第2章 学歴税(マトリクス累進)を導入せよ!

2−20 愛国心は公私混同の排除から

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 社会の共有財産である「子供」を私物化しているのは、子供を虐待し殺そうが何をしようが己の勝手と考えている底辺のバカな親だけではない。 自分の息子をエリートに仕立て上げたいとか、社長の地位を継がせたいとか考えている、上流階級の教育熱心な親も同じである。
もちろん社会にはエリートも社長も必要であり「平等」だけでは世の中成り立たないが、単に「自分の息子」にこだわるだけであったら「公私混同」「公の意識を失っている」と言えよう。
「自分の息子」をエリートに仕立て上げたいという気持ちも分からないわけではないが、そのために特訓を受けさせられ、ムチで叩かれる子供はたまったものではない。
それに加え、適性のない者が無理をして、社長や国家のエリートになり、結果として会社や国を滅ぼしたのでは、社員も国民もたまったものではない。

「公徳心」「愛国心」を訴え、中には「教育勅語」だとか、教育基本法改正だとか憲法改正などと言う人もいるが、そうした大層な改正など必要ない(キレイ事では解決しない)。 それよりも「国家が子供を養う制度」にすればよい。 そうすれば否応なく「子供は公的財産」という事になり、児童虐待は不可能になる。 ダメな親から離れられないが為に人生を棒に振るなんて事もなくなる。 悲惨な虐待死事件が起こるたびに思う、いったい国は何をやってくれたというのか「公徳心」だとか「愛国心」などという文言を羅列し押しつけるのではなく、自然にそうした精神が芽生えるようにすべきではないか?

「国家が子供を養い子供が保護者を選択する」と言うと、それこそ「家族制度を破壊する気か!」と息巻く人がいるが、私にそのような意図はない。 むしろ「親の私的エゴを抑止する」とともに「親の負担を軽減し」「子供を抑圧から解放し」それがひいては国益につながると信じているから、提案しているのである。 格差社会が広がれば、もう親の負担を軽くしないと子供を作る事すら出来なくなるだろう。 そうなれば日本民族は破滅である。
「国家が子供を養い子供が保護者を選択する」制度にすれば、親の私的エゴは抑制される。
そもそも親に養われているから、子供は「お受験」をはじめとする見栄や欲に苦しめられるわけで、国家が子供を養い子供が保護者を選択する「公的な」制度にすれば、つまり子供が「経済力」を持つようになれば、肉体的虐待だけでなく、精神的虐待からも解放される。

現状では肉体的虐待、それも命に関わるようなものでさえも、救済は不充分である。

 躾にしても、どこまでが愛のムチでどこからが虐待なのか、法律で規定するには限界がある。
しかし子供が保護者を選択できるようになれば、自由競争の原理が働き、一定の緊張感が生まれ、自ずと適正な範囲に収まるだろう。 そのためには、「親が子供を養う」封建制度をやめ「国家が子供を養う」近代的制度に切り替えればよい。 それが「世界から虐待を撲滅する」最も強力な武器となる。
何しろ「養ってもらっている」「大学に行かせてもらわねばならない」という弱みがあるから、虐待が無くならないのであって、子供が経済力を持ち、親の助けなど借りず「勝手に生きて行く」「勝手に大学に行く」社会になれば虐待は不可能になる。

資本主義か社会主義かそれ以前に、親のすねをかじって大学に行く限りは封建主義である。

 国家が子供を養うといっても、何も無理に子供を引き離すわけではない。 これまで通り「家族」は一緒に住み、家族制度は維持される。 こうした制度なら、別段反対する理由もないと思う。
私が理想とする社会は「親知らず社会」だ。 親が知らない間に「いつの間にか息子は結婚していた」「いつの間にか大学に通っている」社会であり生涯学習社会である。 水臭いと言われるかも知れないが、進学にしろ、就職にしろ、結婚にしろ、親がしゃしゃり出てギャーギャー騒いでろくな事はない。

 そもそも赤ん坊が捨てられるのはなぜなのか? それは赤ん坊の経済価値がマイナスだからである。 赤ん坊に経済価値があれば、売られる事はあったとしても、少なくともゴミのように捨てられる事はないはずである。
 昔は、赤ん坊は売られていた。 それはそれで問題だが、今やゴミのように捨てられる時代である。
それは赤ん坊の経済価値がマイナスだからである(負の資産)つまり育てるには高い金がかかり大学まで行かせなければ労働力にならない(しかも現代は大学に行かせてもうまく行く保証はないリスクの高い難しい時代)ある意味、昔よりも人権状況は悪化している。

虐待は経済学の問題である。 まず@虐待に対する刑罰が軽すぎるA子供にカネがかかりすぎる。 つまり身を粉にして働きボロボロになって子供を大学に行かせた真面目な親より、子供を殺して刑務所に入った親の方がトータルでは楽をしている。 これでは虐待はなくならない。 この状況を逆転させるためには@虐待の厳罰化と同時にA教育コスト削減が有効である。
虐待相談や支援も必要だが、物事の本質は経済的合理性である。 「赤ん坊を背負う」事が「借金を背負う」と同義であってはならない。
子供1人を大学まで行かせれば3,000万円―――現代社会において子育ては重荷でしかない。 これでは、おいそれと子供は作れないし、継子の虐待は苛烈を究めるだろう。 「要らなくなった子供は国が買い取ります」冗談抜きでそのような制度が必要である。
虐待は児童だけの問題ではない、高齢化社会を迎えるにあたって、老人も他人事ではない、虐待を放置すれば、ブーメランを食らうことになる。

 国家が子供を養うとは即ち赤ん坊の経済価値を保証する事であり、それにより命が守られる。
経済価値がプラスになり、親にとってメリットのあるものになれば、子供はもっと大切に扱われ、虐待も減って行く。 「経済価値」がすべてとまでは言わないが、決して無視出来ない重要な要素である。

@ 国家が子供を養い子供が保護者を選択する。
A 親は子供を作るだけ。
B 大学に行きたけりゃ自分で稼いで行け!

この3つが揃えば「親の負担ゼロ」となり、少子化問題も虐待問題も年金問題も一発で解決である。

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