第3章 少子化・年金問題はこうやって解決する

3−15 21世紀、未来社会の手本を日本が示せ!

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子供の教育は、どこまでが愛のムチで、どこからが虐待なのか、法律でそのすべてを規定することはできない(愛のムチとは悩ましいものである)管理教育にしても、行き過ぎた管理は良くないが、管理しないのが良いのかと言えば、そうでもないだろう。
それよりも、日本が抱えるほとんどの問題は、ガクレキ封建体制をはじめとする封建的風土による「風通しの悪さ」に起因しており「ガクレキ封建体制」を破壊し、

@ 国家が子供を養い、
A 子供が保護者を選択する、
B 子供はそれぞれ自分の稼ぎで「勝手に」大学に行く、

生涯学習社会に移行し、親も学校も会社も、嫌ならいつでも交換できる身軽な社会になれば、自由競争の原理が働き、規則にしても、厳しさにしても、自ずと適正な範囲に収まる。

国家が子供を養う―――それは命と人権を守る上で、最も効果的な方法である。
人権というと「人権擁護法」なんて言うのが取りざたされたりもするが、はたしてどうだろうか?
親の期待通りにエリートコースを歩まなかった私は、親から失敗作、欠陥人間として扱われてきた「この出来損ない変態!」人権擁護法が出来れば、私は救ってもらえるのだろうか?
答えはノー「人権擁護法」なんて悪用されるだけで、実際にはほとんど役立たない。
「マスコミの横暴から人権を守るために人権擁護法は必要だ」なんて言う政治家もいるが、何か悪い事でも書かれたのだろうか? マスコミが何と書こうが、今やインターネットでいくらでも反論できる時代である。 国家も教師もマスコミも、昔ほどは力を持っていない。

そんな中、いまだに「独占的強権」を握り、子供の人生を弄び、虐待し殺しまくっているのが親である。 つまり「人権擁護法」よりも「児童ポルノ法」よりも「少年法」よりも、まず親権にメスを入れる事こそが、人権を守る一番正しい、確実なやり方である。
いちがいに体罰がいけないとか言っているのではない。 それよりも最終的に、

@ 子供が親を選択できるようにする、
A 親権にも自由競争、
B 風通しを良くする、

それが人権を守る要である。

私はキレイ事の教育論には興味ないが、さりとて、受験競争は正しいのか、管理教育は正しいのかと言うとそうではない。
競争や管理そのものを否定するわけではないが「バカげた受験競争」「バカげた管理教育」が蔓延る原因は、つまるところ「親権に競争がないから」「独占的強権を握っているから」に他ならない。
「スパルタの塾」「管理教育の学校」は、二次的なものに過ぎない、彼らは単に親のニーズに応えているだけであり、その様な学校に行かせているのは親である。
したがって問題の核心は親権にある。
子供に競争を押しつける前に、まず「親こそ競争しろ!」「親こそ勉強しろ!」
要は「公正な自由競争が機能しているか」それが問題であって、親権も例外ではない。

親権があまりにも絶対的で強力すぎるため、子供は何も対抗出来ない。 そこで様々な救済制度が存在する。 だがこれらも本当に子供のためになっているのか、子供を正しく導くことが出来ているのかと言えば、疑問である。
少年法にしても、児童買春にしても、児童ポルノにしても、これらゴタゴタした複雑な救済制度は、いずれも副作用のキツイ、いわく付きの制度である。
少年法の弊害は言うまでもないが、それ以前に、本当に少年法は、少年を守っているのか?
虐待された少年が家に火を放った、そういう場合には少年法が守ってくれるのかもしれないが、子供が保護者を選択できるようになっていれば、虐待され苦しむ事も最初からなかったし、家族も巻き添えを食らわなくて済んだのだ。

児童買春、援助交際? そんなものは姦通罪で処罰すれば、一発でなくなるものである。
イスラム諸国のような死刑はやり過ぎだが、買う側を処罰するなら売る側も(自分の意志である限りは)同様に処罰するのは当然で、両方処罰してこそ初めて効果が上がるものである。
いつまでも「子供=被害者」扱いによる弊害は、少年法と同様である。
一方では「子供が被害者と成らざるを得ない劣悪な環境を放置し」また一方では「一律に被害者扱い=劣悪な環境のせい」にする。 前者は前者で問題だが、後者は後者で、子供の判断を狂わせ、弊害をもたらす、まずいやり方である。

児童買春についてはさらに年齢の問題もある、高校生にもなって何が「児童」なのかと不思議に思う人も多いが、これは高学歴化により若者の自立が遅れているためである。 (この先ますます高学歴化が進めば、同様に「少年法の延長」も考えざるを得なくなる)
凶悪な少年犯罪があるが故に、少年法を廃止(縮小)せよという意見もある。 だが「子供は親を選べない」高学歴化により親の影響がさらに大きく、子供の人生に「より決定的」「壊滅的」影響を与えるようになり、しかも劣悪な環境や虐待がなくならないならば、廃止どころか「マジで延長」せざるを得なくなる。

さて次は、児童ポルノだと?
子供の水浴び写真を持っているだけで逮捕されるのか?
子供時代の自分自身、あるいは古い先祖の写真でも疑われるのか?
まったく、変な法律をゴタゴタ作るばかりで、実効性がまるでない「何やってんだ」「バッカじゃねえの」としか言いようがない。
国家が子供を養うシンプルな制度になれば、そんな問題は一発で解決する。

児童ポルノにしろ、従軍慰安婦にしろ、サーカスにしろ、そのほとんどは親が売っているのである。 もっとも、子供を売るなんて事が常態化すれば、なかには誘拐や強制連行といった事例も出て来るのかも知れないが、それはあくまで少数派、ほとんどは貧困と親の問題、根本的に「親」に問題がある。

子供は親をかばおうとする。 実際には売られていても「売られたのではない強制連行されたのだ」と言い出すかもしれない。 そのような心理も考慮し、ちゃんと捜査して、ロリコンよりも先に親を逮捕すべきである。
従軍慰安婦と並んで沖縄の集団自決も「軍が関与したか」が取り沙汰され政争の具になっているが、論点を間違えている。 これは戦争云々よりも「洗脳は恐ろしい」という話であり、カルト宗教や受験戦争で、今でもありうる事である(教訓は未だに生かされていない)

さらに問題は児童ポルノだけではない、世界に目を向けると、そこには劣悪な環境で働かされている子供がいる。 児童労働や少年兵の問題も深刻である。
国が豊かになり、学校が建設されると、それで終わりかというと、決してそうではない。
それはまたそれで受験戦争が勃発し、子供は殴られ虐待される(日本に限らず、どこの国でも同じである)
子供が酷い扱いを受けるのは、子供の数が多いからで、少子化で子供の数が減れば、子供の立場は改善し、もう少しマシな扱いになるのではないか、というのが「需要供給の法則」だが、それはどうだろうか、半分は成り立つが半分は成り立たないと私は思う(そもそも少子化自体が重大な問題であり、子供の待遇改善を少子化に期待するのは邪道である)

少子化で子供が減れば、受験戦争は緩和されるかというと、なかなかそうとも言い切れない。
いわゆる名門志向型の受験戦争は無くならない。
一方で、受験戦争に敗れた二流三流校はどうなるか、彼らにとって少子化は死活問題である。
勉強で勝てない彼らは「特色ある学校」とか何とか言って「生徒獲得のための見世物」「客寄せパンダ」として生徒を利用する。
彼らも必死である「部活に異常に力を入れ」そこでまた「シゴキ体罰」が発生し子供が死ぬ。
いや、これは体罰なんかではない。 是非はともかくも、体罰とはあくまでも生徒のためにやむを得ず殴る事を言う。 学校の利益、己の保身のために殴るのは、そもそも体罰ですらない、単なる暴行・虐待である(これを体罰と呼ぶのは体罰に対し失礼である)
そしてその様な学校に通わせ、暴力教師を持ち上げているのは、まぎれもなく親である。

マスコミは体罰体罰と騒ぐが、体罰そのものよりも、その裏に隠れた「客寄せパンダ問題」に着目する必要がある。
桜宮高校の事例は、初めてではない、自殺・他殺を問わず、暴力教師が生徒を殺す同様の事例は、他にも多数存在する(部活をやめたいという生徒を「最後の練習だ」と言って呼び出しボコボコにするのは、昔からある話)
その他、大学の運動部における不祥事もまた「客寄せパンダ問題」の一種である。

社会が発展し国が豊かになっても「児童搾取と虐待」は相変わらず、とどまる事を知らない。
これら諸問題をすべて解決する究極の手段がある、それは、

@ 国家が子供を養い、
A 子供が保護者を選択する、
B 親権にも自由競争、

21世紀、未来社会の手本を、日本が示すべきである。
そもそも子供を一番多く殺している奴は誰なのか、子供を売ったのは誰なのか?
それは刃物を持った変質者でも、アニメオタクでもない「親」である。
精神的、肉体的、性的、いずれの場合でも、子供にとって、最大の虐待者は「親」である。
その理由は明白である。

@ 子供は親を選べないから、
A 親に養ってもらわねばならないから、
B 大学に行かせてもらわねばならないから、

つまり、子供の弱い立場に原因がある。
子供はそれにつけ込まれ、泣き寝入りしているわけである。
これらを「カイゼン」し、

@ 国家が子供を養い、
A 子供が保護者を選択する、
B 親権にも自由競争、

そうすれば、虐待など一発で無くなるものである。
日本には、受験のように、親が子供を一方的価値観でもって評価し、品定めする制度はあっても、その逆、つまり親を評価し競争させる制度がない、それが最大の問題である。
電話・鉄道が民営化され、裁判官でさえも裁判員のチェックを受ける時代に、いまだに親だけが「独占的強権」を握り、殺りたい放題である。
さらに生涯教育が普及せず、親のすねをかじって大学に行く「ガクレキ封建体制」がスタンダードとなっており、親の格差がもろに子供に影響する。
そこでまた様々な、補正措置=保護・救済制度が導入されるわけであるが、それはまたそれで社会に歪みを作り出す要因となり、ますます社会をおかしくする。

科学の法則にしろ、コンピュータのプログラムにしろ、社会制度にしろ、シンプルが一番である。
扶養手当、児童手当、扶養控除、学割、少年法、児童買春、児童虐待、児童ポルノ、あしなが募金、奨学金、etc. .... プトレマイオス的、ごちゃごちゃ複雑で中途半端な救済・保護制度よりも、国家が子供を養う=子供中心の地動説を導入すれば、それで一発すべて解決し、複雑な事務手続きも要らなくなり、大幅なコスト削減になる。

親が子供を養うと言っても、親のいない子はどうする、国が面倒見るのか、では片親の子はどうする、半分面倒見るのか、片親でも事実婚は除外するのか、それをどうやって判定する、同じ住所なら事実婚と見なすのか、ではシェアハウスはどうなる。 DVの親はどうする、虐待された子はどうする、生活保護はどうする、etc. ....このように無数のパターンが存在し、果てしなく制度を複雑にする。 役所が杓子定規な対応をすればマスコミに叩かれ、かといって柔軟な対応をして不正が起こればまたマスコミに叩かれる。
国家が子供を養うシンプルな制度になれば、これらの問題はすべて解決し、事務手続きも大幅に簡素化され、コストダウンにつながる。
たとえ可哀想な子供であったとしても、その子たちだけを「特別に税金で養う」となると、やはり納税者から反発が出る。 「例外的」「社会のお荷物扱い」も、また差別・虐待を生み出す。 やるならすべての子供を対象に「国家が子供を養う」ようにすべきなのだ。
ただ「国家が子供を養う=子供限定ベーシックインカム」には、1つ問題点がある。 すべての子供に生活費を支給したとして、そこで親はどうするか、それで浮いたカネが大学や受験産業に流れ彼らを儲けさせる結果に終わる、これでは従来のバラマキと変わらない。 だからそれを止めさせ「正味」少子化対策に向かわせる、それが教育相続税である。
「子供は親の付属品ではない」という考え方においては「親の収入に関係なく配布される」民主党の子供手当は画期的であった(ただ残念ながらバラマキの域は出ていない)

さて「子供が保護者を選択する」なんて言うと....
「子供の顔色をうかがってビクビクしなければならない」とか「しつけが出来なくなる」とか、反対論が出てきそうだが、そんなことにはならない。
信頼関係が出来ていれば、叱るときは叱る、殴るときは殴る、それで良いのである。

それよりも「国家が子供を養い」「子供が保護者を選択する」制度に反対する連中の本当の狙いは「子供は親を選べない」という性質を利用して「劣悪な環境を放置し」「格差を作り出し」「己の利権を守る」点にある(2−14 大奥の原理

私はしつけを否定しているわけではない。 世界には、子供の尻をひっぱたいただけで警察に捕まる「家庭体罰禁止」の国もある―――むしろ、そうなってしまわないために「子供が保護者を選択する」「信任する」制度は必要不可欠である。 すべては「子供は親を選べない」という性質に原因がある。 自由競争に乗せ、風通しを良くする、それが解決策である。
私は子供を育て上げた1人の親として「子供が保護者を選択する制度」に、自信を持って賛成する。 それが虐待を防ぐ最も強力な手段、それをやれば、虐待は一発で無くなる。

それとも貴方は、子供の水浴び写真を持っているだけで逮捕される「ビクビクした世界」の方がお望みだろうか? 「最大の虐待者は親である」という現実から目をそらし、一部変質者のせいにしようとする「児童ポルノ」それが巡り巡ってブーメランである。
児童ポルノ法が、実際の子供を守るよりも表現物規制に走りがちなのは警戒する必要がある。 またそもそもポルノとは何か、感じ方は人それぞれ、明確に定義できないという問題もある。
親の期待通りにエリートコースを歩まなかった私は、親から失敗作、欠陥人間として扱われてきた、肉体的虐待だけでなく精神的虐待からも子供が救われるのは、いったいいつになるのだろうか?(それともエロマンガに描かれた子供の方が優先なのだろうか?)
そもそも虐待は児童ポルノだけではない。 暴行やネグレクト、はては精神的虐待まで様々である。 しかも「すべての虐待から一挙に子供を救う方法が既に存在する」にもかかわらず、児童ポルノにばかり固執するのは、他に目的があると思われても仕方ない。
すべての虐待から子供を救うためには、国家が子供を養えばよい。 それは同時に少子化対策でもある。 ただそれがこれまで実現できなかったのはなぜなのか、理由は「国家が子供を養ってくれれば親たちはどうするか」という事である、つまり「それで浮いたカネが大学や受験産業に流れ彼らを儲けさせるだけの結果になる」からである。 子供手当もみんなそうである「受験産業が口を開けて待っている」従って「国家が子供を養う制度」を導入するためには、その前に「教育相続税」を導入する必要がある。
すべての子供を国家が養うのではなく、貧困や虐待に苦しむ子供に限定して救済すればよいと言う人もいる。 しかし救済対象を限定することは「その条件から少しでも外れた者は救済されない」事を意味する。 そもそも精神的虐待まで含まれるのかどうか、もし含まれないとしたら親は、精神的虐待は許容されていると解釈するであろう。 やはり「すべての子供を国家が養い」「子供の立場を改善する」のが最善である。
保守派は、すべての子供を対象にした福祉を「左翼的バラマキ」として批判する。 国家予算を管理する責任与党としての立場は分かるが、しかし「何を基準にバラマキと判断するか」「バラマキの何が問題なのか」その本質を考える必要がある。
救済対象を限定さえすれば、バラマキでないかというと、そうとも限らない、救済対象を限定してもバラマキはバラマキである。 例えば、奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちは、もっとカネをかけ、さらにその上を行くものである。 結果として受験産業にカネが流れて行き、奴らが大儲けする事に変わりはない。 意外な事に「奨学金もバラマキ」なのだ(貧乏人に教育の機会を保証するためには、奨学金ではなく教育相続税を導入すべき、大学から金持ちを退かせるのが先である)
バラマキかバラマキでないか、それは「限定的であるかどうか」ではなく「大儲けする奴がいるかどうか」で判定すればよい「大儲けする奴が多ければ多いほど」国家予算や社会のリソースがムダに食い潰される割に効果はない(なぜバラマキがダメかというとそういう事)

「親権にも自由競争」なんて言うと「家庭にまで市場原理を持ち込む気か!」と反発する人もいるだろうが、市場原理主義の弊害というのは、何もそれ自体が悪いのではなく、まだまだ中途半端で不公正な所に原因がある―――むしろ、徹底すれば良いのだ。
市場原理からすれば、合格率の高い学校が勝利し、必然的に受験教育が蔓延るわけであるが、子供が保護者を選択できるようになれば、そこにまた競争原理が働き「ガクレキに固執するくだらない親」は捨てられ、自ずと歯止めがかかる。

そもそも、公立小中学校において「学校選択の自由」が制限されているのはなぜなのか? それは「選択の自由」を無条件に認めると「ガクレキに固執する一部の親たち」によって、学校が「序列化」され、いわゆる「受験戦争」が勃発するからである。
だが「子供が保護者を選択できる」ようになれば「ガクレキに固執するくだらない親」は真っ先に捨てられるから、そのような問題は発生しなくなる。 結果「規制緩和が可能となり」学校を「完全自由選択」できるようになり、競争が生まれ、公立学校のサービスは改善する。
これまでは、子供に「より良い教育」を受けさせようとすれば、カネを出して私学に入れるしかなかったが、公教育のサービスが向上すれば、その必要はなくなる。 このように、むしろ保護者にとっても「子供が保護者を選択する制度」はメリットがある。 私は子供を育て上げた1人の親として「子供が保護者を選択する制度」に、自信を持って賛成する。
諸外国には、公立学校における学校選択の自由および私学助成を兼ねて「教育バウチャー」を導入している国もあるが、我が国の場合は、学校選択の自由よりも「親を選択する自由=親権バウチャー」の方が先である(3−10 親権バウチャーを導入せよ

さて、本項のタイトルは「21世紀、未来社会の手本を日本が示せ!」であったが、その意味、言わんとする事を最後に説明しよう。
残念ながら、世界には必ずしも救えない不幸がある。
飢えるアフリカや北朝鮮、紛争に明け暮れるパレスチナの子供を救う事は出来ない。
だが、一番恐れなければならないのは、世界が比較対象を失う事である。
もしも全世界が共産主義、あるいはイスラム原理主義に包まれてしまい、比較対象を失えば、つまり地球が全球凍結するような事にでもなれば、雪解けはさらに遠のく事になる。

そうならないために、アメリカがいて、国連があって、PKOがあるわけだが、この先日本が少子化と年金制度破綻によって、内部から滅んで行けば、他国を助けるどころではない。
世界は重要な「比較対象の1つ」を失う事になる。 見栄メンツのガクレキにカネを使っている余裕など無い「世界の範たる日本」となるために、抜本的改革が必要である。

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