第2章 学歴税(マトリクス累進)を導入せよ!

2−4 新たな迷信

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「天は人の上に人を作らず」と福沢諭吉は述べたが、果たして学問は、平等な社会を築くために役立っているのだろうか?
残念ながら、学問が平等のために役立ったのは、封建制度を打ち破ったごく初期の頃だけである。 その後すぐに学問は体制側に組み込まれ、今や学歴という形で「身分制度的に」運用されている。
一時期の試験で(それも家庭環境の影響をもろに受ける子供時代の成績で)一生が左右されるというのは、どう考えてもアンフェアだ。
試験制度というタテマエ上は能力主義の形態を取ってはいても「実質は身分制度」である。

つまり「学歴」とは、先述したように「能力主義を装った身分制度」であり、最も巧妙で悪質な差別なのだ。
差別と能力主義をわざとごちゃ混ぜにして、どこまでが差別で、どこまでが能力主義なのか分からないようにしておくとは、実に巧妙である。

統計上、大学に行った子供と行けなかった子供を比べると、それぞれの家庭の収入には、明確な相関関係がある。 大学に行けるのはやはり金持ちであり、貧乏人は行けないのである。

学歴とは、そして学問とは何なのか?
平等を実現する武器なのか、それとも格差を作り出すための武器なのか?
少なくとも、封建制度を打ち破った福沢諭吉の時代には、平等を実現する武器であったはずである。 それはまさに「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」だが、その後、東大を頂点とする学歴ピラミッドが形成されてきた。

教育を「貧富の差を無くし」「平等を実現するための武器」といまだに信じ込んでいる人がいる。 しかし、文盲が沢山いた福沢諭吉の時代なら「学問を広め国を豊かにし」「学問の力で迷信や差別を排除し」「貧富の差を無くす」という考え方もできようが、そんなのははるか昔の話である。
今や学歴というものは、人にレッテルを貼る手段と化し「貧富の差を正当化し」それを「維持拡大するための武器」として「特権階級の都合良いように」利用されている。
今や学歴こそが最大の迷信であり差別なのだ。
「天は人の上に人を作らず」の言葉とは裏腹に、東大を頂点とする学歴ピラミッドが形成されてきた。 そして高学歴社会=増大する教育費のおかげで、国民生活はますます苦しくなり、国の借金は増え続け、少子化=年金制度破綻の危機に陥っているのだ。

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