あとがき

あとがき(総決算)

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そもそも教育というものは、失業問題の解決につながるのだろうか?
その答えは、イエスでもあり、ノーでもある。

アメリカで、ある実験が行われた。 ホームレスを1人つかまえてきて、彼に住む家を与え、大学に行かせてやるのである―――その結果、彼は就職できた。 こうして教育は彼の失業問題を解決した。
だがそれでもって「教育は失業問題を解決する」と言えるかといえばノーである。
では、すべてのホームレスを大学に行かせれば「失業問題」はこの世から消え去るか?
そんな事はない。 みんなが大学に行き「それが当たり前」になってしまえば、大学を出ていても相対的に何の価値もなくなり、やっぱり就職できない者が出て来る。
変にレベル=敷居の高い(しかもやたらカネのかかる)高学歴社会になるだけである。

つまり、教育は個人レベルでの失業問題の解決や、個人レベルでの収入増につながるかもしれないが、社会全体としての失業問題には無力であるし、社会全体の豊かさにつながるかも不明である。
社会の発展に正しくつながれば良いのだが、単なる見栄の張り合い、無意味な学歴獲得競争に翻弄され資源を浪費するだけに終わるのかもしれない。 だから教育が失業問題の解決につながるかどうかと問われれば「イエスであると同時にノー」としか言いようがない。
むしろ下手に高学歴化してしまうと、教育コストが増大し、少子化が起こり、財政は悪化し、福祉は後退し、それこそ国を滅ぼして行くシナリオも考えられる。
そもそも教育とは、平等を実現するための武器なのか、それとも格差を作り出すための武器なのか、人を解放するための道具なのか、それとも抑圧するための道具なのか?

私がこうやって本を書く事が出来るのも教育のおかげであり、基本的には人間を解放する武器なのだろうが、そう単純に無条件に礼賛できる代物でもなさそうだ、しょせん武器は武器に過ぎない。
教育にカネをかける事、それ自体が悪いわけではないが、それに見合う社会的メリットや効率はどうなのか?(学問に実利ばかり求めるのは間違っているが―――とはいえ少なくとも少子化や年金問題などの害を引き起こさないよう配慮すべきだろう、国を滅ぼしたのでは学問の自由も多様性もない)
教育は、平等を実現するための武器であると同時に、格差を作り出すための武器でもある。 これは何を意味するか、平等を実現したいと思っている人間にも、格差を作り出したいと思っている人間にも、どちらにも売り込む事が出来る。 つまり受験戦争の武器商人=サムライ商法は不況知らず、儲かって仕方がない。 学問を否定するわけではないが、こういうものに騙されないようにするのもまた知性の1つである。

さて、失業問題の本質は何なのか、突き詰めて行くと、こういう事である。
「無駄をなくそう」とか「生産性向上」などとよく言われるし、本書でもその様な事を書いている。 それと矛盾するようだが、ムダもまた必要なのである。
なぜなら、生産性向上の結果、失業者が町中に溢れたのでは困るからである。

失業者が町中に溢れたのでは、社会は不安定化する。
そこで、スポーツだとか、レジャーだとか、ゲームだとか、ネットだとか、新しい遊びが生まれ、それに金と時間を費やす事で、新たな雇用が生まれる。
つまり、これら「生存に直接関係しないムダ」が社会を調整してくれているわけである。
ただそうはいっても、あくまでも「コントロール可能なムダ」でなければならない。
程々に楽しんでいるうちは良いが、コントロール出来なくなり、ギャンブルに金をつぎ込み借金して、人生を狂わせたのでは大問題である。

さて、そのような観点から「教育」というものを再度検証してみると「余剰労働力の吸収体」「雇用調整機関」としての「学校」は、日本経済の安定を支えて来たともいえる。
若者にとっては、何のための勉強か分からない辛い側面があり、非行に走ったり、あるいは体罰やいじめなどの人権問題が発生したりする事もあるが「コントロール可能なムダ」として、なおかつ「たまには役立つ教育・学問」は優れた性質を持っている。

もっとも「今も本当にコントロール出来ているか」というと、いささか疑問が残る。
教育コストの増大が、少子化・年金問題、そして最終的に国家財政の破綻を招くならば、それはコントロール出来なくなって来ている証拠ではなかろうか?
「人口が維持できない」それは最も基本的かつ重大な問題である。

財政赤字は氷山の一角に過ぎない、むしろ「借金を返そうにも働き手がいなくなる」「居るべき子供がそこにいない」少子化の方こそ「未来に対する莫大な借金」その本体である。
人口問題は重要である。 乳幼児死亡率の高かった昔は、人類は多産だった(それゆえカトリック教会は、人工中絶はおろか避妊も手淫も禁止しているぐらいである)医学の進歩により、乳幼児死亡率が下がった現代は、多産である必要はなくなったが―――とはいえ女性が子供を産まない限りどうにもならない。
財政問題に関しては、日本の借金はたいした事ない大丈夫と言う人もいる、その根拠として、外国からの借金ではなく、年寄りが貯め込んだ国債である点を主張する。 しかしだからといって借金を踏み倒しても、どんどん増やして行って良いという事にはならない。
もちろん財政危機を口実に安易に増税されたくはないが、とはいえ大丈夫と言ってしまえば、またそれを口実に役人の無駄遣いが増える、そして最終的に路頭に迷うのは国民である。
要は役人の無駄遣いを無くせばよい、ではどうすれば良いか、私は「国家が子供を養う制度=子供限定ベーシックインカム」を提案する。 憲法を改正し、国家が子供を養う義務を負えば、その重みで青息吐息となり、無駄遣いどころではなくなる。
国家が子供を養う義務を負えば、役人の無駄遣いは減る、とはいえ今度はそれで楽になった親が無駄遣いを始めたのでは意味がない、それを避けるための秘策は「教育相続税」である。
子供を大学に行かせる親はカネが余っている証拠だから、ガッポリ取り返す、健康保険に例えるならば「混合診療は認めない」という事である(健康保険は命がかかっているので割り切れない面もあるが、学歴にはそのような問題はない、それこそ「全部自費」で良いと思う)

教育にしろ、ゲームにしろ、要はコントロール出来ているかどうかが問題である。
結局、コントロールできなくなり、破滅を招くのであれば、ギャンブルに金をつぎ込み借金しているのと同じである。 本書は、このように暴走しコントロール不能に陥った「教育・学歴」を、再びコントロールする手段を提供するものである。

次に、いじめ問題について触れておきたい。
そもそも、なぜいじめなんかするのか、なぜ自殺なんかするのか、それは端的に言うと、学校が面白くないからである。 なぜ面白くないか、それは「人にレッテルを貼りランク付けする」学歴ビジネス(サムライ商法)が幅をきかせているからだ。
教師の力量という問題もあるが、荒れる学校で神経をすり減らし、精神の病を患う教師がいる事を思えば、教師だけのせいにする事は出来ない。

そもそも学校が面白くてたまらなかったら、イジメなんかやらないだろうし、仮にイジメられたとしても、自殺なんかしないだろう。
日本人は、学歴・資格から戒名に至るまで、サムライ(武士のように士がつくもの)に弱い、そのために莫大なカネを使っているのである。
ちなみに、私は小学校低学年の頃は徹底的に苛められていた。 原因は「ウルトラマンを知らなかった」「野球を知らなかった」「おどおどしている」それは親が厳しくて「テレビを自由に見せてもらえなかった」「些細な事で平手打ちが飛んで来た」からである。
「苛められる側にも原因がある」「苛められる方が悪い」という人もいる。 確かにそういう側面はある。 ただ家庭環境や障害など、本人の努力ではどうにもならない場合も多い。
大人の世界にもイジメはある、例えば解雇部屋とか、本人に原因があるのか、単なるくじ引きの結果なのか、いずれにせよこれは簡単にはクビに出来ない日本社会独特のもの、企業が悪いと言うよりは、本来国が行うべき社会保障を、企業に押しつけている事に原因がある。
イジメに関しては、これは単純に善悪の問題ではない。 原因分析が必要である。 善悪の問題として扱う限り、ドグマ(教条主義)スローガンの域を出ない。

いじめや自殺は、勉強の出来ない底辺校だけの問題ではない。
現行の教育制度は「出来る子」にとっても面白くない制度である。
何に興味を持ち、何を学んだのか、何に感銘・感化されたのかとは無関係に、やたら難関大学に合格する事のみに価値を求める「学歴社会じゃなくて学校歴社会」「いや学校歴以前の偏差値入学歴」それは出来る子にとっても面白くない。
受験勉強に追われ、読みたい本も読ませてもらえない、知的好奇心まで抑圧される。
そして日本人にとってピークとは「合格して入学した」それで終わってしまうのである。
勉強好きの子供をわざわざ勉強嫌いにして行く「後が続かない」まずいシステムである。

受験勉強に何らかの意義を見いだそうとする試みは幾度となく行われてきたが成功していない。 それは大手予備校に貼り出してある紙を見れば分かる。 「当方の教材はこれだけ的中しています」それだけで、いかにくだらないものであるかがよく分かる。
最終的に有名大学合格を目標にしている限り(そういう下心が見えている限りは)たとえそれが「自主性尊重」であったとしても必然的にくだらないものとなる(旨い鶏肉を得るためには鶏を外で遊ばせた方が良いというレベルの話にすぎない)不純な動機から抜け出せていない(本当にどこまでも自主性を尊重する覚悟はあるのか!)

勉強にしろ、スポーツにしろ、基礎訓練が辛いのは仕方のないことである、しかしそれにしても絶望しか残らないのはなぜなのか(必要以上に辛くしているものがあるのではないか)もちろん悪いのはいじめっ子であるし、親や教師の力量不足もあろうが、最終的に「1人儲けしている」サムライ商法、彼らが引き起こしている公害である。
彼らはこれまで「日教組的悪平等=共産主義の恐怖」を巧みに利用して来た。
だが冷静に考えて「学歴」「お受験」の問題は「競争か平等か」「資本主義か共産主義か」といった、たいそうなイデオロギー問題ではなく、単なる「サムライ商法」の問題である。

しょせん子供相手の悪辣な「サムライ商法」破綻するのは目に見えている。 子供を絶望させて、何が競争社会なのだ。

とはいえ、私はいわゆる「サヨクの平等論」を支持しているわけではない、平等論やバラマキでは、この問題は解決できない。 火に油を注ぐだけである。 むしろ逆に、厳しく課税し搾り取ってやればよい「少数の金持ちだけに絞り込む」「ブラックホールのように締め上げる」そちらの方向に解決の光を見た。 具体的方法としては教育相続税オークションを導入し、強制的に「生涯学習社会」へ移行させる。

教育相続税―――これぞまさしく「ガキの英才教育を唱える」保守派も「ガキの平等を唱える」左翼も、右も左も誰も言わない日本社会のタブーである。
保守派は「猫も杓子も大学に行かせようとする」左翼の平等論を批判する(戦後民主主義批判)「だったらガクレキに課税すれば良いじゃないか」と私なんかは思うのだが、保守派側からそのような話は出てこない。 保守派もまた左翼に負けず劣らずガクレキに毒されているのである(こうして芥川の小説「蜘蛛の糸」のようにゾロゾロ上って行くわけである)
そもそも政治家はなぜ児童虐待問題に消極的か? それはお受験同様「虐待もまた格差を作り出すための重要な資源だから」である(2−14 大奥の原理)教育相続税を導入し「子供の教育が階級闘争から切り離されれば」そのような問題はすべて解決する。

「教育相続税」を導入し教育の軸足を「子供から大人へ」移せば、何度でもやり直しが効く社会になる。 そうなれば子供は「絶望から解放」され、それに起因するいじめも自殺もなくなる。 そもそも子供が、イジメや、理不尽な体罰に耐えているのはなぜなのか、それはガクレキ、つまりサムライ商法が力を持っているからである。
ガクレキが「今しか買えない商品(今でしょ!商法)」だから法外な金を取られる、犠牲を強いられる「卒業証書のために辛抱を重ね自殺する」そんな思いまでして取得したガクレキも、社会では役立たず失業し「借金だけが残る」まさしく教育ビンボー。 生涯学習社会に移行し、ガクレキが「いつでも買える商品」になれば、そのようなムダ・横暴は抑止できる。

生涯学習社会には「非行も体罰も入試もない」カネを払うのは自分であり、真面目にやらなければ損をするのは自分だからである。 体罰をなくそうとかのキレイ事・タテマエ論も、この際どうでも良い。 時間の無駄である。 それよりもサムライ商法をぶちのめす事が先決である(体罰禁止のポーズは、サムライ商法側の時間稼ぎでもあるのだ)学歴ビジネス=サムライ商法の力が弱まれば、体罰は確実に減る(少なくとも理不尽な体罰はなくなる)

私は体罰や強制の全部を否定するわけではないが、とはいえ体罰ふるいまくらねばならない教育制度だとしたら(知的好奇心を刺激する指導方式にいつまで経っても移行できず永遠に脅し殴り続け、動物の調教のような事を続けなければならないのならば)もうそんな教育制度は社会にとって必要ないものなのだ。

教育や学歴がすばらしいものなら、社会人にこそ、どんどん広めてもらいたいものである。
大学・受験産業は、ガキ相手に「サムライ商法」「殿様商売」して教育コストを増大させ、あげく少子化・年金問題を引き起こし、自ら社会のお荷物=ボトルネックとなるのではなく、生涯教育の場で正々堂々と競争し、オトナの支持を得られるよう努めるべきである。

教育に投資する事自体は決して悪くはない、ただ教育ビンボーはダメである。
では教育ビンボーをなくすには? ここでよく勘違いする人がいる。
学割や奨学金、授業料無料などの援助を主張するのである。
だが、そのようなバラマキは(甘い汁に群がる蟻のように)ますます高学歴化に拍車をかけ、たとえ個人の教育ビンボーを解決できたとしても、今度は国全体が教育ビンボーになる(韓国のようになる)本質的解決にならない(サムライ商法を税金で養うようなもの、ますますのさばらせるだけである)教育ビンボーをなくす正しい方法は、教育・学歴に課税し(聖域なき課税)他の資産・投資と対等に扱う事である。

金持ちばかりが大学に行き、貧乏人は大学に行けない「不平等だ」「俺たちも大学に行かせろ」と主張するのは賢明ではない。 なぜなら奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、さらなる付加価値を求め「もっと金をかけ」「さらにその上を行く」のは当たり前、イタチごっこ、平等なんて永遠にやってこない。 また新たな差別化手段、エリート名門が生み出されるだけである。
教育コストは増大する一方である。 教育コストの増大は、少子化・年金問題を引き起こし、国家財政を破綻させ、国民をますます苦しめる。 もはや奨学金云々の次元ではない「ガクレキに課税しろ!」と主張するのが正しい。
「不平等」を訴えるのなら、むしろ金持ちを敵に回すのではなく「土地財産にばかり課税され、ガクレキには課税されない」という現行制度の「不平等」を訴え、金持ちを味方につけた方が賢明である。
金持ちを敵に回している限り解決はない、というかサムライ商法の思うつぼである。 金持ちの息子が全員大学に行くようになれば「その費用捻出のため」弱い立場にある貧乏人はますます厳しく搾取される(すべての大家が息子を大学に行かせるようになれば「家賃は値上げされる」なぜなら「息子を大学に行かせない大家」がいなくなる事で価格競争が無くなるからである)このような「コスト転嫁」は大家と借家人との間だけでなく、資本家と労働者、社長と従業員、大企業と下請け等「すべての階級間について」言える事である(★教育投資の絶対化・聖域化・合理性の喪失)
奨学金など何の役にも立たない。 奨学金のおかげで貧乏人が「大学」に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、さらにその上を行くものである。 貧乏人を「さらに厳しく搾取し」そのカネで息子を「難関大学」あるいは「大学院」に行かせるものである。 こうなるともう富裕税も累進税も全くの無意味、全部貧乏人に跳ね返って来る(そもそも非効率なガクレキ封建体制そのものを破壊しない限りどうにもならない)これで儲けているのはサムライ商法である。
近頃は奨学金を返済できない人が増え社会問題となり、給付型奨学金が検討されているがどうだろうか? 返済不要の奨学金は、当然の事ながら成績条件は厳しく、普通の生徒には関係ない話である。 一方で金持ちはバカでも大学に行く、その格差はなくならない。
自由競争に勝利した金持ちが、自分の息子を大学に行かせるのは正当だという人もいる。 しかし前述のように、全ての大家が息子を大学に行かせるようになれば「競争がなくなり」家賃は値上げされる。これは正当な自由競争と言えるのか?
「優秀な貧乏人を大学に行かせる」よりも「バカな金持ちを大学に行かせない」事の方が重要である。 というのもバカな金持ちが大学に行けば、教育コストが増大し、そのぶん貧乏人は搾取され少子化の原因となる。 優秀かどうか以前に、貧乏人は生まれる事すらも出来なくなる。
そもそもガクレキを特別扱いする事自体が間違いの元である。 ガクレキも他の資産・投資と「対等に扱い」「天秤にかけ」「効率を検証」すべきであり、対等に比較・課税してこそ初めて「健全な投資」が可能である(★教育投資の相対化・合理性の回復)
他の資産運用と比較すれば、学問は実利一辺倒になってしまうのだろうか、そんな事はない。 むしろ成熟した生涯学習社会を迎えてこそ初めて学問の自由・多様性が保証される。 (親のすねをかじっている限りは「良くて就職のための道具」それ以上の物にはならない)

もちろん、他と比較するのは、ガクレキだけではない。
ボランティアだってコスト意識を持つ必要がある。
兵役かボランティアか知らないが、その間「誰が給料を支払い養う」のだろうか?
「ボランティア」を主張する連中には、そのような視点が欠けている。
このように若者本人や、彼らを養う親の「負担を増やすだけ」「若者の自立を遅らせるだけ」「徴用」は、国家にとって一見美味しそうだが、実はタダほど高いものはない。
ボランティアなんかやっている暇があったら早く自立して子供を作れ!
それが愛国心ではなかろうか?

「走れ走れその様な考えは捨てて転向しろ」部活にしろ、ボランティアにしろ、徴兵制にしろ、本当の狙いは思想統制にある。 もっともそれで愛国心が培われるのかは疑問だが....
宗教家の中には、避妊を目の敵にする者もいるが、コンドームが少子化の原因とでも思っているのだろうか? いまや「野放図に増大する教育コスト」こそが子孫繁栄を妨げている。

一方、高学歴化そのものの問題点もやはり指摘せねばならない。
みんなが大学に行く「平等社会」を目指すサヨク、その「平等論」は、理想としては素晴らしいが、やり方がまずいと言わざるを得ない。
例えば、オヤジがリストラされたせいで大学に行けなくなる子供がいるが、では平等を実現するために「労働者をクビに出来ない法律」を作れば良いのだろうか?
そのような法律は、経営基盤の強い大企業・役人だけに有効であり、中小企業には効かない(いくら権利を主張しても会社が潰れればどうにもならない)結局どうなるかというと、なまじ「クビに出来ない法律」があるがために、大企業の「仕事の出来ない奴」を辞めさせる事が出来ず、代わりに下請け社員が振り回され、こき使われる事になる。
また別の意味での格差ブラック問題を引き起こす。

「差が大きすぎる」という本来の格差問題に、さらに「能力のない者が上に来る」という新たな要素が加わる事になる。
労働者をクビに出来ないと言うことは即ち「生殺し」に等しい。 「窓際族」「追い出し部屋」も辛いだろうが、会社は彼らにも給料を支払っている。 彼らの給料を稼ぐためにこき使われるのが下請けと考えれば、誰も幸せにはならない。
賃金を引き上げるとか、正社員を増やすとか、一見して「労働者の味方」的な政策にダマされてはいけない。 これらはかえって労働者を苦しめる。 つまり賃金が上昇すれば「ものづくり」をする人間は、外国の低賃金と比較され仕事を失う。
その一方で「下請けに外注するだけ」「管理のふりしているだけで責任取らない」大企業の年寄りなど、特権階級をのさばらせる(2−7 賃金高騰と職業差別
正社員を増やすと言っても、国民全員に正社員や役人の身分を保障する事など出来ない。 いったい国民の何割が、正社員になれるのだろうか「正社員を増やし生活を安定させよう」などと言うのは、少子化対策としては全くのナンセンス、むしろ無理に「正社員を増やそう」と中途半端な事をする、それもまた新たな格差・歪みの原因である。
そもそも正社員と派遣社員の2種類あるから格差が発生するのであって、格差をなくすにはどちらか一方にすればよい。全員を正社員に出来るのなら良いが、これからの時代どう頑張っても半分も正社員には出来ない、となるとむしろ正社員を減らす方が平等に近づく。 正社員は増やすのではなく減らす方向が正しい。
仮に半分が正社員で、しかも残り半分の派遣社員は子供を作れないとするならば、それで人口を維持するためには、正社員の家庭は、子供を4人作らねばならない。 これは現実的ではない。 それよりも派遣社員もちゃんと子供を作れる社会にすべきである。
私はコンピュータプログラマをやっているが、ひとつの会社に一生お世話になるなど考えたこともない。 私が不満に思うのは、大企業はいまだに年功序列であり、やはり彼らの方が、給料が高い点である。 よって格差を無くすためには、正社員を減らすのが正しいと考える。 (政府には、もっと正社員を減らし、リストラを進めるように、企業を指導してもらいたい、間違っても正社員を増やせなどと言ってはいけない)
単能工が三年間働いたから正社員にして欲しいなどという要求はどうでも良い、それよりも年功序列のオヤジが、コンピュータプログラマよりも高い給料をもらっている事の方が問題(これこそ本当の格差問題)なぜそうなってしまうのか、それは正社員が多すぎるからである。 格差を無くす正しい方法は、正社員を減らし待遇を下げる事である。
私の「待遇を下げろ」という主張に対し、これを「サヨクの平等論=下に合わせろ論」と誤解あるいは曲解する者もいるが、私にとっては、上流つまりビルゲイツやイチローが大儲けしようがそんな格差は超どうでも良い話、それよりも下流でもちゃんと生きていける、子孫繁栄できる、少なくとも人口が維持できる社会が目標であり、その為には、じゃまな中流層は引きずりおろす必要がある。
国家が企業に正社員を増やすように圧力をかけるのは間違っている。 それは本来国が行うべき社会保障を企業に押しつけているに他ならない。 とはいえこれまで国の社会保障はうまく機能していなかったではないかという批判もあろうが、だったら原因を考える必要がある。
国の社会保障がうまく機能しなくなると、右も左も(保守も革新も)「大家族を復活せよ」とか「正社員を増やせ」とか主張するが、それは無責任というものである。 そもそもなぜ社会保障がうまく機能しないのか、その原因を考えずに「家族や企業に社会保障を押しつけても」うまく行かない事に変わりはない。
少子化対策とか称してカネをばらまいたところで「それで浮いたカネが」大学や受験産業に流れ「彼らを儲けさせるだけの結果に終わる」こんな事をしていたのでは、社会保障がうまく機能しないのは当たり前である。
低賃金でも、不安定な仕事でも、それを世の常とし「それでも充分に子孫繁栄できる」身軽な社会を構築する「教育コスト削減」それが本当の少子化対策「正しく機能する社会保障」これこそが国家が存在する意義である。
終身雇用を前提に社会制度を考えてはいけない。 ガクレキ、資格さえ取れば、あるいは正社員になれば一生安泰なんて世界は(たとえそこに試験制度が組み込まれていたとしても)能力主義ではなく「身分制度」である。
人は無意識のうちに「身分制度」を目指すのだろうか? 東大に入れば、弁護士になれば、大企業に入れば、公務員になれば、正社員になれば、一生安泰なんて考え方は実は「身分制度」当人は難しい試験に合格して能力主義のつもりだろうが、果たしてその様な社会は良い社会だろうか?
終身雇用はガクレキ封建体制に結びついた一種の封建制度である。 そもそも企業は、要らなくなった社員を食わすために、専門外の業種に進出しなければならないのか? それこそリスクが高いと言わねばならない、転職してもらった方が良いだろう。 それに大企業の進出のために中小企業は犠牲になるのか、こんな理不尽はない。
むしろ国家の役割は、正社員を増やすように企業に圧力をかけたり、働かなくても食っていける福祉制度を完備したりする事ではなく「国家が子供を養い」「足手まといをなくす」「転職しやすい社会を作る」事である。
一定のレベルを保証するという意味での資格は良いが、これを「新規参入の障壁」にしてはいけない。 なぜならそうなってしまうと、やたら難しい「試験のための試験」と化し、教育コストの増大を招き、それが巡り巡って、利用者の負担となるからである。
私はIT業界に勤めているが、そもそもIT業界には、参入を阻む資格どころか国境もない。 最近はガクレキだけでなく、医者や弁護士でも価格破壊が起こっているし、大企業でもリストラは当たり前だが、プログラマの私から見れば、まだまだそれでも生ぬるいと言えよう。 人の不幸を喜ぶようで申し訳ないが、このような資格・身分はどんどん暴落させるに限る。
教育コストの増大は賃金高騰、国際競争力の低下を招くだけでなく、試験制度に翻弄され人生を狂わせる者まで出て来る。 犠牲者を減らすためにも暴落させた方がよい。
そもそもなぜTPPに反対するのか、日本の農業だって決してアメリカに負けないはずである。 もしアメリカに負けてしまうとしたらその原因は何か? その1つに無駄に教育コストが高いというのがある(いまや「百姓もサムライ」ムスコを大学に行かせるのに必死である)私は高卒でコンピュータプログラマをやっているが、不思議に思うことがある、耕運機を操作するのに大卒の学歴は必要だろうか?
グローバリズムを批判する向きもあるが、水が高い所から低い所に流れるように、安いものに流れるのは経済の法則、それに逆らうのは丸い地球を四角にするようなものである(海の水はどうなる?)要はグローバル化の中でどう生きて行くか、どのような社会体制が有効かという議論、少なくとも非効率な「ガクレキ封建体制」「参勤交代」ではダメである。

このように「変な労働者保護」あるいは「奨学金等のバラマキ」が、結局のところ何の解決にもつながらず、逆に弊害を引き起こしている点は、これまで指摘した通りである。
抜本的改革が必要である。 「国家が子供を養う」「週休3日制」「生涯学習社会」「ワークシェアリング」など、本書が主張する「負担軽減」にこそ未来がある。

@ 重厚長大から、軽薄短小へ、
A 春闘賃上げよりも、低賃金でもやって行ける真に豊かな社会へ、
B 年功序列のオヤジが何人もの息子を大学に行かせるガクレキ封建体制から、 子供はそれぞれ自分の稼ぎで「勝手に」大学に行く生涯学習社会へ、

たとえ給料がアップしても、負担が重くなれば帳消し、それどころか「何人もの息子を大学に行かせるため働かざるを得ない」弱みにつけ込んだ悪徳ブラック企業が蔓延る事になる。

何せ日本の賃金は世界一(ベトナム人の何倍もらっているのだ!)死ぬほど働いてもらわないと元が取れない。 それがブラック企業の言い分、残念ながら彼らにも一理あると言わざるを得ない。 では一番悪い奴は誰か? それは教育コストを増大させ、少子化の原因を作った「サムライ商法」である(要介護の年寄りが増える一方で子供が減るのだから、現役世代にしわ寄せが行くのは当たり前である)
賃金なんてものは所詮、相対的なものに過ぎない、ある一群の人たちの給料が上がる事は、他の人たちの給料が目減りするのと等価である。 労働組合がいくらがんばっても世の中良くならないのはそのためである。
私は、春闘も賃上げも不要と考えている。 そもそも、生産性が向上したのなら、安くて良いものが手に入るようになるはずだから、別に給料が上がらなくても、生活は豊かになるはずではないか? むしろ労働組合が変に頑張って、ガンガン給料を上げたりするから、歪が生じ「大企業と中小企業の格差」「正社員と派遣社員の格差」を生む。 さらに正社員が「既得権化」することで「雇用の流動性」が損なわれる。
賃金などどうでも良い、それよりも「現代社会の一番のムダとは何か」「社会の発展を阻害しているボトルネックとは何か」に私は着目する。

形だけで中身のない「労働者保護」「賃上げ」よりも、本当に有効なのは、

@ 親の負担軽減(教育コスト削減)
A 親子の経済的分離(国家が子供を養う)
B 転職しやすい、身軽で風通しの良い社会(雇用の流動性)

自民党・財界の主張するBつまり「雇用の流動性」にしても、親の負担軽減、つまり@Aが前提ではなかろうか(それを飛ばすから批判されるのである)
一方、連合・労働組合側にも反省点はある、いくら春闘で頑張っても、結局は社会全体の生産性が向上しない限り、生活は良くならないわけで(効率の悪い事をしていてはダメである)

C 社会システム全体の、本当の意味での生産性向上

が必要ではなかろうか? そもそも受験競争は自由競争なのか、それとも階級闘争なのか?
それは本書が「まえがき」で提起しているテーマである。
教養を高め、国を発展させて行くのなら良いのだが―――実際にはくだらない丸暗記やいじめ差別が蔓延るばかりで、肝心の思考力が育たず、世のためになっていない。
さらに「野放図に増大を続ける教育コスト」は、社会に歪みを作り出し、社会の発展を阻害し、教育貧乏になって行くばかり―――そういう事は止めさせないといけない。
そのための武器が「教育相続税」である。

賃上げしろとか、労働条件を改善しろとか、正社員を増やせとか、虫の良い事ばかり言うが、だったら自分が経営者になってやってみろよ!
本当に問題を解決したければ、キレイ事を並べ立てるのではなく、原因を究明すべきである「何人もの息子を大学に行かせるため働かざるを得ない」「奨学金を返済するために働かざるを得ない」そのような人が増えれば増えるほど労働条件は悪化「過労死やブラック企業が蔓延る」法律でいくら規制しても「ザルで水をすくうようなもの」ブラック企業に効果はない。 (ブラック企業も、理不尽な体罰も、その背後には学歴ビジネス=サムライ商法がある。 むしろ歯が浮くようなキレイ事・タテマエ論を言う奴は、問題解決の意欲がないどころか、問題の本質から目を逸らさせようとしている可能性もある)
労働組合も当てにならない(なにしろ「息子を大学に行かせるためにはカネがかかる」組合員からの突き上げを食らい、賃上げ要求を優先)下請けの労働条件など考えない。
(学者は絶対言わないが)ブラック企業をなくす最終兵器は「無理して働かなくてもよい社会にする」そのために真っ先にやること、それは「教育コスト削減」である。
いくらキレイ事を言っても、企業は競争に勝たねばならない。 無理して働かざるを得ない人間が増えれば、当然ブラック企業が増える。 一方、形骸化した無意味なガクレキと分かっていても、大学に行かないと競争に負けてしまう社会である限り、無理をする人間が増える。 この悪循環を断つ最終兵器は「教育相続税」である。
これはブラック企業だけでなく、最低賃金制度でも、偽装請負でも言える事だが、いくら法律で規制してもなくならない。 むしろ規制が厳しくなる事で逆に「失業する」あるいは「希望する職業に就けなくなる」可能性もある。 私はIT業界に勤めているが、偽装請負を厳格に禁じたら私の仕事は無くなってしまうかも知れない、もしそうなったら国が代わりに雇ってくれるのか「生活保護」してくれるのか、政治家も役人も何考えているのだ!
ヨーロッパにブラック企業がないのは、単に労働時間を規制するだけでなく、莫大な予算を投じて「生活保護」しているからである。 ヨーロッパ諸国は、莫大なカネをかけ福祉の力で「無理して働かなくてもよい社会」を作り出しているのである。 もっともそれには弊害もある(英国病になってしまう)だから我が国は「また別の方法」を考えればよい。 おすすめは「教育コスト削減」つまり「サムライ商法をぶった切る」それですべて解決するのである。
法律でがんじがらめに規制しても抜け道はいくらでもあるし、逆に自分のクビをしめる事にもなりかねない。 物事はシンプルに考えるべきである。 複雑な労働法規も形骸化するだけであるし、労働組合も所詮は利益団体、下請けの人権など考えない。 それよりも「無理して働かなくてもよい社会にする」すべてはその1点に尽きる。 それこそがすべての労働者に福音をもたらす。 要はどうやってそれを実現するか、その「方法論」にある。
長時間労働を無くすために見回りに来るのか? それよりも長時間労働しなくても良い社会を作れよ、そのためには教育コスト削減が効果的である「子供を1人前にするのにどれだけカネをかけているのだ!」過労死も少子化も、すべては無理が祟っているのである。
大学進学率を一気に引き下げても良いのなら、すぐにでもブラック企業は無くせるが、それでは大学が倒産して社会が混乱する。 だから教育相続税オークションによって、徐々に生涯学習社会へ移行させて行く「適応するための時間を与える」それが本書の提案である。
大学へ行きたければ、まず社会人になって、余裕が出来てから行けば良い。 借金してまで行く必要は全くない。
私はコンピュータプログラマをやっているが、大学で情報工学を専攻したわけでもなければ、専門学校さえも行っていない(私が学生だった当時は、専門学校自体がまだ存在しておらず独学である)日本の将来が順風満帆で、カネが有り余っているならともかく、年金制度が傾いている現状にあって、形だけのガクレキにカネを使う必要は全くない。
学歴コンプレックス? そんなの考えた事もない。 それは私がコンピュータプログラマだからだろうか? (そういえばインド人技術者がこのように言っていた「プログラマはカーストから解放された唯一の職業である」と、つまり学歴コンプレックスとか言っている奴は、インドのカースト制度を笑えないと言う事である)
私の今の関心事はガクレキではなく投資である。 現代は投資信託などというものもあり少額から投資できる。 いわば誰でも資本家になれるわけで、つまり国民の多くは「労働者であると同時に資本家」という事になる。
投資は「労働者の意識を変える」良い勉強である。 私も「労働者」だった頃は、怠ける事しか考えなかったが、投資を始めてから資本家の気持ちも分かるようになった。 つまり何時間働いてナンボではなく、社会の役に立ち、社会を発展させてこそナンボの世界である。
我々日本人は(資本家を悪く言う左巻き学者が多い事もあって)投資には後ろめたいイメージを持っているが、そんな事は決してない。 投資はガクレキよりも受験勉強よりも、ずっと価値のある尊い勉強である。 もちろん社会を発展させるためには、学問も必要だが、手段にすぎない。 手段を目的にしてはいけない(もっとも現実は学問の自己目的化以前に、大学入学が自己目的化している)何年間勉強したからナンボではないのである。 そして実際問題、ヘタな大学に行くよりも、そのカネを投資信託に預けた方が儲かる(ピケティ経済学)あるいはそのカネで太陽電池でも買った方が地球のためになる。
ところでピケティ氏は「役人の給料を上げれば民間にも波及する」と主張しているがどうだろうか? 波及したとしても大企業までではなかろうか、中小企業はむしろその分搾取されるだろう。 仮に中小企業やコンビニの店員にまで波及したとしても、みんな給料が上がれば、物価が上昇するから、結局上がらなかったのと同じ「振り出し」いくら名目賃金が上がっても、社会全体の「本当の意味での生産性」が向上しない限り、生活は豊かにはならない。
大企業と中小企業の格差に関して言えば「同一労働同一賃金」なんてスローガンもあるが、言うは易く行うは難しである。 そもそも「同一」とは何か、少しでも違っていればダメなのか、誰がどういう基準で判断する? それに同一労働でない場合もある。 年功序列のオヤジとコンピュータプログラマは「同一労働」ではない。 大企業勤めの年功序列のオヤジと、派遣プログラマの格差は「同一労働同一賃金推進法」では解決できない。
かつてマルクスが資本論で述べた「資本家と労働者の対立」はもはや過去のもの、むしろ現代は「資本家の搾取」よりも「サムライ商法に搾り取られないよう」気をつけるべき(2−10 格差よりも教育ビンボーに気をつけろ!)格差格差と騒いでいる学者が一番クサイ
労働者は資本家に搾取されているという人もいるが、実は違う。 例えば「サービス残業」という問題がある。 もちろん高給に見せかけながら(サービス残業をさせる事によって)実質賃金を引き下げようとする会社の姑息なやり方には問題はあるが、自分の市場価値も考えずに、やたら高給を目指す労働者にも問題がある(人は己の市場価値以上は稼げないのであって、無理をすれば苦しくなるのは当たり前である)ではなぜ労働者は無理をするのか、背伸びするのか、それはムスコを大学に行かせるため、カネがかかるからである。 息子を大学に行かせなければ、息子は差別され、将来定職に就けなくなるのではないか、その恐怖が労働者を無理させているのである。 つまり学歴ビジネス(サムライ商法)によって労働者は搾取され、苦しみ、健康を害しているのだ(一番悪い奴はブラック企業の経営者ではなくキレイ事を言っている学者である)
「残業代ゼロ法案」は良くないが、そのような法案が検討される背景は理解する必要がある。 日本のホワイトカラー、特に年功序列のオヤジは、給料が高い割に生産性が低すぎるのである(いったいベトナム人の何倍もらっているのだ)ではなぜそんなに高いのか、その割に豊かさを実感できないのはなぜなのか、それは子供にカネがかかるから(これ誰も言わないが)子供の教育に何千万も使うなどどう考えても異常、サムライ商法に搾取されているのである。
これに近い事を言う人もいる、曾野綾子氏である。 ただ彼女の良くないところは、ベトナム人やアフリカ人と比較し「下見て暮らせ」で終わってしまう点である。 世界一長寿で豊かなはずの日本でなぜ豊かさが実感できないのか、その原因にもっと迫る必要がある。
自分の市場価値以上を稼いでいる奴も実はいる、それは大企業の正社員と役人およびNHKである、ただそういう奴を基準に「正社員を増やそう」と考えるのは、格差解消どころか経済破綻でしかない。 国が保たない、ギリシャの二の舞である。 「格差を無くす正しい方法」「市場原理に晒す」正社員を減らし待遇を下げる方向である。
資本主義は搾取だと言うなら、労働組合が後生大事に守っている年功序列だって搾取である。 人間年をとれば弱ってくる、だから資産をため、年をとるに従い、資本家に近づいて行けばいいのである(老害の元凶となる年功序列よりも、資本主義の方が優れている)最大の問題は「国民からなけなしのカネを搾り取り」「資産形成を妨げている」サムライ商法である。
資本家の横暴を抑止する方法は、共産主義革命でも累進税でも、相続税100%でもなく、国民が資産形成する事である(資産形成する事で資本家の競争相手が増える)
累進税を科すような大金持ちは、そんなにたくさんいるわけではない、税収源として少数の人たちに依存するのは危険である、もし大金持ちがいなくなればどうする、課税対象を中レベルの金持ちまで下げるのか、中レベルの金持ちがいなくなったら次は? 国民の資産は減るばかりである。
では過労自殺問題はどう解決する? これは単純に日本人の給料が高いからである。 中国人やベトナム人より高い給料もらっている限り(それに見合う成果がなければ)厳しい事を言われるのは当然。 日本人の給料はもう少し引き下げるべき、生活が苦しくなる? だったら子供を大学に行かせなければ良い(それでも行かせる奴には制裁を!) 「サムライ商法をぶった切れば」過労自殺問題は解決する。 さらに低賃金であっても資産形成が可能になる。
巷では「格差か悪平等か」という議論があって、左右の政治勢力が激しく争っているが「格差よりも教育ビンボーに気をつけろ!」それが本書の主張である。
共産もイスラムも平等を求めるが、結局「また新たな特権階級」を生み出すだけに終わる。 社会が発展し国が豊かになれば、そのうち格差なんかどうでも良くなる。 格差に固執してはいけない「格差よりもサムライ商法に気をつけろ!」それが本書のスタンスである。
共産党は格差格差とうるさいが、格差に固執しているようでは人間ダメである。 私はプログラマをやっているが、ビルゲイツに比べれば、私の給料など虫けら同然である。 だがそれでも喜々として仕事が出来るのはなぜなのか「カネなんかどうでも良い、自己実現のために働いているのだ」そう言える社会こそが本当の共産主義である。
もちろん「自己実現」なんて言えるのは、それなりに豊かな社会が前提だが、もうすでに日本の科学技術・生産力は「マルクスが夢見た理想社会=共産主義」のレベルに達している。 これほど急速に発展した国は世界でも稀「強欲さえ慎めば」すでに共産主義は実現している。 我が国は(ソ連や北朝鮮を追い抜いて)真っ先にそのレベルに達しているのである。
「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」共産主義の理念は、国民健康保険によってすでに実現されている(それ以外の贅沢は別として)少なくとも生命は守られている。
ではここで、うまくいかなくなって来ているのはなぜなのか、その原因を考える必要がある。 それはサムライ商法が国民からカネを搾り取り、教育コストを増大させ、少子化を引き起こしているから―――つまり「穴が開いている」わけである。
奨学金なんてもう言うな「穴を広げる」だけである。 「教育格差」をなくす正しい方法は「奨学金ではなく教育相続税」である(簡単な事である、ガクレキも土地財産と同等に扱えばよい)その話が学者の口から出てこないのはなぜか?(自分のクビが危うくなるからである)
本書は教育投資そのものを否定しているわけではない「借金したり少子化を引き起こしたりしてまで高学歴化するのは本末転倒である」と問題提起し「持続可能な社会」を目指すものである(そのためにはサムライ商法から「主導権」を取り返す必要がある)
主導権とはどういう事か、一般企業は、経済情勢を常に意識しながら、金儲けしているが、大学・受験産業は、教育コストが親の負担になり、少子化が起こり、国が滅んで行こうが、まったくお構いなしに高学歴化を進めようとする。
少子化が原因でパイが縮小し、一般企業が倒産する事はあっても、大学が倒産する事はまずない。 少子化の原因が教育コスト増大にある事を考えれば、大学や受験産業こそ真っ先に痛みを感じるべきであるが、彼らがそれを感じるのは一番最後である。 これは教育だけが「特別扱いされ」「世界の中心」「主導権を握っているから」であり、良くない事である。
そのおごりは「殿様商売」というかたちでもあらわれる、例えば「大学でコンピュータを学びたい」という人がいたとして、従来ならば「合格するためには歴史年号の暗唱から始めなければならない」という制度であった。
生涯学習社会に移行すれば、その様な事はなくなり「興味を持ったらすぐ学べる」タイムリーな対応が可能となる。 さらに生涯学習社会においては「科目単位の切り売り」が主流となる(なぜなら転勤のある社会人にとっては、大学も転校可能でなければならないからである)利用者(お客様)が「主導権を取り返す」とはこういう事である。
入試科目数については、近年は少子化の影響により減少傾向にあるが、では少子化問題が解決し志願者が増えれば、大学は再び「殿様商売」に戻るのだろうか? 再び「歴史年号の暗唱」を要求して来るのであろうか、そうさせないためには教育相続税が必要である。 (つまり「少子化にリンクしない形で」「常に大学を飢餓状態に置く」わけである)
入試科目が減れば「生物の分からない医者が増える」「数学の出来ない経済学者が増える」などと騒がれた時期もあったが余計なお世話である。 社会人なら自分で判断する事である。
国公立大学は授業料が安いと言うことで、これまで殿様商売は大目に見られて来た(国公立は入試科目が多く、かつては「四当五落」とも言われ、子供は睡眠時間を削り「合格のために殴られてきた」私は畏れ多くも「国公立」という言葉に体罰を連想する。 金持ちは入試科目の少ない早稲田や慶応に行き、貧乏人は殴られながら帝国大学を目指すというのが当時のパターンであった)だがそもそも国公立は本当に安いのか? 国公立は税金で運営されている「親方日の丸意識」ゆえに実際のコストは、私大よりも高いのではないか?
国公立大学を民営化すれば「授業料が高くなり貧乏人は大学に行けなくなる」と反対する者もいるが、それは奨学金を充実すれば事足りる話であり、民営化に反対する理由にはならない(電話や鉄道を民営化する一方で、国公立大学を民営化しない理由はあるだろうか?)

能力の有る者と無い者が同じ扱いなら悪平等である。
とはいえ、では何を以て能力とするのか、単に丸暗記がうまければ良いのか?
もちろん、そう言わせないために、様々な入試改革が行われては来たが、それでも完全ではない。 そもそも人間の全ての能力がテストで計れるわけではない。 ガクレキが力を持つようになればなるほど、テストで計れない能力・才能は否定され、辛い思いをすることになる。
さらにテストで計れる能力だって、それがどの程度の効率で、社会の役に立っているかも不明である。 東大卒の政治家や総理大臣もたくさんいるが、彼らが賢いのかバカなのかも良く分からない。

そもそも人間は道具を使う生き物であり、コンピュータを使えば良い(自らの手を蹄に進化させる必要はない)少なくとも単純な記憶・計算能力に関しては既に陳腐化している。
それに加え、天才とキチガイは紙一重と言われる通り、良すぎる頭にもデメリットがある。 (デメリットがなければ人間はみんな天才・みんな大男に進化しているはずである)
私は精神科の待合室で、東大卒で分裂症になった奴の話を、実際に聞いた事がある。 (私の頭では逆立ちしても分裂症にはならない、おバカで良かった!)
天才とまではいかなくても「病気と才能」のトレードオフは充分あり得る話、どこまで人間がやり、どこからコンピュータに任せるか、要はバランスの問題である。

ぶっちゃけた話、カネモチが「その身分を子孫に引き継ぎ」「未来永劫のものにするために」いわば相続税対策として「目を付けた」のが、ガクレキへの投資である。 ガクレキに投資した上で、あとは「骨董が高く売れる」ガクレキ社会を構築する事で、投資を回収する。
つまり社会の役に立つかどうかは別として、ステータスシンボルとしてのガクレキ、能力主義を装ってはいるが実際は違う、詳しくは2−2 差別論でも述べているが、これは差別制度の一種である。 金持ちが考えた「税金逃れ」のお陰で、いまや多くの国民が、いや、金持ち自身も苦しんでいる。
本書が下した結論はシンプルである。 今後、金持ちは、お受験だとか特訓だとか、回りくどい事はやめ、単純に「税金を支払って」大学に行けばよろしい。

もっとも、大学が金持ちボンボンばかりになっても困るから、社会人枠を設け上流枠と下流枠の分離を行う、それが教育相続税オークションである。

ガクレキ社会の目的は2つある。 1つはいま先ほど述べた「金持ちの相続税対策」そしてもう1つが「国民に劣等感を植え付け支配する道具=身分制度の代用品」これは平等論を唱え革命を狙っているサヨクに対抗するためのものである。 とはいえこれも今となっては陳腐化し(いまだに学歴かよ〜)国民を苦しめるばかりである。
競争社会云々の議論も、社会を発展させる競争なら良いが、単に消耗させ劣等感を植え付ける目的の競争もあるから注意が必要である。 教育にカネをかけること自体は決して悪くはないが「国民に劣等感を植え付け支配する道具」と化す可能性もあるから注意が必要である。
さらにそれが、サムライ商法に利用されることになる。

そもそも学校も習い事もなかった時代の子供は、自信なかったのか? 子供たちから自信を奪っておきながら、それを「商品として」高く売りつける「自信が欲しけりゃカネ払って大学へ行け」それがサムライ商法の常套手段、あくどい商売である。
学歴というものの本質は、一部特権階級がその身分を子孫に引き継ぐための「差別化手段」その正体を知れば、そのようなものに対抗する事すらもバカげていると分かるであろう、つまり「子供に自信をつけさせるため」とか称してスポーツだとか習い事を強要するのは「余計なお世話」であり「ムダ遣い」である。 習い事よりも正しく愛情を注ぎ「自己肯定感」を育てる事が先決である。 もし教育にカネを使うとしたら「自信」とか意味不明のもののためではなく(そんなに自信ないのか?)ちゃんとした職業教育に使うべきである。
いくら習い事をしても、たくさん資格を取得しても、自信のない奴は自信がない、それは思想がないから、物事の本質が分かっていないからである。
私は小学生まではオバケが怖かったが、中学生になって岩波の「理化学事典」を読んでからは怖くなくなった(この世界は、隅々まで科学の法則が支配していると知ったからである)それが本当の勉強である。 学歴コンプレックスなんていうのは、オバケが怖いというのと、さほど変わらない。

教育・少子化・年金・財政、これら日本を破滅に導く重大問題、その根源は、カネばかりかかり効率の悪い「ガクレキ封建体制」にある。
まず課税し、再考を促す「親のすねをかじって大学に行く事をやめさせる」「生涯学習社会へ移行させる」そこから改革が始まる。
そのための方法論だけでなく、考え方=思想を提供するのが、本書の目的である。

あなたは労働組合がなぜ赤旗を振るか考えた事はあるだろうか? 労働組合だって北朝鮮がユートピアでない事は百も承知である。 ではなぜ赤旗を? それは共産主義思想を武器として利用しているから、つまり本当に最終兵器を使うかは別として「いい気になっているとぶっ潰すぞ」位のものがないと交渉にならないからである。
革命を起こすのか、それとも現体制の中で赤旗を振り続けるのか、いずれにせよ思想が無ければどうにもならない。
無宗教の日本人には、このような意識は薄いのかもしれないが、思想は重要である。 「思想がない」それは「紀元前BCと同じ」ベンハーの奴隷船である(心の中まで支配され「従順な羊」にされているという事である)
会社をクビになった、受験に失敗した、そんな事で自殺するのは、思想を抜かれ「従順な羊」にされているからである。 連合赤軍やアルカイダはこんな事では死なない、なぜなら彼らには思想があるから(テロリストを支持するわけではないが彼らからも学ぶべきものはある)
ただ、ガクレキ絡みの問題は、やはり難しい、思想があっても対応は困難である。 この問題を解くには―――そんじょそこらの坊主が唱える経文では歯が立たない。 「受験地獄に対応した」専用のバイブルが必要である。

なにしろ日本人が、ガクレキ(受験戦争)のために費やしているGNPは、防衛費を追い抜いてトップなのだから、もっと効率を考えて、その半分でも他に回せば、児童虐待問題も、オヤジの長時間労働・過労死問題も、少子化問題も、年金問題も、すべて解決する。
教育相続税を導入し、上流枠と下流枠に分離する、それが内戦を終結させる決定的手段。
内戦の終結は、国民のありとあらゆる階層に福音をもたらす国益である。

虐待されているのは小さな子供だけではない。 中学生も高校生も虐待されている。 体格では負けない彼らがなぜ抵抗できないか、それはガクレキの問題である。 ガクレキがないと就職できない、ガクレキを得るためには親の力を借りるしかない。
近頃は「毒親」なんていう言葉もある、もちろん個人の資質の問題ではあるのだが、一方では「毒親の毒を倍増させている」のが「ガクレキ封建体制」という見方もできる。
この問題の解決策は2つある。 まず1つめは「虐待された子供は授業料無料でしかも生活費も援助して国が大学まで行かせてやる」方法である。 だがこれには莫大なカネがかかり、子供手当すらも支給困難な現状を鑑みれば非現実的である。
もう1つの解は「ガクレキ封建体制を破壊し生涯学習社会へ移行させる」方法、これだと国民の負担は小さい、これが本書の主張する「教育相続税」である。

障害者団体は「生きる権利」を主張する。 だが彼らの主張が我々の心を打たないのはなぜなのか? 本文でも述べたが、私は親から失敗作、欠陥人間として扱われてきた。
親の期待通りにエリートコースを歩まなかったためであるが、このように健常者でさえも生き辛く自殺しまくっている世の中で、障害者だけが声高らかに権利を主張しても、権利は守れるのか、むしろ在日特権のようなものと解され、ヘイトスピーチが広がるのではないか?
障害者の権利を守りたいなら、まずは健常者でさえも生き辛い世の中を改善すべきである。

障害者は無理して働かなくても良いと私は考えている。 もちろん中には優秀な人もいるだろうが、それは一部にすぎない、そのような人を基準に「自立を迫る」のも酷である(現代の日本の科学技術・生産力からすれば、障害者は一切働かなくても食っていけるハズなのだ)
コンピュータ技術の発展により健常者でさえも失業する時代に、果たして障害者が働く意味はあるのか(こんなことを言うと怒られるかも知れないが)ゲームでもやって遊んでいれば良いと私は思う(障害者ビジネスが絡んでいるのではないか? 障害者を監視し殴って仕事をさせるのも1つの利権である)
仕事がなくなれば障害者は疎外感を感じるのだろうか? では働かなくても食っていける資本家は疎外感を感じているのだろうか? 感じ方は人それぞれではなかろうか?
だが一方で、自分たちの権利さえ主張していれば、社会が養ってくれるという考え方にも問題がある。 教育コスト増大による少子化、年金制度破綻により、国が滅んで行けば、いくら権利を主張しようが、障害者だって無傷ではすまなくなる(君たちだって痛い目に遭うのだ)
要はそうならないように対策すればよい。 障害者にも確実に出来る対策、それは「教育相続税を導入してくれる政治家」「投票する」事である。
現在の日本の科学技術、生産力からすれば、老人や障害者は遊んでいても生きていけるはず、そうならず「ナチスのように殺されなければならないとしたら」何かが間違っているのである。 その最大要因は、高学歴化による教育コスト増大、それが引き起こす、少子高齢化、年金制度破綻、医療福祉現場における劣悪な労働環境である。

私が子供だった頃に比べれば、体罰や人格否定は、少なくなってきている、しかしやっている事は、今もそれほど進歩していない、不安をあおり、勉強しろと強迫しても、いまさらだれも勉強しないし(深刻に考えてもノイローゼになるだけ、それで淘汰されるわけである)仮に勉強して有名大学や大企業に入る者がいたとしても、彼らも勉強しなくなるのは時間の問題(入学や入社といった通過点に過ぎないものを「最終目標」にしてしまったのが最大の失敗)いったい何パーセントが「使える人間」になるのだろうか? あまりにも歩留まりが悪い「生産性が低い」の一言に尽きる。 せっかくの優秀な人材も、腐らせてしまっている。

学力低下如きに騒ぐ必要はない(サムライ商法の思うつぼである)エリートなんて人口の1割もいれば充分である。 ただあまりにも効率が悪く、カネばかりかかり、優秀な人材まで腐らせている点は指摘せねばならない。
単なる通過点を最終目標と錯誤し、やたら苦難を強いている。

あるいは、待機児童という妙な問題がある。 貴方はおかしいとは思わないか?
フツーに考えて、保育園が、需要があり儲かるものなら、資本が参入し、コンビニエンス・ストアーのように、黙っていてもどんどん増えて行くはず、そうならないのはなぜか?
これは「バラマキ=補助金」が市場経済をねじ曲げ、おかしくしている典型的事例である。
いや、バラマキそのものが悪いわけではない、福祉はすべてバラマキなのだ、何が問題かというと「バラマキ方=手順」が悪い。

手順についての詳細は2−16 親の負担ゼロを実現する手順と3つのポイント参照
そもそも女性はなぜ、子供を預けてまで働こうとするのか、それは子供を大学に行かせるための貯金である。 つまりばらまいた「補助金=我々の納めた税金」はそのまま「サムライ商法=大学・受験産業」に流れて行くわけで(高学歴化にはつながっても)少子化対策にはなってない、まずこの流れを断ち切るのが筋ではないか?
女性が働く事を否定するわけではないが、女性の社会進出で男性が仕事を失い、あるいは賃金が下がれば結婚できなくなる。 少子化対策として見る限り、女性の社会進出は、プラスともマイナスとも言い切れない。 それよりも「女性を安い賃金で働かせ、サムライ商法が吸い上げる」という構図には、終止符を打つ必要がある(そもそも補助金なんかを意識しなければならないのは「安い仕事」である)
私は女性の社会進出には賛成である「稼げる女性」はどんどん社会に出ればよいと思っているが、補助金は廃止すべきである(女性が働くのは良いが、それよりも「補助金に群がるシロアリ退治」が先である)「女性の社会進出」「子育て支援」を口実に、国や地方自治体から、補助金を引き出そうとするシロアリどもの利権こそが、女性にとって最大の迷惑である。
私はIT業界に勤めている、IT業界では、女性も外国人も席を並べて働いている。 女のくせにとか年下のくせにとかいう意識はみじんもない「女性の社会進出」には大賛成である。 但し補助金は廃止すべき、保育士の給料が安いというなら、保育料をもっと上げろ倍にしろ、保育料を支払って元が取れなくなるような「安い仕事」ならやめろ、それが経済原則である。 (あなたが仕事を辞めれば企業は賃金を引き上げるか自動化するかの二者択一を迫られる、補助金をもらいながら中途半端に働くことは一番良くない事なのだ)
子育てを支援するならば、専業主婦にも、補助金相当分を支払うべき「子供を預ける女性」だけを優遇するのは不公平である(最終的には「子供限定ベーシックインカム」が望ましい)
補助金に限らず、何かと理屈をつけて、国や地方自治体からカネを引き出そうとするシロアリ根性こそが利権政治の源であり、自分の首を絞めている事に気づくべきである。 (金持ちばかりが大学に行くのは不公平だというなら、奨学金ではなく、教育相続税である)
女性を活用するとか、移民を受け入れるとか、これらは対症療法に過ぎない。 人口減少問題に関しては、やはり少子化問題そのものを解決する以外に道はない。 (移民を低賃金でこき使おうなどと安易に考えればイスラム国の自爆を受ける事になる) 少なくともガクレキ封建体制のままでは受け入れ不可能である。
では少子化対策として、フランスのように、第3子以降を優遇するか? しかしこれも、日本ではうまくいかない。 企業別労働組合である日本では、大企業と中小企業の格差は歴然としている。 子供を3人育てるなんて大企業の社員しかできない。 必然的にこれは「大企業優遇の制度」となり(格差を広げる事にはなっても)少子化対策にはならない。 「下請けは生かさず殺さず」「乾いた雑巾を絞る」それが日本経済の強さのヒミツである以上、そこにフランスの制度を接ぎ木しても、うまく行くわけがない。
このように、大企業を優遇すればするほど、人々は大企業に入社しようとして、一流大学を目指すようになり、ますます教育に熱が入り、教育コストが増大し、少子化が進行する。
「子供を2人作るのが普通となっている社会」「もう少し頑張れ」と言う意味での「第3子優遇」なら効果があるかも知れないが、結婚すらも出来ない貧困な若者が多数を占めている現状にあって「第3子優遇」などと言っても効果はない。
では、第3子と言わず「第1子でも第2子でも」地道に子供手当を支給するか―――と言っても、結局は手当で浮いたカネが、大学や受験産業に流れるだけで、少子化対策にはならない(その問題から目を逸らさせるために「第3子」を強調しているのではあるまいか?)
あるいは教育を充実させ、子供の能力を2倍にすれば、人口が半分になってもやっていけるという「少子化居直り論」もあるが、博士ばかりの社会に就職先はあるだろうか? ますます教育にカネがかかり少子化が進行する事になる(そもそも2倍の能力なんて可能なのか? それを口実にスパルタ国が復活する危険性もある、現に戸塚はそれを狙っている)
これらバカげた諸説は、サムライ商法の保身・時間稼ぎ、彼らこそが少子化を引き起こすボトルネック、日本民族の首を絞める国賊である。
消費税増税を行うかどうか経済学者の間でも意見が分かれている。 だがそんな問題は枝葉末節にすぎない。 株にしろ投資にしろ、しょせん誰かが儲かれば誰かが損をするだけの話、短期的な視点にすぎない。 長期的に見れば、どんな政権がどんな経済政策を取ろうが、誰が総理大臣になろうが、経済学者がどんな学説を唱えようが「年寄りが増え子供が減り続ければ」その負担・痛みからは逃れられない。
消費税に限らず、自己中で下らない議論は巷にあふれている「どの職業が一番儲かるか?」「どうすれば年金を少しでも多くもらえるか?」小さく下らない話題である。 「儲かる職業」「抜け道」も皆が殺到すればたちまち意味なくなる。
小手先のテクニックよりも本質を考えるのが学問である。 社会の衰退を引き起こす「ボトルネック」とは何か? 少子化の原因は女性の産道が狭くなったためか? いや違う! 原因は「教育コスト増大」にある。 つまり一言で言うと「お前ら学者こそがボトルネックになっている」その現実を直視し、持続可能な社会=生涯学習社会に移行すべきである。
ガキ相手に商売している限り大学に未来はない。 ガキ(の親)の懐を当てにした商売は、今すぐ卒業すべきである。

まず、第1ステップとして「教育相続税」を導入し「ガクレキ封建体制を破壊する」
さらに、第2ステップとして「国家が子供を養う」
この手順を踏まえれば、親の負担は激減、生産性は飛躍的に向上し、少子化・年金、その他日本が抱える諸問題は、すべてきれいに解決する。

数学者や棋士がどんなに凄いかは知らないが、所詮は将棋盤上での出来事である。 だが、ガクレキと少子化の問題が解決できなければ日本は破滅する。 本書は、科挙以来数百年、誰も解けなかったこの問題を解決するものである。
すべての子供が大学に行く必要はないし、博士になる必要もない。 極論すれば、ドラえもんののび太くんのように、全然勉強が出来なくても、それなりに楽に生きていける社会が未来社会であり、そのための科学技術である。 もしそうならず、奴隷のような世界が待っているとするならば、それは何者かに搾取され食いつぶされて行っていると言うことである。
能力主義を否定するわけではないが、実社会の能力主義とは別に「屋上屋を架す」学歴封建体制は非効率であり破壊する必要がある(学歴ビジネス=サムライ商法には、一定の歯止めをかける必要がある)そのための武器が教育相続税である。
自民党の金権腐敗を批判する者もいるが、そもそもなぜ腐敗するのか、それは緊張感がないから、ではなぜ緊張感がないのか、その原因は政権交代できない(してもうまく行かない)情けない野党にある。 ではなぜうまく行かないのか、その背後には左翼の臭いがする。 左翼思想が足を引っ張っているのである(社会を良くしようとするのではなく革命が自己目的化している)
「労働者は資本家に搾取されている」だと? そういう考えだからうまく行かないのである。 埋蔵金? そんなのあるわけないし、たとえあっても当てにしてはいけない。 社会主義が失敗すれば、次はベーシックインカム、それも大まじめに「大人のベーシックインカム」とは笑える、手を替え品を替え、よくもまあやるものである、それよりも先にやるべき事があるだろ? むしろ搾取しているのは(資本家ではなく)君たち学者ではないか?
「労働者は資本家に搾取されている」とはいうものの「資本家だって厳しい競争にさらされている」本当に悪い奴は、資本家から累進税を巻き上げ、その上にあぐらをかいている役人ではなかろうか? 彼らには競争がない、彼らこそが特権階級である。
つまり金持ちが作り出した搾取集金システムの「その上に」さらに非効率な役人が乗っかっているという構図(大きな政府)貧乏人はますます搾取される(富の再分配などと正義ぶっている奴もまた怪しい)
天下り役人も悪いが、それ以上に悪い奴は学者である。 学歴差別をまき散らし恫喝し「18歳人口を食い物に」教育コストを増大させ、少子化を引き起こし、自ら「社会のボトルネック」となっている「現代の貴族=学者」そのとんでもない悪行に比べれば、資本家の方が遙かにマシ、ブラック企業の経営者でさえも善人に見える。
パソコンと言えばウィンドウズ、ウィンドウズと言えばビルゲイツだが、もしもウィンドウズの値段がものすごく高くて「それがボトルネックとなって」パソコンの普及を妨げるような事になれば、ビルゲイツだって断頭台に消える。 そうならないのは、ビルゲイツ自身がそれを意識し努力しているからである。 ビルゲイツやイチローが何億稼ごうがそんな格差はどうでも良いが「社会のボトルネックにだけはなるな」それが「現代の貴族」への忠告である。
学問に実利ばかり求めるのは間違っているが、国や企業にそれを言うのは筋違いである。 企業は利益を、国は国防を目指すのが正しい。
では利益につながらない研究はどうすれば良いか、研究資金が欲しいのなら「18歳人口を食い物にするのではなく」生涯教育の場で社会人に訴えるべきである。

子供を大学まで行かせれば三千万円、中学までなら千五百万円、つまり半額、大卒1人育てるカネで、中卒2人育てる事ができる。 これは何を意味するか?
極論すれば、すべての子供が中卒で働くようになれば「少子化問題も年金問題も全部解決する」という事だ。

年金における世代間格差は少子化が原因、べつに老人が悪いわけではない。

もちろん私は大学を否定しているわけではない。 大学行きたければ自分で稼いで行けばよろしい(自分が稼いだカネの方が勉強も身につく)そういう人こそ支援すべきである。

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