利用して」生徒をコントロールしようと試みるが、それがうまくいかず、結局殴ってしまう(服装チェックや部活での体罰が多発する)
そもそも、アメリカとは異なり、体罰が禁止されているはずの日本で「死人」「大ケガ」「自殺者」が多発するのはなぜなのか? 表向き禁止しながら裏で黙認する―――これは一番よろしくない無法状態なわけで、まず認めた上で、厳しく規制して行くというのが正しいやり方である(我が国の場合は、むしろ体罰を認めた瞬間が文明開化とも言える)
そもそも体罰はダメだが制服はOKなのか? 制服を着せれば子供は大人しくなり体罰が不要になるのならそれも良かろう、だがそうはならず、さらに制服の上からムチが必要だと言う話になれば、何のための制服かという事になる。 だったら制服を廃止しろよ、と私は言いたい。 堅苦しい制服は「苦痛なだけで無意味」これもまた体罰の一種である(「ナワを使うかムチを使うか」明治時代からの迷いが法の支配を揺るがせ無法状態を生み出している)
けが人、死人が出るもう1つの原因は、体罰とスポーツをチャンポンにしている体育会系(部活)文化がある。 しごき体罰は日本独自の悪しき習慣、例えばアメリカの野球やフランスの柔道にそのようなものはないのは桑田選手の言うとおりである(ただアメリカ人やフランス人は絶対に体罰しないかというとそれはまたウソになる、彼らはスポーツとは別のところでやっている、要するに日本は体罰とスポーツが分離されていない、未分化であると言える)
さらに、表向き体罰が禁止され、アングラ化した日本では、どのような場合に、どのような方法で体罰を行うのか基準がなく「何でもあり」である。 それゆえ単に悪い事をしたから殴られるというだけでなく、一流大学に入れるためとか、アスリートにするためとか「親の見栄エゴ丸出し」の体罰まで揃っている(ガラパゴス化した様々な体罰の博覧会と化している)
桜宮高校の事例でも明らかであるが、いくら体罰を禁止しても、親が体罰を支持している限りはなくならない「親の見栄・エゴ・我欲」「何千何万と集まって」暴力教師を生み出す、そのような学校に行かせているのは親である。
それは今も昔も同じ。 「合格のために殴ってやって下さい」昔はスパルタ塾なんて言うのもあったが、たとえ体罰に効果があったとしても、受験やスポーツなど「勝負事」に使うのは間違っている(すべての親が「子供を殴る競争」を始めれば恐ろしい事になる、体罰には効果だけでなく弊害もある、さらに過当競争になればコスパは低下する)
学校体罰はなくならないし、親の虐待もなくならない、そのため「親権から懲戒権を削除せよ」と主張する人もいるがどうだろうか? 気持ちは分かるが、単に法律の条文から文言を削除すれば虐待はなくなるのだろうか? (そもそも「懲戒権のない親」とは何なのか、お手伝いさんと同じではないのか、ムチを持っているからこそ親ではないのか!)
諸外国の例をみれば、EU加盟国であるドイツ・フランスは、既に「懲戒権」を削除している。 だがこれらの国でも体罰が完全になくなったかというとそうではない。 それだけでは不足である。 近年フランスでは「尻叩き禁止法」(子供の尻をひんむいて叩く事を禁止する法律)が検討されたが、国民の大反対にあっている(そのような法律が取り沙汰される事自体、何も変わっていない証拠であり、しかも頓挫している) 「懲戒権の削除」にこだわり時間を浪費するよりも、別の方法を考えた方が賢明である。
「親権バウチャー」「親権に自由競争を導入する」事で、体罰の行き過ぎを防ぐだけでなく、精神的虐待も防止し、なおかつ親の負担を激減させる画期的制度である。
親権に自由競争が導入されれば、行き過ぎた体罰はなくなる。 親の体罰が抑制されれば、学校での体罰も抑制される、このようにして子供を「部活や受験戦争など理不尽な体罰」から守った上で、次にやることは「体罰の規制緩和」である。
アメリカには「遅刻6回でお尻3発」と校則に書いてある学校もある。 実にわかりやすく明快である。 アメリカ式に一部体罰を認める代わりに、部活も制服も廃止すれば、余計な事故も、余計な体罰も、先生方の負担も激減する(校門圧死なんて事件はそもそも起こらない)
一発殴れば済むような躾のために手間暇コストをかけ説得する。 その一方でやらなくていいような点取り競争や試合のために殴りまくる。 どちらも教育コストを増大させる要因である。
そもそも制服なんて意味あるか? 異質を認めない「制服文化」「横並び主義」それは日本人の欠点でもあり、また陰湿ないじめの源にもなっている(体罰よりもこちらのほうが問題)

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